「うなずきマーチ」 うなずきトリオ

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A面 うなずきマーチ
 作詞作曲:大瀧詠一/編曲:多羅尾伴内
B面 B面でうなずいて
 高平哲郎:作・構成/作詞作曲:大瀧詠一/編曲:多羅尾伴内
キャニオンレコード 1982.1 700円

 この歌を初めて聞いたのは「俺たちひょうきん族」番組中だと思われる。うなずきトリオ(ビートきよし、島田洋八、松本竜介)が確か、初披露するという場面だ。大瀧詠一作曲ということだったので、私は「またナイアガラ音頭調コミックソングかー」と、ぼんやり見ていた。
 すると、イントロ「ぱっぱららーぱぱぱぱらぱらら」のあと、彼らが歌ったのはとんでもない歌だった。ものすごく気持ち悪くてぞくぞくする音。私は目が覚めてテレビに釘漬けになった。
 番組が終わった後も、私はさっき聞いた「うなずきマーチ」のことを考えていた。そして、私は早速、このシングルレコードを購入した。
 わくわくしながら聞くと、流れてきたのは私が期待していたのとは全く違う、特に気持ち悪くも何とも無い大瀧詠一らしいコミックソングだった。

 なんのことはない、私がとりこになった歌は、彼ら(のうちの誰か)が思いっきり音程を外していただけだったのである。
 それからテレビで何度か彼らが歌っているのを見かけたが、「あの歌」は2度と聞けなかった。そして手元にはこのレコードが残った。当時数枚しか持ってなかったシングルレコードのうち2枚が大瀧詠一作曲のコミックソングじゃ、ファンみたいだなあ、私。

「パンツの穴の唄」  ガリバー

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A面 パンツの穴の唄
 作詞:つねただたかかず/作曲:鶴見鉄哉/編曲:松井忠重
B面 ナイナイソング
 作詞:西ゆうじ/作曲:鶴見鉄哉/編曲:松井忠重
CBS・ソニー 1979 600円

 私が「ビックリハウス」を読み始めたのとほぼ同じころ、学研が投稿パロディ誌「BOMB!」を創刊した。私は学研の本を愛読していたので、どれどれ、と、創刊号から買い始めた。印象はビックリハウスよりも読み物として面白くない、けれども頑張れ学研、という感じだった。雑誌自体に若干違和感を感じたのは、どうも、男の子をすごく意識した感じ、少々のエッチネタあり、の部分である。(妹が「おねえちゃんがこんな本を読んでいる」、と親に言いつけていた気がする)
 まあ、それもよしとして、なんとかお小遣いをやりくりしてビックリハウスとBOMB!を両方買いつつ、(BOMB!は最初隔月刊だった?)私はBOMB!の愛読者になろうとしていた。
 BOMB!にまだ迷いはあるが愛読者であろうとしていた頃、こちらの雑誌でもレコードを作ったと宣伝していた。それがこのレコード「パンツの穴の唄」だ。確か投稿ページが「パンツの穴」というタイトルだったのだと思う。この「パンツの穴」という言葉は、この雑誌がらみではアイドル映画の方がおなじみだろうか。
 あのレコードあるかな−、と存在をとりあえず確認したくてレコード店を巡ったが、なかなかなく、ようやく見つけた時に勢いで買ってしまった。コミックソングのようなそうでないような、なんでもいいから「パンツの穴の唄」というレコードを出したかっただけのような、よくわからないレコードだった。

 雑誌自体はアイドル誌に変わって現在も存在する。ビックリハウスはさっさと無くなっているけど、宝島もそしてこのBOMB!(今はBOMBなのか...あれ、いつからだろう?)も、男の子雑誌として生き残っている。BOMB、創刊21周年だそうだ。しみじみ。


2011年9月19日 唐突に追記
ものすごく前にスキャンした画像がどこかにあるはずなのだけれども見つからず.
アイコン状態のサイズですがジャケット写真はこちらです.
pantsu.jpg

