資料、らて

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 実家は私の祖父母が結婚した時に建てられた家だから、父にとっては生まれ育った家だ。一度も引っ越しをしていないし、今は両親しか住んでいないので空き部屋が多く、ものは置き放題。私の父親は、特に「捨てられない人」だ。私の母親がなんでもかんでも捨てる人なので、その反動なのだろうか。母親が捨てたものを、拾っては保管していたようだ。以前から、捨てたら、というと不機嫌になったり怒ったりしていたので、面倒なので放っておくようになった。でも、今回、壁が壊れたこの家を壊して小さいちょっとした家を作ることになったので、物はほとんど処分しなくてはならない。父親は70歳近くになって初めて、急に物を選別しなくてはならなくなっている。
 私もモノを捨てない方だけれど、父親は半端ない。自分のものばかりではなく、親のものも、自分の妹達のものも、私たち子供たちのものも、母親から救済できたものはなんでもとっておいていた。私は子供のころからの賞状の束を渡されたのだが、もちろん選別されていないだけなので、小学校のクラスで渡された「鉛筆削り大会努力賞」の小さい紙やら、絵画展で全員がもらえるようなものやら、全く記憶にないものばかりだった。珠算に至っては、8級から初段まで合格証書が全部ある。私は捨てたつもりだったんだけど、放置しておいて、父親が集めていたんだろうか。私はもらってうれしかったことを覚えているものと、珠算の初段だけ子供に持たせて記念写真を撮ってから、要らない、とそれらを母親に渡した。母親は張り切って破って捨てていた。
 たぶん、父親は思い出資料を作りたかったんだと思う。私の名前のつけられた「大学入学」というスクラップブックにはその時の諸費用のレシートやら下宿の地図や、親に渡されたいろんなものが丁寧に日付入りで張り付けてあった。私が中高のときに、新潟日報に匿名で投稿した切り抜きも、コピーと新聞記事の両方が保管されていた。新聞が劣化した時のためにコピーを取っていたようだ。もちろん、これ、私の投稿、などと親に言ったことなど一度もない。だから、私のものでないものも混ざっていた。私は自分で家の新聞を全部保管しているから、父親は家以外で新聞を入手していたに違いない。昔はそういうことをされるのがいやで、思いっきり抗議したこともあったような気もする。そんなものが私の兄弟3人分あるばかりでなく、自分の親や妹の各種賞状や資料集があるのだった。それらの多くは作りかけで、この家で残りを完成させていくつもりだったに違いない。
 急にそれらを処分しろと言われて毎日毎日いろんなものにうずまってせっせと整理しようとしている老父の姿はどこか物悲しい。