パパイヤ・パラノイア

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 どんなところに出会いがあるかわからない。学生時代の私にとって最も重要なバンドとのそれは、突然にやってきた。

 1984年のある深夜、何の気なしに見たとある番組。それは「ポプコン関東甲信越大会」であった。
 ポプコンと聞いて、人は誰を一番最初に思い浮かべるであろう。
 円広志?伊藤敏博?アラジン?あみん?
 その中の誰の曲を思い浮かべても、「おお、ポプコン」と納得させられる。その当時、私はすでにポプコン系とでも呼ぶべき歌にときめきを感じることは無くなっていた。多分その番組を見ていたのも、他に見るものが無かったからだろう。
 出演していたバンドの中に、「パパイヤ・パラノイア」という人たちがいた。その人たちが歌ったのは「貴婦人の散歩」だった。ポプコンである。他の曲はかなりポプコンらしい曲だったのか、何も覚えていない。だが、パパイヤパラノイアのその歌は、石島由美子の鬼気迫る歌唱も、曲調も、他の曲からかなり浮いていた。パパイヤ・パラノイアは、関東甲信越大会グランプリを受賞した。ちなみに全国大会のときは彼女達は入賞もせず、グランプリはTOM・CAT。当時憤ったな…。

 私はその番組を見終わった後も彼女達のことが忘れられなかった。もう一度あの歌を聴きたい、と思った。もしかしたら、ライブ活動をしているかもしれない。私はそれまでは読み飛ばしていた「ぴあ」のライブハウス情報を目を皿のようにして読んだ。パパイヤ・パラノイア、パパイヤ・パラノイア…。お、あった!
 私が見つけたのは、吉祥寺の「曼荼羅」というライブハウスの出演スケジュールだった。偶然にも、私の住んでいた土地から比較的近い場所である。新潟から上京してきたばかりで、ライブハウスにバンドを見に行ったことなど一度も無い。が、吉祥寺なら行ける、行って構わない、ような気がした。

 とにかくなにもわからなかったので、曼荼羅に電話をして前売りの有無を確認したりした。結局前売りは無かったのか覚えていないが、あらかじめ手に入れなかった。ライブ当日、私はチケットが買えるか不安で不安で、可能な限り早めにライブハウスに行った。吉祥寺駅を井の頭公園の方に降り、曼荼羅があるはずの場所に向かって歩いた。その途中、反対方向へ行く4人組の女の人たちとすれ違った。それはまさに、テレビで見たパパイヤ・パラノイアであった。彼女らは、普通に穏やかに歩いていた(ってあたりまえなのだが)。
 ライブハウスの前には、数名が立っていた。まだ並んでいる人が少ない、と、ほっとしながら近づくと、その人たちの一人が話し掛けてきた。「お客さん?」「はい」「チケット買わない?」
 「だめだよ」別の人がその人を制止した。「パパイヤ・パラノイアさんのお客さん、だよね」
 どうやら彼らは客ではなかった。もう一組の出演バンド「生きる」の人たちだったようだ。
 ということで、とどのつまり、並んでいる客はいなかったわけである。その声をかけてきた人たちに「もう開いているよ」と言われ、おそるおそるライブハウスの中に入ると、結局客はまだ誰一人来ていなかった。
 あれ?客がいないって…?
 テレビで見て押しかける人がいっぱいいると勝手に予想していた私は、その思いもよらぬ状況に拍子抜けしつつも、言いようの無い不安で押しつぶされそうになった。私は、店の人にお金を払い、一番前にぽつん、と一人座った。
 なんだか落ち着かなかった。電車で読むためにもっていた本を読んで必死で待っていると、そのうち、パラパラと人が来始めた。
 だが、ステージかぶりつきで最前列で見ようとしているのは私だけで、他の人は少し後ろの方に控えめに座る。
 うわ、ライブハウスってそうやって座るんだ!失敗した!
 私は恥ずかしくなりながら、ただひたすら本を読んで待った。

 ライブが始まった。さっき道で見かけたパパイヤ・パラノイアがステージ横から出てきた。コンサートのように、出てきた瞬間に拍手喝采総立ち、ということはもちろんなく、彼女達は静かに出てきて、黙々とセッティングをする。そして、演奏が始まった。
 どの曲をやったのかははっきり覚えていない。私は彼女達に限らず、ライブハウスで生演奏を見ること自体が初めてだった。大ホールでない、小さいライブハウスで聞く生の音。私は、あまりの迫力に体の内側から震え上がるような感覚を覚えた。何曲演奏してくれただろう。もう、そのライブはあっという間であった。が、何ゆえ初体験なので、固まって見ていただけの、「のりの悪い気取った最前列の客」だっただろうと思う。
 パパイヤパラノイアが終わってぼんやりしていると、次にさっき私に入り口でチケットを売ろうとした人たちが出てきた。ボーカルのお兄さんはチケットを売るのを制止した人だった。バンドの雰囲気は、なんというかこう、なんとも個性的、なようなバンドだった(すいませんね、覚えてなくて)。ボーカルのお兄さんはいろいろステージ狭し(かなり狭いが)と動き回っていた。私は、何故か彼が時々こちらをうかがっている気がした。「何だろう…」と思ってふと自分の足を見ると、彼が客席側へ行くための通路を、私の組んだ足がふさぐ形になっている。
 慌てて足を組みなおすと、お兄さんは、やった、という感じで、その通路を通り、ライブハウスの後ろまで行き、その後客席狭しと動きながら、歌った。

 私はそのライブがきっかけで、パパイヤ・パラノイアのライブで行ける範囲のものには欠かさず足を運ぶようになった。純粋にもう一度見たかった。聞きたかった。聞くためにはライブへ行くしかなかった。
 どこまでも、どこまでもついていくよ。
 そう思っていたはずの私であったが、結局彼女達がレコードを出したりして、どんどん動員が増えて行った頃からいつしかライブに行けなくなっていった。ライブの回数が増えて追っかけきれなくなったのか、他の客のノリに耐えられなくなったのか…。

 石嶋氏の作詞活動、ソロ活動を経て、新しいメンバーとで活動再開して再度メンバーも変りつつ、2002年6月現在も活動中。
 石嶋さんが音楽活動をしているということがわかるだけでも何だかとっても嬉しいので、パパイヤ・パラノイアのメールマガジンを購読している。2002年6月現在、新生パパイヤ・パラノイアのCD、一つも買ってないんだけど。