「ビックリハウス音頭」 デーボ

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A面 ビックリハウス音頭 歌:デーボ(小山ゆかり、桜井智子、駒井直美)
 作詞:なにゆえ草也/作曲編曲:大瀧詠一
B面 ある乙女の祈り 歌:高橋章子
 作詞:古田誠/作曲編曲:大瀧詠一
キングレコード 1979 600円

 私は中学生の頃、ふと見つけた「ビックリハウス」という雑誌を読むようになった。その雑誌の企画で発売されたレコードがこれである。
 私は単純だったので、読者はこういうものを買うものだと思っていた。A面の歌は、「ビックリハウス」の流行語を作る企画で作られた言葉をちりばめて、大瀧詠一により音頭調に仕上げられた意味不明なコミックソングである。歌っている人はしろうとの3人組。どういう経緯でこの人達が歌ってるかまでは思い出せない。
 歌詞カードを見ると曲が思い出せるから、何度かは聞いたのだろうと思われる。曲調が変わる部分と、ボーカルの高音の悲鳴のような音は割と好きだった。しかし歌詞のこの雑誌っぽい「過剰さ」と、オープニングが演歌だったりするあたりの感じは少し苦手だった。ちなみにB面は編集長がささやくように普通の歌を普通に歌っている。

 余談だが、このレコードのジャケットをビックリハウス編集部に返信用封筒付きで送ると、編集長のサインがもらえた。読者でレコードを持っている人は参加するものだと思っていたので、欲しいかどうかは別にして、当然送った。だから、レコードジャケットに、「○○チャン、レコード買ってくれてありがとう。アッコ姫」という文字と、送る時に折った跡が残っている。

ぴんく/山本誉子

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 後期レッツゴーヤング、サンデーズで忘れられない人物、それがこの人である。私と妹の間では「ピンク」で通っていた。
 その代のサンデーズは決まった色の服を着せられていた。他の人が何を来ていたのかは全く思い出せないが、彼女は濃いピンクの服だった。過剰なアイドル顔と喋り方に、そのピンク服はこの上なくマッチしていた。私の抱いた彼女のイメージは「キャラメルリボン」とか「コンデンスミルク」とかといった粘度と糖度だった。彼女はデビューはしなかった。しかし、この代のサンデーズのことを思い出そうとすると、縦ロールのような髪型にピンクのリボンをつけた彼女がボックスのステップを踏んでいたり、マイムマイムと同じようなステップで横歩きしている姿が浮かんでくる。本当にそんなことしてたんだろうか。

 大学3年の夏休み、アルバイト先で、私と極めて近い嗜好を持っていた女の人と出会った。とにかく、やたらアイドルの話が通じる人だった。金井夕子の「パステルラブ」が好きだと言っていたり、高田みづえの話になって、私が「『花しぐれ』から3曲が好きだった」と言えば、「『女ともだち』はいまいちじゃない?」と、実際私も思っていたことをずばり言われたりした。私は彼女に「よい子の歌謡曲」の単行本や金井夕子の「ecran」のテープを貸し、彼女から古いエアチェックテープを借りたりした。そのテープには心当たりのある順番で知っている曲が入っていた。同じ放送を聞いて、似た嗜好で取捨選択すると同じテープが出来上がるのである。私は少し感動した。
 ある日、バイト先からの帰り道、電車の中でサンデーズの話をした。彼女が、後期のサンデーズで唯一挙げた名前はやはり山本誉子だった。痒いところに手が届く人だ。

 ところで、だいぶ昔、東幹久(もしくはその付近の人物)と一瞬噂になった人がやっぱり「山本誉子」という名前で派手な顔をしたお姉さんだった。そして、Webで検索すると、やっぱり山本誉子という派手な顔をしたモデルのお姉さんのページに行きつく。本人、なんだろうな。

