See the movie

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

平日に下の子の学校が休みだったので、一緒に映画館へ行くことにした。子供が見るのにちょうど良い映画が「KUBO」か「プリキュア」だったのだけれど、後者は以前見たときに終始声がキンキンと響いていてしんどかったことを思い出し、前者を選んだ。前者に対する予備知識は「外国の人が日本をモチーフに作ったストップモーションアニメ」程度。私はそのとき既に目の病気の診断を受けていたので、長時間映画を見るの辛いかもしれないし、見ていられなかったら寝よう、くらいの投げやりな気持ちだった。


目を患う私にとって、映画は「暗いところに閉じ込められて目を使い続ける、自分の意思で止めて休憩することのできない過酷な娯楽」と化してしまったに違いないと思っていた。しかし、映画が始まってみると、それは全然違っていた。本、テレビ、劇と比べて、かなり楽なのだった。


私が患っている黄斑の病気は、目の中心のほんの一部分以外は問題なく見える。だから、ものを意識して見ない限り...例えば空を見上げるとか、遠くをぼんやり眺めるとかする分には、それほど以前と違うわけではない。でも、いざ何かを確認しようとすると不都合が生じる。ものを見に行った時、左目の映像はそこだけ中心部に吸い込まれ消える。向こうにいる人の頭部を見て顔を確認しようとすると顔がシュッと小さくなり中央部が消失し、少しずれた位置に視点を移すとそこが同様に消える。滑らかに視線を動かすと、ものが小さくなったり大きくなったりする。

正常な右目との視差で立体を見る場合、脳でエラーが生じ続けるのだろう。日々質の悪いVRを見ているような感じだ。


でも、映画は2次元のため視差エラーが生じないのかもしれない。スクリーンが大きいので見ようとしなくても見えるからかもしれない。もう少し目の状態が良いときに観劇した時より、全然楽に楽しめた。おそらく左目は相変わらず中心部が吸い込まれた異常な映像を送り込んでいるのだろうけど、それが映画を見る行為にほぼ影響してこないのだった。


映画館で映画を見ることを英語では、See the movieというというと昔習った。watch でなくseeだ。その違いを先生は、映画は見ようとしなくても目に飛び込んでくるから、みたいな説明をして、それが当時は腑に落ちなかった。


でも、今ならわかる。映画はseeだ。黄斑を患うと難しくなるのがwatch なのかも。多分だけど。


さて、KUBOという映画自体についての感想だが、「今まであまり見たことのない映像美」だった。CGだけでこれを再現するなら、「CGで設計し3Dプリンタで出力したいろんなものを配置してコマどりした状態をシミュレーションする」ということをしないといけないわけだから、作れないとは思わないが、わざわざやらないんじゃなかろうか。

モチーフになっている日本の美術に作り手の敬意のようなものも感じるし、元ネタがわかるとより楽しめる。


ストーリーについては感じ方は人それぞれだと思うけれど、おそらくオールCGのアニメーションに比べ、修正がききにくいだろうし、制限も多いだろうし、それを考えたらよくできている方なのではないだろうか?

映像は日本美術モチーフだけど、中の人はそうじゃないところが見え隠れするのを、受け入れられない人がいるかもしれないなとは少し思うけど。


でも本編より、エンディングに一瞬映るメイキング映像が一番インパクトがあったというのも、ストップモーションアニメならではかも。