忘れていたこと

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最近、いろいろなことをすぐ忘れてしまう。昨日も、町内の人からLINEで依頼されたことを、帰ってから調べますね、なんて気安く返信して完全に忘れていた。町内のゴミの当番や小学校の交通安全の旗を持つ当番をすっぽかしたり、あげていったらきりがない。TODOのスタックに入れられなくなったというより、聴いて返事をして、入れるまでの間に消失してしまう。消失。それが以前と全然違っている。


去年はコロナで帰省もできず、外出も娯楽も制限されていた。かろうじて私に正常な視界を与えてくれていた右目を患ったことで文字が読み辛くなった。毎週土曜日に子供の習い事のついでにお母さん方と会話をしていたが、それもできなくなった。そうやって生活から圧倒的にインプットが減り、処理量が減り、認知能力が一層衰えたのかもしれない。


毎年春と夏の恒例だった帰省も取りやめたので、高校時代からの友人3人とも会えなかった。いつも帰省スケジュールが決まるとまずその友人たちにメールで連絡し、会う日程を調整していた。面倒臭がりな私だけど、彼女たちにはどうしても会いたかったのだ。でも、去年は春も夏も「帰省できません」というメールになってしまった。


友人たちはガラケーからスマホに移行するのが遅くて、連絡は私が帰省する時のメールのやり取りだけだった。3人は地元にいるのだけれど、私が連絡を取る年2回しか集わないようだ。でも、そんな距離感もちょうどいい。ドライでベタベタしなくて、ただひたすらに会話が楽しい人たち。そんな彼女たちと食事をしてそれぞれの全く異なる仕事や生活についての話を聞くのが楽しかった。歳は取っているんだけど、みんな全然高校時代と変わらない。それが一定の安心感をくれたし、彼女たちの近況は刺激にもなっていた。


大学時代の友人4人と年に一度旅行に行くのも長年の恒例だった。でも今回は難しそうだということで、在宅勤務でZoom会議に慣れている人が取り仕切ってくれて「オンラインお茶会」を何度も行った。地方に散らばっていて年一回の旅行でしか会えなかったのに、オンラインだと嘘のように簡単に集える。1回目は試験的にLINEで、それ以降はZoomで。学生時代の友人は顔を見た瞬間から何の問題もなく話せる。すべての行動に制限がかかった去年、大学の友人たちとの「オンラインお茶会」は、私の日常で唯一と言っていいほどのイベントだった。




去年の夏に帰省をとりやめた際、「2020夏帰省しません」というメールを高校の友人3人に送った。それに対し、3人のうちずっと最後までガラケーだった友人がまあまあ長文で「スマホにしました!」という内容のメールを返信してくれた。私はそれを見て、大学の友人たちとやっているオンラインお茶会がこのメンバーでもできるかも、と思い、「LINEでグループを作ってオンラインお茶会をしよう!」と提案するメールを送った。スマホにした友人は「実現できたら楽しそうですね。ちょっと興味が出てきました。」と意外に積極的だった。(その子は高校時代から全員に丁寧語を使う。) 一人暮らしだからどうなんだろうと思って聞くと家にWi-Fiがあるということだ。LINEもほそぼそとやっていると。もう一人の友人からもOKが出た。よし、あと一人からの返事待ち。
「LINEをしよう、LINEグループを作ろう」。オンラインお茶会以前の、最初の一歩だ。
でも、私はその返事待ちをしているうちに、すっかりその企画を忘れてしまった。そして、メールのやり取りはそこで止まった。


去年の年末、彼女たちに年賀状を出した。「今年こそ帰省して会いたいなー」といった言葉を添えたような気がするが、よく覚えていない。彼女たちから年賀状が届いたかについてちゃんとチェックすることもなかった。そして1月も中旬を迎えた頃、1枚のハガキが届いた。「スマホにしました!」という連絡をくれた友人が去年の暮れに亡くなったという親族からのハガキだ。病気療養中に亡くなった、故人の遺志で家族のみで葬儀を行った、とある。


歳も歳だし、親の死去に伴う喪中ハガキはよく受け取る。受け取るたび、その知人が喪服姿で沈んでいる姿をぼんやり想像した。でも、そのハガキの文面は違う。何度読んでも友人本人が亡くなったとしか読めない。


地元の別の友人に電話をした。その友人は1日前にハガキが届いていたからか落ち着いていたけれど、事情は何も知らなかった。2年前に会った時痩せていたのが気になっていて。あの時すごく寒そうにしていたよね。でも夏のメールにはこんなことが書いてあったよね。


その言葉でやっと私は夏のメールのやり取りを思い出した。オンラインお茶会をする企画が止まっていたことを含め。


地元の2人の友人がご実家に手を合わせに行って、ご両親から聞いた亡くなるまでの経緯や、彼女の遺影がとても綺麗だったことを教えてくれた。ずっと闘病していたんだね。前会った時から。痩せたことについてなんて答えていたんだっけ。去年の夏のメールを検索すると「早く世の中が落ち着いて、のびのびお会いできるといいですね。 ホントにみなさんにお会いしたいです。」と、彼女は書いていた。


私は全然整理できていないパソコンの写真の中から、彼女たちが写っているものを探した。毎年会っていたのに、店や食べ物の写真しか撮っていない。唯一ちゃんと撮ったものは10年前にまで遡る。私が頭の手術をする予定があった時、この子たちにもう会えなくなるってこともあるのかもしれないな、と思って、3人に写真を撮らせてもらったものだ。理由を言わなかったから3人は戸惑っていたような記憶がある。


そこに、3秒ほどの動画が残っていた。おそらく写真と間違えて撮った動画だ。彼女が動いていて一瞬声が入る。ああ、この感じ。




今は写真を見るだけでも、そのシーンからの彼女の動きの続きや話し方、声の特徴、何もかもが当たり前のように頭に浮かぶけれど、私のことだからきっと忘れてしまうんだろうなあ。だんだん曖昧になって薄れていって。今こんなに悲しいのにいろいろわからなくなっちゃったりするのかな。


3秒の動画を共有するために2人の友人とLINEグループを作った。渡していなかった10年前の写真と、コロナでステイホームをしていた時スキャンした高校時代の写真をアルバムにして共有した。想像力が足りなかったね、と、友人とやりとりをする。こんな歳にもなって、亡くなるってことを考えたこともなかったんだから。これからはもっと想像力と覚悟を持って生きるよ。


供養の仕方がわからないまま、彼女をイメージして花を飾った。ピンクのガーベラと、名前は何だっけ。紫の花。


あの時私が忘れていなかったら何がどうなったとか思うのは、少しおこがましい話だ。もしかしたら彼女の方もすぐ忘れてしまっていたかもしれない。でも、少なくとも、私がもう一回彼女と会える機会を永遠に失ってしまったのは間違いないのだ。


忘れたくないなあ。


忘れたくないからこうして文章にした。彼女のことも、私が忘れたために失ったことも、忘れたくない。