追記
 ふと何の意味も無くサンデーズからの連想で山本誉子について書いた次の日(9月6日)、「恐怖の追跡」サイトを見たら山本誉子に関する質問が…。何故今いきなり山本誉子?
 そしてそれに対して、「結婚した、モデルを続ける、ハイティーンブギの主役を武田久美子と競って落ちた等」の情報(1件)が寄せられていた。素晴らしい。



あのひとの思いで

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 私は以前奈良でない土地に住み、勤めの合間をぬって英会話スクールに通っていた。そこはチケット制で自由にレッスンの時間を選べるのが私に合っていて、最初買った150ポイントを半年で使いきる勢いで通っていた。
 残りのポイントが少なくなってきた頃、スタッフがにこやかに話しかけてきた。「カウンセリングと継続のご案内」である。
 私は別に継続するのに異存は無かったが、そんな早い時期に継続の勧誘が来てしまうことに抵抗を感じた。そうして若干の不信感を抱いたまま、スタッフに言われるまま説明を聞くことになった。
 説明をしてくれたのは、新顔のスタッフで、派手な人だった。いつも真っ黒に日焼けして露出度の高い服を着た人で、顔立ちは結構整っていた。
 その人と雑談しながら勧誘は進んでいった。彼女は自分はレベル4(そのスクールでの英語の実力を示す基準)だとか、自分は結婚しているけどまだ子供は欲しくないなーといったことも言っていた。私は、まだ若いしいいんじゃないですか〜とか答えていた。
 先にも述べたが、私は遅かれ早かれ継続はするつもりでいた。しかし、その人は、ノルマでもあったのか、その翌日までに私にどうしても継続して欲しい様子である。「来週の頭にチケットが値上げになるという噂がある」といった言い方をする。値上げはいきなり通知されるので、絶対値上げになるとは断言できない。が、来週に値上げになる噂があると。
 なんなのだ、その「噂」というのは。人を馬鹿にしている…。
 だんだん不愉快になって、私はその人のいうなりにはなりたくない気分になっていた。だが、「仕事が忙しいから明日お金をここに支払いに来るのは無理である」という理由で断ろうとしても、彼女は別のスタッフに指示を聞きに行き、戻ってきて、「では、職場に伺います」とまで言ってきた。そこから1時間以上かかる職場にまで来るというのだ。私は少しあきれた。そして根負けした。その次の日、言われるまま継続の手続きをし、何十万というお金を支払った。
 その日から、私はその英会話スクールに行くのが嫌になった。不愉快になりながらも拒絶することができなかった自分にうんざりすると同時に、あの執拗に勧誘したスタッフに笑顔で挨拶する気分にはならなかった。

 それから1ヶ月以上たち、私はふと悔しさが蘇り、その英会話スクールとの継続契約の書類に目を通した。そして何気なく担当者の氏名のところに目をやった。
 そこに書かれていたのは、私も良く知っている、あるアイドルの名前だった。
 あれ、どうしてこんなところにアイドルの名前が書いてあるんだろう?
 私は、継続契約をしたあの日焼けした派手なスタッフの顔を頭に浮かべた。そういえば、そうだ。あの人だ!

 私はかなりアイドル方面は詳しいつもりでいた。だが、その契約書を見返すまで、私はその人を、そのアイドルに似ているとさえ一瞬も感じなかった。顔は間違い無く本人である。しかし、あまりにも、あまりにも違うのだ。
 私は子供の頃の彼女から、アイドル時代の彼女まで知っている。とても可愛いと思っていた。アイドルとして活動を始めた頃は、可愛いけれど、昔から知っている分少々新鮮味にかけるかな、という気もしていた。確かにあまり最近は見かけなかった。でもあんなに変わるものか?
 そして、不愉快なスタッフと思った彼女と私の記憶の中のアイドルとの激しいギャップと、一瞬たりとも彼女と感じなかったという事実は、私に相当のダメージを与えた。だがその反面、私は、もう一度、彼女に会って確認してみたくなった。

