白いスカート

「ねぇ、あの五目御飯持って立ってる子のスカート、くじらだよぉ」
 京ちゃんが私の肩を両手でつかんで示した方向にいる女の子は、白くてふにゃふにゃした布で黒の細いふちどりのあるスカートをはいていた。そういえばくじら肉みたいだなぁと思いながら、でも私はその女の子の太い足と、5センチもないポニーテールに気をとられていた。スカートと同じ布のリボンをしていた。
 京ちゃんはそのまま私の肩をもみ始め、ちょうどカレーライスを食べ終わった私はされるままになっていた。彼女は力が強いから、よくわからないけれどこりがほぐれるような気がする。ああ、いい気持ちい、と言って交代してあげようとしたら彼女は拒んだ。肩の骨が一本変なので、恥ずかしいのだそうだ。
 私達は食器をかたづけて、学生食堂の廊下のいすに座った。私は単語の本をとりだして今日の分の五つを覚え始めた。こういうことをすると本当に受験生になった気がする。京ちゃんは単語の本を小さく切って折って製本したものを使っていた。表紙は花柄だ。時々彼女が単語をつぶやいたりペンでチェックしたりしているのを見ると、わくわくした。
 ここの予備校は、冷房がきいている。私達の町の公民館の図書室は木造で冷房がないから、私達は一時間半かけてこの夏期講習へ通っている。私はこの夏から本格的に受験勉強を始めた。「国立文系コース」のカリキュラムを選んだ。京ちゃんも同じコースだ。志望校は知らない。でもこのコースを選ぶ人はたいていあそこの大学の教育学部へ行くのだ。京ちゃんもきっとそうだと思う。
 ここの昼休みはすごく短いので、お昼を食べ終わってからもあまりのんびりできない。十分くらい単語をした頃、京ちゃんが立ち上がった。トイレへいくんだとわかったので、ついて行った。女子トイレは一つしかないのでいつ行っても混んでいる。休み時間なんて人が廊下に二列くらいになって待っているし、昼休みだってその時入れなかった女の子であふれかえっている。私達は列の一番後ろに並んだ。トイレの中にも冷房がきいていて、涼しいというより少し寒い。私は、授業開始二分前には席についていたかったので、もうあきらめて帰ろうかと思っていた。
「あ、ほら、見て。くじらがいる」
 手を洗う場所の方をあごで示しながら、京ちゃんが言った。手を洗う人たちの列の一番前に、さっき五目御飯を持っていた子がいた。でも、なんだか様子が変だった。自分の白いスカートをつまんでひっぱって、水道の水にさらしているみたいだった。太い足があらわになっていた。私は、きっと五目御飯をこぼしたんだ、と思って見ていた。その子が時々、
「ああ、いやんなっちゃうう」
と、つぶやいているのが聞こえた。そして、しぼったしわを、ぱん、ぱん、とたたいてのばした時、スカートについているしみが見えた。薄い赤が広がっていた。
「あれだよ、あれ。あれになったんだ、きっとあの子」
 京ちゃんがそっと私に言った。私は、そうかあ、と思って、京ちゃんに感心した。そういえばつまみ洗いしている部分は、ちょうどおしりのところのような気もした。私はじろじろ見るのをやめた。そして、寒いねぇ、ここ、と言った。
 そのうち、トイレの順番がまわってきた。終って手を洗おうとしたら、その子はまだそこにいた。京ちゃんは全部すまして出入り口のそばに立っていて、私に手を振った。私が、もう先生来てるよねぇ、と言うと、京ちゃんは、
「とっくだよお」
と言って、走りだした。くじらの子は独り言を言いながら、もうすっかり人のいない女子トイレで、まだスカートを洗っていた。

「私ね、私立専願に変えるんだぁ」
 その日の授業が終って、学生食堂の廊下のいすに座って単語をしながら京ちゃんが言った。私はびっくりして京ちゃんを見た。私立大学というとつまり「県外の大学」だ。ということはたぶん「東京の大学」だ。私はこのあたりの人で大学に進学するっていえば、当然地元のあの大学だと思っていたし、あそこへ行けなかったら就職するのがきまりみたいなものだったから、私立大学なんて考えたこともなかった。
「だって、数学とか理科とかしたくないし、めんどうだしさぁ」
 京ちゃんはそう言って首をぼきぼきならした。そういえば、京ちゃんの家は私の家よりずっとお金持ちだし、お父さんが大学出てるから、そういうのも平気なのかもしれないなぁ、と思った。ショックだった。親に話したら、きっと京ちゃんの家の悪口を言うようになるに違いなかった。
「それにさぁ」
 京ちゃんはくすっと笑った。
「三田くんがね、むこうの大学、推薦で決まっちゃったんだって」
 私がきょとんとしていると、京ちゃんはあはあは笑って私をばしばしたたいた。私は、それでやっと意味が分かって、驚きで声が出なかった。信じられなかった。京ちゃんが、今まで自分と良く似ていると思っていた京ちゃんが、男の人の名前をだして、あはあは笑うなんて。
 私は、京ちゃんも女だったんだねぇ、と、驚きをかくして無理やり言った。
「そうだよぉ、当然だよぉ」
と、京ちゃんは後ろから肩に腕をまわしてきた。胸が、背中にむにゅっとあたった。
 ふと見ると、横にある自動販売機の前で、三人の女の子が高い声で話しながらジュースを買っていた。その中で、
「私、コーヒーぎゅうにゅうう」
と言ったのは、例のくじらの子だった。京ちゃんは、私の背中で体をぐりぐりさせながら「三田くん」の話をしていたので、彼女に気がつかない様子だった。私は、京ちゃんの話にあいづちをうちながら、くじらの子のスカートのおしりの部分をじいっと見た。くいいるように見た。
 くじらの女の子のスカートには、しみ一つなかった。すっかりきれいに落ちていて、まっ白だった。でも、ひらりとひるがえったそれはさわやかじゃなかった。全然、さわやかじゃなかった。


 「ビックリハウス」1985年10月号(休刊号の一つ前)に掲載されたものです。
 「くじら肉」は給食に出る嫌いなものの一つでした。今となっては通じないでしょうが。

 この原稿は確か、編集部へ郵送しました。夏休みで帰省する都合だったのか、締め切りの関係だったのか。
 一つ前の号の「健康器具」は直しが結構あって覚悟していたんですが、これは郵送した原稿が一回ですんなり通ったので拍子抜けでした。後で思うと、編集部はそれどころじゃなかったんじゃないかという気もします。でも当時は、編集部の上村さんが9月号を実家に郵送してくれた際に、この作品について「とてもよかった」というような内容のメモを添えてくれていて、嬉しくて真に受けていましたが…。
 確かこれが掲載された号には投稿要領のようなものが一切載っていませんでした。次号で何かが起る!見たいな書き方がされていて、鈍感な私ですら、「もしかして…」とは思っていました。