あのひとの思いで

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 私は以前奈良でない土地に住み、勤めの合間をぬって英会話スクールに通っていた。そこはチケット制で自由にレッスンの時間を選べるのが私に合っていて、最初買った150ポイントを半年で使いきる勢いで通っていた。
 残りのポイントが少なくなってきた頃、スタッフがにこやかに話しかけてきた。「カウンセリングと継続のご案内」である。
 私は別に継続するのに異存は無かったが、そんな早い時期に継続の勧誘が来てしまうことに抵抗を感じた。そうして若干の不信感を抱いたまま、スタッフに言われるまま説明を聞くことになった。
 説明をしてくれたのは、新顔のスタッフで、派手な人だった。いつも真っ黒に日焼けして露出度の高い服を着た人で、顔立ちは結構整っていた。
 その人と雑談しながら勧誘は進んでいった。彼女は自分はレベル4(そのスクールでの英語の実力を示す基準)だとか、自分は結婚しているけどまだ子供は欲しくないなーといったことも言っていた。私は、まだ若いしいいんじゃないですか〜とか答えていた。
 先にも述べたが、私は遅かれ早かれ継続はするつもりでいた。しかし、その人は、ノルマでもあったのか、その翌日までに私にどうしても継続して欲しい様子である。「来週の頭にチケットが値上げになるという噂がある」といった言い方をする。値上げはいきなり通知されるので、絶対値上げになるとは断言できない。が、来週に値上げになる噂があると。
 なんなのだ、その「噂」というのは。人を馬鹿にしている…。
 だんだん不愉快になって、私はその人のいうなりにはなりたくない気分になっていた。だが、「仕事が忙しいから明日お金をここに支払いに来るのは無理である」という理由で断ろうとしても、彼女は別のスタッフに指示を聞きに行き、戻ってきて、「では、職場に伺います」とまで言ってきた。そこから1時間以上かかる職場にまで来るというのだ。私は少しあきれた。そして根負けした。その次の日、言われるまま継続の手続きをし、何十万というお金を支払った。
 その日から、私はその英会話スクールに行くのが嫌になった。不愉快になりながらも拒絶することができなかった自分にうんざりすると同時に、あの執拗に勧誘したスタッフに笑顔で挨拶する気分にはならなかった。

 それから1ヶ月以上たち、私はふと悔しさが蘇り、その英会話スクールとの継続契約の書類に目を通した。そして何気なく担当者の氏名のところに目をやった。
 そこに書かれていたのは、私も良く知っている、あるアイドルの名前だった。
 あれ、どうしてこんなところにアイドルの名前が書いてあるんだろう?
 私は、継続契約をしたあの日焼けした派手なスタッフの顔を頭に浮かべた。そういえば、そうだ。あの人だ!

 私はかなりアイドル方面は詳しいつもりでいた。だが、その契約書を見返すまで、私はその人を、そのアイドルに似ているとさえ一瞬も感じなかった。顔は間違い無く本人である。しかし、あまりにも、あまりにも違うのだ。
 私は子供の頃の彼女から、アイドル時代の彼女まで知っている。とても可愛いと思っていた。アイドルとして活動を始めた頃は、可愛いけれど、昔から知っている分少々新鮮味にかけるかな、という気もしていた。確かにあまり最近は見かけなかった。でもあんなに変わるものか?
 そして、不愉快なスタッフと思った彼女と私の記憶の中のアイドルとの激しいギャップと、一瞬たりとも彼女と感じなかったという事実は、私に相当のダメージを与えた。だがその反面、私は、もう一度、彼女に会って確認してみたくなった。

 2ヶ月近く休んで再度スクールに行った時、受付にいた彼女は笑顔で、
「ずいぶんお久しぶりですね〜」
と言った。私は
「サボっちゃいました〜」
と答えた。答えながら彼女の顔を見て本人であると確信していた。悔しさを根に持つ気持ちより、単純なミーハー心が勝ったということだ。所詮、私はそういう人間さ。