 2ヶ月近く休んで再度スクールに行った時、受付にいた彼女は笑顔で、
「ずいぶんお久しぶりですね〜」
と言った。私は
「サボっちゃいました〜」
と答えた。答えながら彼女の顔を見て本人であると確信していた。悔しさを根に持つ気持ちより、単純なミーハー心が勝ったということだ。所詮、私はそういう人間さ。



トラウマ/下條アトム

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 子供の頃、怖いものといえば「下條アトム」だった。

 きっかけはある刑事ドラマ。
 細かいことは全く覚えていないのだが、ラストシーンで、刑事に追い詰められ、今まで善人の顔をしていた下條アトムがいきなり悪人顔になり、善意のふりをしてとして子供に渡していた人形(ぬいぐるみ?)を引きちぎって、中にあった盗品を出す、というものである。
 子供だったのでその下條アトムがとても怖かった。私は下條アトムをとてもよい人だと思っていたのに、その鬼のような形相が正体だったなんて。
 それ以来、下條アトムの顔を思い出しては怯えていた。何年間も。今でも、彼と二人きりになるのだけは遠慮したい。
 あのドラマが何だったのか知りたくてWWWで検索し、その結果、「太陽にほえろ」の「審判なき罪」(74.11.8)じゃないか、とあたりをつけているんだが。下條アトムの顔のカットの付近に露口茂がいても不自然じゃない感じがするからだ。しかし、下條アトムの顔しか覚えていないってのも不思議だ。あまりあのシーンを思い浮かべると具合が悪くなるのでこの辺で。

 ちなみに下條アトム豆知識。アトムというのは本名で、「将来、姓よりも名前が先に呼ばれる時代が来るだろう、その時、最初に来るように」という理由で父親が命名した、と聞いたことがある。
 あまりのことでよく覚えているのだが、じゃあなぜ「あきら」じゃだめなのか?

深夜学園大作戦/長谷川諭

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 長谷川諭を好きになったきっかけは少年ドラマシリーズの「明日への追跡」だったと思う。それまで子役として見かけていても大して気に留めていなかったが、SFジュブナイルではとても引き立つ謎めいた顔立ちだった。顔立ちの系列で言うと「なぞの転校生」や「幕末未来人」等の星野利晴と同じであったとしても、美少年かどうかという点で断然長谷川諭が勝っている(と当時思っていた)。
 長谷川諭ファンは当たり前のように近くにいなかった。私は誰とも共有することもできないまま、彼の出演情報を収集していた。
 中学生の頃新潟は民放が2局しかなく、1つはTBS系列、そして、もうひとつはその他全部、だった。当然、TBS以外は放送してもらえない番組は多い。「ありがとう」シリーズは殆ど見れたのに、少年少女にとって重要な学園物などを健全に見ることはできなかった。
 長谷川諭が「ゆうひが丘の総理大臣」にクラスの優等生役で出ている、という情報は得ていた。ゆうひが丘と言えば中村雅俊主演の人気の学園ものだ。新潟では最初は放送していなかったが、少し遅れて、夜の11時半から放送され始めた。しかし、その時間枠では(中学生にとっての)深夜番組だ。学園物をそんな時間に見ろというのか?早寝早起きが信条のうちの親では、とうてい見せてもらえるはずがない。親が寝静まった後にこっそり起きだし、テレビのある部屋へ行き、イヤホンを使って見るしか手段はなかった。(ちなみに同枠で違う曜日に「プロポーズ大作戦」をやっていた。実はそれも同じ手段で後に見た。だって、なんだか楽しそうな番組だったから…)
 私は、ゆうひが丘ファンではなく、あくまで長谷川諭ファンだ。そんな親に隠れてテレビを見るなどという危険なことを毎回する必要は全くない。私はゆうひが丘の特集をしていた雑誌で「長谷川諭」メインの回を調べ、それを元に放映日を割り出した。
 私が見なくてはいけないのは、とりあえず第6話だった。そして、第20話。第6話は当時とても嫌いだった斉藤とも子(何故なら、長谷川諭の出演番組によくいるからだ)に長谷川諭が成績のことで嫉妬する話。第20話は「優等生と劣等生の熱い恋」というタイトルで、長谷川諭と藤谷美和子が恋愛をするという話だ。間違いなく遠藤君(役名)がたくさん見れるに違いない。私はとても期待してその放映日を待った。
 放映日。親は寝た。私も寝たふりをしてその時間を待った。うっかり寝入ってしまわないように気を付けながら、11時半になってTVの前に音をたてないようにして行き、イヤホンをセット。地方の深夜のコマーシャルの情けないことよ。
 第6話はあまり覚えていない。遠藤君が成績が落ちたことで陰険なことをする役だったからだろうか。もうひとつの20話の方は良く覚えている。ストーリーは(当然だが)藤谷美和子寄りで、かっこいい遠藤君を見せる番組ではもちろんなかった。優等生だから私服もかっこ悪く、成績が落ちたのがきっかけで恋が終わったようなこれまた情けない話と記憶している。でも、それでも私は、遠藤君がたくさん見れて嬉しかった。新潟以外に(おそらくきっと)住んでいるだろう他の長谷川諭ファンと同じように、彼を見れたのだから。

