単機能で有限/ふしぎなメルモ

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 私はアニメ及び声優に疎いが、もちろん子供の頃はよく見ていた。特に魔法少女もの、藤子・F・不二雄、手塚アニメを比較的好み、大型ロボット、カルピス世界名作劇場は嫌ってあまり見なかった。
 魔法少女ものに分類されはしないかもしれないが、その手塚アニメであった「ふしぎなメルモ」はとても好きだった。成長してから再放送で見ると結構ぎょっとする内容だったが、子供の頃は性的な深みはわからないので、純粋に赤青のキャンディがうらやましかった。そして、この番組、他の魔法少女ものと違って、赤青キャンディは成長するか若返るかのどちらかの機能しか持たない。1錠が10年といった単位もきっちりと決まっている。現在の自分に戻るためには2種類のキャンディが同量必要なのである。非常にデジタルな「魔法」だ。いや、こうして今振り返ってみると、キャンディだと魔法っぽいが、「赤い錠剤、青い錠剤知ってる、かい?」といってしまえば単なる薬物だ。
 もう1点重要だったのは、瓶の中に有るキャンディが有限だということだ。実際、最終回はキャンディが数個だけ、という状態になっていた。(メルモちゃんはすでに成長していた?)実は私はその最終回まで、キャンディが無尽蔵にあるような錯覚を起こしていた。数個だけになる、もうすぐ使いきる、というのは「本当に終わる」といういいようのない寂しさを伴った。
 当時私はよく、広告の裏にお絵描きをした。ある日、私はメルモをイメージして描いた。瓶の中にキャンディを小さい丸で描き、その他にもキャンディの在庫を何袋も描いた。人生の有限時間で全部使い切るのは無理、という絵だった。これで安心。

 ところで、私は以前企業の研究所で、「昔、将来の夢は、マッドサイエンティストになることだった」という人(男)に何人も会った。しかし、私はそんなことを1度たりとも思ったことがない。「魔法が使えるようになりたい」なら思っていた。魔法が使えると、困難から回避できて楽そうだからだ。
 だが、マッドサイエンティストという人種は、あくまで自分で研究開発をする立派な人である。何かしたかったら魔法の道具を取り出すのではなく、自分で研究室にこもって作らなきゃならない。どうしてそんな面倒なものがいいんだろう、魔法使いになった方がらくちんだ。彼らからその話を聞くたび、自分は子供時代から既にこの人達と違う感覚で生きてきたのだ、と、「モノ作り」という工学バリバリの世界が苦手であるというコンプレックスが刺激された。
 しかし、よく聞くと、彼らが抱いたマッドサイエンティストのイメージは、適当に混ぜてると完成するとか、夜中にこびとさんが働いてくれて朝起きてると完成しているとか、そんなもののようだ。
 多分彼らは夢を抱いた頃魔法少女アニメを見なかった。私は見ていた。それだけの違いなんだろう。なんだ。

 追記

 上記「彼ら」のうちの一人と話していて気がついたのだが、「魔法少女アニメを見なかった」というわけではないらしい。実際その人はアッコちゃんのエンディングを口ずさんでいたし、良く考えたら、魔法少女ものは現在はそういった人達が支えているような気もする。
 「魔法使いになりたいとは思わなかったのか」と尋ねたら、「サリーちゃんもアッコちゃんも女の子だからなれないような気がしていた」という答えが返ってきた。
 見てなかったと決めつけていた私をはじめ、こういうのを「ジェンダー」っていうのか。少しは社会科も勉強しないとな。私。