フィルター職

 ひとつ前の内容に関連して、「spoon.」の加藤シゲアキロングインタビューで、本筋ではないところで印象に残った個所がある。インタビューアの、NEWSのアルバムやライブなどは自分の作品でないのかという問いに、
「そういうものは、全部一人で作っているわけではないので。僕はフィルターでしかないというか。」と答えていたところ。
 アイドルが自らの立場を語るときに「操り人形」という言葉をセレクションするケースは伝統的にあったと思うのだけど、この、「フィルター」って言葉を使っているのをはじめて見た。加藤君の周りで当たり前に使われているのか、それとも彼自身の言葉なのかはわからないけれど。
 
 アイドルは素材であってプロデュースされる立場だから自らの意思で好きな歌歌っているわけでもなんでもない。いろんな戦略のもとで大人たちに動かされている。そういうこと自体を毛嫌いする人もいるだろうけれど、私はどっちかというと、有能なプロ軍団がそのアイドルの資質を生かした世界を構築することに魅力を感じてきた方だ。例えば、渡辺美奈代が好き、というよりは、美奈代の良さを最大限に引き出していると思う「恋していると、いいね」というアルバムが好き、宍戸留美の良さ...(以下同文)で「ドレミファソラシドシシドルミ」が好き、という具合に。

 そういう「素材でしかない」ことを「大人たちの操り人形」といって否定するのが大人になったアイドルの定石であったような気がするのだが、「フィルター」はちょっと違う言葉だ。プロデュースする大人たちと、自分を見つめるファンたちの間にいて、大人たちに手足を動かされるわけではなくて「フィルタリング」してファンたちに提供する立場。ファンはフィルタのおかげで後ろの大人は見なくてすむのだから。
 確かにプロのアイドルというのはフィルタかもしれないなあと。どうフィルタリングできるかに色がでるのだろうな。きっと。