 その後にも主演回があった。その回はあるシーンだけ鮮明に覚えている。優等生の二人組がピンク・レディーを歌って踊るのだ。つまり長谷川諭が踊っていた。記憶はそれだけだ。夜中にがんばって起きて見たのに、あの姿はあんまりだ。

 ちなみに、この回のもう一人の優等生、岡村清太郎、ただものじゃなかったことに当時全然気づかなかった。また、高野浩之がゲスト出演したもあった。それはかなり後だったが、見落とさないように毎回サブタイトルをチェックした。やはり藤谷美和子と恋愛する話だった。長谷川君と高野君の夢の競演だった(はず)。

 「ゆうひが丘の総理大臣」が終了し、「あさひが丘の大統領」に長谷川諭は続投した。それを知ってとても喜んだ。優等生ではなく、いわゆる「ワルがき」の一人である。出番も多いに違いない。
 だが、優等生風だった髪型も役作りのためか劣等生風になり、見た瞬間「不細工」という言葉が頭をよぎった。実際、番組も人気が今一つだった。先生(宮内淳)のせいだといわれているが、長谷川諭は関係ないのか?

 長谷川諭を最後に見たのは土曜ワイド劇場だった。ストーリーも何も覚えていない。ただ、確か彼はベッドシーンを演じた。彼を見たのが久しぶりで気持ちが離れていたとはいえ、それはショックだった。少年ドラマシリーズの遠い目をする彼も、遠藤君も、もうどこにもいない。

 新潟という土地を大学入学とともに離れ、東京で一人暮しを始め、誰に何の気兼ねもなく自由にテレビを見ることができるようになった。ネットされていないという心配もない。そして、長谷川諭ファンだったこともいつしか忘れ、社会人になり、大学時代からの習慣で中古レコードを漁っていたある日、私は、中学生の頃、明星か平凡の歌本に載っていることを1度だけ見たことのある、彼の演歌のシングルを見つけた。「花がすり」(遠藤実作曲)である。
 懐かしさのあまり購入したが、1度も聞いていないし、多分これからも聞かない。

