いちばん前/本田美奈子

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 記憶、という意味でこの人を語らないわけにはいかない。
 本田美奈子。私は彼女の初期の歌を結構気に入っていた。デビュー曲「殺意のバカンス」の昼下がりのサスペンス再放送のような味わいが好きだったし、「好きといいなさい」はアイドルポップスらしくて気に入ってたし、「Temptation」は松本隆の繊細な歌詞と筒美京平の印象的なメロディが文句なく好きだった。
 しかし、彼女はそれらの曲でなく、その次の曲で「ブレイク」した(とされている)。「1986年のマリリン」だ。
 「和製マドンナ」というポジションがあるとすれば、それをなりふりかまわずとりに走った歌だ。それまで感じられたいわば小悪魔風な魅力は微塵もなかった。白痴がテーマかと思うほど、秋元康の詞は深みのかけらもない。服装や振りからマドンナというより山本リンダと言われていたが、私の感想は、リンダと言うよりもせいぜいリンダ好きのチビッコだ。どんなに露出したって、素材があまりにもセクシーじゃなさすぎ。その次の曲がまた秋元康で「Sosotte」だ。悲しくなった。

 ちょうどその頃だ。私は貧乏なくせに、コンサートのチケットを取ることに凝っていた。チケットぴあに電話を掛ける一種の遊びである。電話がつながらないことが前提だった。一応、万が一取れた場合、誰と行くか程度は考えていた。誰も行きそうもないものは一枚だけとる。電話を掛けるのに飽きたら終わりで、「かなり繋がらない」という体験ができて満足する。
 私は、ある週末に予約開始となるコンサートの中から、現実味のある廉価なコンサートとして、本田美奈子を選んだ。彼女のコンサートは行きたいような行きたくないような複雑な心境だった。マリリン以前なら喜んで出かけただろうが、マリリン以降、どうもついて行けない感じがしていたからだ。
 電話を掛け始めてから数分、いともたやすくあっさりとチケットが取れてしまった。そんなに早く繋がったのは初めての経験だった。念のためその後続けて電話をしてみたが、やはり全く繋がらなかったから、偶然取れたのだろう。友人は誰も行ってくれないとふみ、自分の分だけ注文した。
 1枚だけ空いていたのだろうか。受け取ったチケットには「1-最前列-40」とあった。聞いたこともない「最前列」という名前の席だ。
 その「最前列」は、客がステージに上がるのを防止するロープよりも前に位置していた。「ここなら座ってゆっくりと見れるなあ」と、私は開演を待った。しかし、本田美奈子が登場したとたん会場総立ちだ。もちろん最前列も私以外はいきなり総立ちである。
 「え、何で立つの。立たなくても見えるのに」と思い、1曲目は意地で座っていた。本田美奈子が歌う。踊る。ステージに這うような低い姿勢になり、目線を客に送る。セクシー大放出。喜ぶ客。熱狂する客。最初から前列の方はすごい盛り上がりである。みなこー、みなこー。うおおおおー。
 本田美奈子はすぐ目の前にいて、大きさ、形状、質感、ともにしっかりと感じられる。顔や動きをじっと見ていると、ふと目があうことがある。しかし、彼女は私に全く笑顔をくれず、すぐさま目をそらす(ような気がした)。
 もしや、私が意地を張ってずっと座っていると、本田美奈子が「セクシー」をやりにくいのか?
 馬鹿馬鹿しいことだが、慣れない状況で私の方がすっかり自意識過剰になり、落ち着いて座っていられる気分でなくなっていた。そしてついに我慢しきれず、2曲目が始まると同時に立った。座っても十分見えるのに、ああ、最前列の意味がない、と思いつつ。

 近くで見た本田美奈子は可愛かったし、私の嗜好に合うかどうかは別として、いろんな意味で頑張っていた。会場のファンの熱狂ぶりも一見の価値はあった。アンコールでお約束のように2回衣装直しし、その2枚目の衣装がウエディングドレスだったことも覚えている。
 でも、最前列の女が座っていても、笑いかけてセクシーしてくれよ。美奈子ちゃん。