金魚

 麻美の家には二つの金魚鉢がある。父親の趣味で飼われているのだが、そこにいる金魚のうち小さい金魚鉢に住んでいる金魚は、麻美の担当だった。父親は大きい金魚鉢に自分のお気に入りのかわいく美しい金魚ばかりいれていたので麻美担当の金魚というのは、お祭りの金魚すくいの生き残りや安くてあまりきれいでない金魚ばかりだった。でも、麻美はそれで満足だった。えさは全額自分で負担し、そうじも全部一人でしているほど、麻美のこの金魚への熱の入れようはすごかった。
 麻美の中学校は、俗に言う進学校だった。小学校のときは優等生だった麻美が、この学校の入試では補欠でやっと入ることができたくらいなのだ。そして、今、麻美は「落ちこぼれ組」の一員となってしまっていた。授業は、麻美の頭を通り過ぎて行く。予習復習しても、麻美にとっての授業は一歩か二歩先を進んでいるのだ。麻美は悔やんでいた。(あんな小さな小学校で一、二番だったからといって、いい気になってこんな上の学校へ来るんじゃなかった…)。しかし、もうどうにもならないのである。
 麻美の両親は、そんな麻美をよくしかった。
 「麻美、おまえは小学校の時はあんな優秀だったのに、今こんななのはおまえがさぼっているからだ。もっとまじめになるんだ!」
 「麻実ちゃん、あなただってやればできるはずよ。有名高校に入るためには今のままじゃいけないわ。そうそう、N市にいい塾ができたっていうわよ。行ってみる?」
 (今でも、もう三つの学習塾に言っているのに! 四つの学習塾に通ったって、私は全然変るわけないのよ! 私はもう限界、これ以上の勉強はオーバーワークなの…)。麻美は泣き出しそうになった。でも、両親には口ごたえもできないのだ。そんな自分が情けなかった。
 「白山! 白山麻美、解いてみなさい」
 「はい…」
 麻美は、しぶしぶと立ち上がった。周りでは、ひそひそ声が聞こえる。(白山なんかに解けるものか)(またこんなところで時間を取る…)(早く授業を進めてほしいのに…)
 「解け…ません」
 麻美はうつむいた。本当はまだ良く考えていないのだ。しかし、みんなが迷惑がっているし、麻美自身も(どうせ考えたって解けっこない…)とあきらめていた。
 「よし…。じゃあほかの人…」
 とたんにクラスは活発になる。麻美にはみんなの気持ちが理解できなかった。そんなに勉強したいのだろうか。そんなに勉強するのが楽しいのだろうか。勉強してどうなるというのだ。有名高校へ行って、それから先どうなるというのだ。私は両親の夢に利用されているだけだ。将来の夢も希望もなくした私を、両親は自分達の「子供を有名校に入れる」という夢に利用しているのだ!
 麻美は一心に金魚にエサを与えていた。エサに群がる金魚たち。どの金魚も必死で食べている。ぴちゃっと水がはねる。金魚の尾びれが水をとばす。エサがほとんどなくなると、麻美はまたエサを加える…。
 麻美はこの時だけが楽しい。不思議に心がうきうきして、勉強のつらさを忘れるのだ。この金魚たちのエサに対するあさましさ、いじきたなさ、そしてなによりもその金魚にエサを与えてあげているのが自分なのだ、ということが楽しかった。この一時だけは、自分より劣った金魚というものの発見により、優越感にひたれるのである。
 ところが、ある日学校から帰ってみると、金魚鉢が二つとも消えていたのだ。
 「おまえがあまり夢中になっているんで、二つとも友達にあげたよ。さあ、金魚なんて忘れて、おまえは勉強しればいいんだ」
 父の言葉に、買ってきたばかりの金魚のえさが、むなしく床にころがった。 

新潟日報読者文芸 1979年 掲載

 どういうきっかけで送ったのかは全く覚えていないけれど、中学2年生のときのことです。初めて載ったのがこれでした。
 今読むと子供っぽくて思いっきり恥ずかしいですし、一般論でしかしらない「受験勉強」をテーマにしていて空々しいです。でも、書きたかったのは「金魚にエサをあげるのは楽しい」ということ、それだけでした。