追記

  • 「優等生と劣等生の熱い恋」、新潟で放映されたのは1979年5月15日(火)であったようだ。
    (参考資料:中学2年の生徒手帳)
  • 1979年5月28日(月)コメットさんに長谷川諭が出ていたようだ。
    (参考資料:中学2年の日記)
  • 1979年8月18日(土)「熱中時代刑事編」に長谷川諭が出ていたようだ。
    (参考資料:中学2年の日記)
  • 中学1年の生徒手帳には、 長谷川諭のシングル「花がすり」の歌本の切りぬきが3枚、「若すぎた夏」の切りぬきが2枚挟まっていた。歌詞だけでなく、本人の写真がついているから持ち歩いていたのだろう。ちなみに、それら5枚の切抜きの裏は、「木ノ内みどり」「園まり」「岡崎友紀」「ザ・リリーズ」「加山雄三」だった。
  • 1979年7月21日(土)「スターアクション」に長谷川諭が出ていたようだ。(2001.7.3追記)

長谷川諭さんの情報があまりにもないようなので、昔の切り抜きに書いてあった情報を転記します。

質問:『つくし誰の子』(日本テレビほか)で活やくしている、長谷川諭さんのことを教えてください。
★本名 清水諭 昭和35年3月13日生まれ 中学三年生 身長163センチ 体重48キロ 東京都出身 家族はお母さんとふたりぐらし 劇団「若草」から芸能界へはいりました。
趣味はギターとドラムス。かなりの腕まえということです。もっぱらこの二つに、こっていてスポーツのほうはあまりやらないのだそうです。
 食べ物の好ききらいはありません。
 おしゃれなほうで洋服は自分でデパートにいって買ってくるそうです。
 好きなタイプの女の子は?という質問には、「まだ、女の人には興味ないなあ…」という返事。
 とにかく今は、高校受験で猛勉強中ということでした。
(2009.4.26追記)

【昭和スター倶楽部】プロマイドギャラリー 長谷川 論
(2013.1.8 追記)

白い顔の赤い月/高野浩之

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 高野浩幸か、高野浩之か。前者なら特撮ファン、映画ファンかなと思うし、後者なら同年代の人だ。(本当かな)
 もちろん同一人物をさしている。改名の理由は良く知らないが、この俳優さんは「バロム1」や「田園に死す」「なぞの転校生」、さらに、近年の特撮もの出演時は高野浩幸だし、少年俳優として活躍していた頃は高野浩之だった。というわけで、私の記憶の中では高野浩之。
 少年ドラマシリーズでは「なぞの転校生」と「赤い月」に主役で出ていた。「なぞの転校生」はもしかしたら私はきちんと見ていないかもしれない。資料の断片のような実感の伴わない記憶しかないからだ。また、「赤い月」は見たと思うのだが、丘の上のような場所で主役の2人が月を眺めているシーンしか思い出せない。小学生の時そろばんを習っていたので、少年ドラマシリーズを欠かさず見ることができなかった可能性もある。とすると、彼を好きになったきっかけはこれらのドラマではなかったようだ。高野浩之は、とにかくいろんなドラマに少年役でよく出ていた。そして、バイク事故でよく死んでいた、という印象がある。
 テレビを録音する、という事に関しては他で書いたが、テレビの写真を初めて撮ったのはこの人だ。「ナッキーはつむじ風」に、彼が一回だけゲスト出演をしたことがあった。どこから事前に情報を得たのか全く覚えがないが、カメラを片手に見ていたのだろう。自転車でこけるシーンなどがアルバムに貼ってある。

 当時、市立図書館でふと見た映画の批評本で「田園に死す」という名前の映画に彼が出ていることを知った。高野浩幸名義だったのと製作年からするとかなり若い頃(子供)である。あまりTV放映や新潟での上映を期待して探したりしなかったことから考えると、うすうすそういう類の映画でない事は気づいていたのかもしれない。無知なりに。
 大学に入学して私は東京に出た。ある時、この映画が上映されることを「ぴあ」で知った。しかも、同時上映は「無邪気な関係」というドラマで気に入っていた三上博史のデビュー作「草迷宮」ではないか。これは行かない手は有るまい。そんな動機だ。寺山修司の映画を見るのはもちろん初めてで、予備知識もなかった。
 映画が始まった。そこにいる高野浩之(浩幸)は、私の知っている彼よりかなり子供だった。で、よくわからないけれど、顔が白い。映画の批評本に載っていた写真を見た時から不思議に思っていた。どうして高野君は顔が白いんだ?
 映画の冒頭、高野君が彼の母親らしき女性に言う。
「かあさん、僕、かわかむりの手術を受けようと思うんだ」
 私は思った。「ふーん。この顔が白いのをかわかむりというんだ」

