その人について

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昔から有名だった、そんなことはみんな知ってた、という人がいる。いや、それはないのでは?と思う。

確かに私は、1960年代の裁判の件や、元所属タレントが著書で何度も関係を告発しているのを知っていた。20年くらい前の文春裁判でセクハラの部分が認定されたことも知っていた。

1960年代の裁判のことは、昔「アラン」という雑誌に書いてあった。それは、昭和にも存在したいわゆる腐女子向けに発行されていた雑誌だ。私はその雑誌に「少年ドラマシリーズ全リスト」が掲載されているのを知って買ったのだと思う。

それがたまたま昭和57年発行の「特集 ザ・アイドル」という号で、男性アイドルを振り返る特集が組まれていた。タイガースから始まり、ジャニーズ(グループの方)、フォーリーブス、郷ひろみなどについて勝手にアイドル指数を採点していたり、昭和33年から57年の男性アイドルの系譜のようなものが年表として載っていたりした。アイドル年表のジャニーズの系譜の最後には、少年隊以前の錦織さんや植草さんの名前がある。現在事務所最年長の東山さんの名前は出てきていない。つまり、ジャニーズ事務所が今の帝国を築く前の本になる。
ちなみになぜこんなに詳細に書けるかというと、以前、古本で見つけて懐かしくなり買ってしまって手元にあるからなのだが。

そのアイドル年表に「ジャニーズ裁判」と書かれている箇所がある。年表に内容の詳細は無いが、別コラムで昭和42年の週刊明星を引用する形で、裁判の内容が面白おかしく語られている。

当時私がこれをどこまで読み込んでいたかは記憶にない。ただ、このあまり品のないコラムのニュアンスで、事務所社長の性的嗜好のようなものを認識したのだと思う。そのあと相次いで出版された告発本については、売られているのを書店で見かける度、読みたいと思うその興味自体を、いかがわしいものと抑制していた。

文春の告発記事は忙しかったのか認識していなくて、裁判で認定されたことはだいぶ後になって巨大掲示板あたりで見たような気がする。

亡くなった時、それらの件に関してはどこのメディアでも触れず、タレント達は全員競うかのように愛情のあるコメントをし、情報番組のキャスターたちは日本の芸能界への功績を絶賛するのみだった。違和感はあった。でも、功績は間違いないのだろうし、晩年は性欲のようなものは枯れて、審美眼だけがプラトニックな形で残ったに違いない。そうであれ、と思っていた。タレントさんたちがあんなに愛おしそうに語るのだから、今そんなおかしなことをしているはずはない。たとえ性的嗜好はどうであっても、それほどに歳をとった男性が実際に子供たちに手を出すことはないだろう。

どこかそんなふうに思っていた。
これは、「知っていた」というんだろうか。


最近の一連の告発と、それに伴う報道は一通り追っている。性加害を告発した人のインタビュー、解説番組、事務所やタレントさんたちのコメント。メディアの報じ方。
中でも、被害を告発した人の「城壁に小石を投げるような」という言葉に心が痛む。その絶望感と無力感はあまりにも悲痛だ。

いろいろな人がいるのかもしれない。加害を受けた人、受けなかった人。加害で心を病んだ人、加害を愛情に昇華できた人。それについてはよくわからないし、無責任にカテゴライズできるものでもない。

センシティブな話であることは間違いないだろうが、ほぼ私の人生のそのものともいえる長期間にわたって続いていたのなら、どうしてその間に誰もやめさせることができなかったのだろう、と率直に思ってしまう。故人だから、ということで有耶無耶にしたとしてもどのみち永遠に解決しないのだから、全く利害関係のない第三者に調査を委ねるしか決着する方法はないのではないだろうか。客観的な事実だけを積み上げて故人の行為を検証しない限り、何も進まないように思う。


ネットでは、ジャニーズファンの方が告発者を激しく非難する言葉も目にする。無関係で真実を知る由もない匿名の人が、何かを守りたいのか誰かに罵声を浴びせている。

ファンは、自分の推しが愛情を持って語るジャニー喜多川氏のイメージを共有してきた。推しが尊敬する人は大切にしたい、という気持ちは理解できる。多くのタレントがその人とのおもしろエピソードを語ってきて、ファンは、それを聞くのが嬉しかったのではないだろうか。社長と仲が良く気に入られているというのは事務所に推されることに結びつくし、推しの能力の高さが認められているようで誇らしくもある。

私はそういう意味では近年はNEWSのフィルターを通して人物像をイメージしていたことになる。彼らは、「その人」との濃いエピソードをそこまで語る人たちではなかった。増田くんに至っては、お前、と呼ばれた塩対応エピソードが最強鉄板ネタとしてあるほどだ。以前、少年倶楽部プレミアムでその人の話題になった時、3人が一斉に小山くんに頼ったシーンがあったようにも記憶している。

加藤シゲアキ著「できることならスティードで」に「浄土」というエッセイがある。ジャニー喜多川氏が亡くなった時の著者の心情が綴られているものだ。とても良いエッセイなので、未読の方にはぜひ読んでいただきたいのだが、そこに著者の故人への複雑な感情が綴られている。

自分を「異世界」に誕生させてくれたという意味で親であるその人。自分が認めて欲しかった部分じゃないところが認められオーディションに合格し、「バスの中で居眠りをしたときの寝顔」という、自分が褒めて欲しい部分ではないところを褒めてくれた人。大人になってから久しぶりに会ったとき、自分を見て、最悪だよ、と言った人。

彼のなかでもっとも良かった僕は、バスで眠る小学六年生だ。どれだけ頑張っても、あの日の小さい自分を超えることができない。

加藤さんが子供の頃の顔で選ばれたことを苦悩し踠きながらアイドルを続けていた人だからこそ、私のジャニーズに対する偏見のようなものを払拭するきっかけになった気もする。ジャニー氏がどんなダメな人であったにしろ、私が楽しんできたコンテンツは全て彼の審美眼から始まるものであったと思うと複雑だが、それについては感謝しないといけないのかもしれない。

多分、加藤さんに限らず辞めた人も残った人もみんな、ジャニー氏に対しいろんな感情を抱えながら歳を重ねてきたのだろう。人生を壊された人の気持ちは想像に余りあるけれど。

「浄土」の最後に、「彼の姿を色濃く脳裏に浮かべながら、それぞれが彼から学んだことを次の子たちに、少し笑えるようにして伝えていくのだ。」という一文がある。これから彼らが次の子たちに伝承していくものは、彼らが咀嚼して再構築した今の時代にあったものになっているはずだ。今後、その人についてどんな事実が明らかになったとしても、それは変わらないのではないだろうか。