 結局その後、寺山修司の映画はたくさん見た。田園に死すも複数回見た。
 もう、かわかむりの意味は知っているから教えてくれなくていい。

追記

  • ナッキーはつむじ風放映日は1979年9月12日(水)のようだ。
    (参考資料:中学2年の日記)
  • 1979年8月1日(水)「明日の刑事」に高野浩之が出ていたようだ。
    (参考資料:中学2年の日記)

【昭和スター倶楽部】プロマイドギャラリー 高野浩之
(2013.1.8 追記)

あの人の今(1)/フリフリマン

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 「あの人は今」といった番組や、「恐怖の追跡」といったサイトを必ずチェックしてしまう哀しい性を持っている私であるが、検索エンジンで思いついた人名を入れて検索するだけでも、その人が今何をしているかがわかったりするものである。
 例えば、少年ドラマシリーズでおなじみだった星野利晴。数年前、彼が「天才てれびくん」に「フリフリマン」として出演しているのを見た。彼を見るのは「おれ達夏希と甲子園」以来であった。名前が「ほしのとしはる」(平仮名)と出ていたので、なに、と思って顔をじろじろ見ると、顔の上半分は覆面をしているが、特徴のある口元はあの星野利晴以外は考えられなかった。早速Webで検索。星野利晴本人のページが存在した。略歴も載っており、現在はダンスを教えているということがわかった。「フリフリマン=なぞの転校生」である! この事実はメールを使って、友人関係にかなり言いふらしたが、殆ど誰も感動してくれなかった。

最近、少年ドラマシリーズのサイトで、やっぱり星野利晴と良く一緒に出ていた「沢村正一」が現在プリンセステンコーの弟子であるというのを読んだ。そっちのほうがすごいか。


あの人の今(2)/学研アイドル

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 続いて、中山圭子。彼女は、私が買っていた中1コースの表紙モデルをしていた人だ。表紙モデルをしていた頃は「中山圭以子」という名前だった。私は、毎号違う表情を見せる、彼女のつるんとした肌に憧れていた。顔立ちはちょっと知的な感じで、学研の雑誌に相応しい美少女だった。
 彼女は、名前は失念したがある俳優の娘で、後にシングル「パパが私を愛してる」でデビューした。彼女がテレビでその曲を歌うのを見た時、その「パパ」が特別ゲストに呼ばれていた。歌う映像とそれを見つめるパパの映像が交互に組み込まれ、気に入っていた人だっただけに、その演出や企画にがっかりした。歌番組に出ている他のアイドルの中に入ると、学研の表紙を任せられるようなまじめな感じが災いし、今一つ華やぎに欠ける印象は否めなかった。結局彼女はシングルを2枚リリースして、その後はテレビで見かけることはなかった。
 彼女の名前を検索したのは、あの曲がCD化されているかを調べたかったからである。歌手時代が「中山圭以子」だったような気がしていて、そちらの名前で検索した。すると、思いもよらなかったようなページが検索されて出てきた。童謡関係だ。現在、童謡歌手として活躍しているらしい。現在の写真も見ることができた。学研の表紙を思い出させる表情。私が抱いていた健全なイメージが貫かれてとても嬉しかった。

【昭和スター倶楽部】プロマイドギャラリー 中山圭子
(2013.1.8 追記)