瀬戸ワンタン

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 少し前の話になる。友人の夫が、テレビで「瀬戸の花嫁」ミニ特集を見たときに、
「瀬戸わんや、日暮れ天丼」
と歌いだしたという。友人は「瀬戸ワンタンだよ」と訂正したが、「そんなのないよ」と逆に夫に反論されたという。
 瀬戸わんやバージョン、私も初耳だった。瀬戸の花嫁といえば、瀬戸ワンタン、日暮れ天丼、(以下、味噌ラーメン、エビフライ)など、食べ物でまとめられている、という認識だったから、少し驚いた。

 その話を聞いて、私は早速検索をした。キーワードは「瀬戸ワンタン 日暮れ天丼」である。検索結果は41件だった。(注 2002年10月10日再検索結果 33件)
 一方、「瀬戸わんや 日暮れ天丼」は2件だった。
 「世間では圧倒的に瀬戸ワンタンの方が普及しているようだ」と友人に報告したが、どうもやはり腑に落ちない。なんで、瀬戸わんやなのに、日暮れ天丼なのだ?瀬戸わんやなら、後全部人物で続けるべきではないか?
 私は、ふと思いつき、「瀬戸わんや 日暮れ」で検索してみた。そして謎は解けた。「瀬戸わんや、日暮れてんや」というバージョンがHITしたからだ。
 このてんやわんやバージョンと食べ物バージョンがミックスしたのが友人の夫の歌ったものなのであろう。

 ところで、そのとき、私は人名編を完成させようと試みた。

瀬戸わんや、日暮れてんや
夕波こな三田寛子
あなたの島江田五月
お嫁に行く野沢那智
若い戸田菜穂
誰もガガーリン
心配するけれDonDokoDon
愛があるかラモス瑠偉
大丈夫な能瀬慶子

・DonDokoDonにするべきか土井たか子にするべきか?
・江田五月にするべきか江藤潤にするべきか?
・ラモス瑠偉にするべきか乱一世にするべきか?
・戸田菜穂はキャラクタ的に弱いか?
等と友人に相談すると、
エマニエル坊やは入れられないか?若い殿山(タイジ)はどうか?等考えてくれた。

 普及はしなさそうだ。

パパイヤ・パラノイア

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 どんなところに出会いがあるかわからない。学生時代の私にとって最も重要なバンドとのそれは、突然にやってきた。

 1984年のある深夜、何の気なしに見たとある番組。それは「ポプコン関東甲信越大会」であった。
 ポプコンと聞いて、人は誰を一番最初に思い浮かべるであろう。
 円広志?伊藤敏博?アラジン?あみん?
 その中の誰の曲を思い浮かべても、「おお、ポプコン」と納得させられる。その当時、私はすでにポプコン系とでも呼ぶべき歌にときめきを感じることは無くなっていた。多分その番組を見ていたのも、他に見るものが無かったからだろう。
 出演していたバンドの中に、「パパイヤ・パラノイア」という人たちがいた。その人たちが歌ったのは「貴婦人の散歩」だった。ポプコンである。他の曲はかなりポプコンらしい曲だったのか、何も覚えていない。だが、パパイヤパラノイアのその歌は、石島由美子の鬼気迫る歌唱も、曲調も、他の曲からかなり浮いていた。パパイヤ・パラノイアは、関東甲信越大会グランプリを受賞した。ちなみに全国大会のときは彼女達は入賞もせず、グランプリはTOM・CAT。当時憤ったな…。

 私はその番組を見終わった後も彼女達のことが忘れられなかった。もう一度あの歌を聴きたい、と思った。もしかしたら、ライブ活動をしているかもしれない。私はそれまでは読み飛ばしていた「ぴあ」のライブハウス情報を目を皿のようにして読んだ。パパイヤ・パラノイア、パパイヤ・パラノイア…。お、あった!
 私が見つけたのは、吉祥寺の「曼荼羅」というライブハウスの出演スケジュールだった。偶然にも、私の住んでいた土地から比較的近い場所である。新潟から上京してきたばかりで、ライブハウスにバンドを見に行ったことなど一度も無い。が、吉祥寺なら行ける、行って構わない、ような気がした。

 とにかくなにもわからなかったので、曼荼羅に電話をして前売りの有無を確認したりした。結局前売りは無かったのか覚えていないが、あらかじめ手に入れなかった。ライブ当日、私はチケットが買えるか不安で不安で、可能な限り早めにライブハウスに行った。吉祥寺駅を井の頭公園の方に降り、曼荼羅があるはずの場所に向かって歩いた。その途中、反対方向へ行く4人組の女の人たちとすれ違った。それはまさに、テレビで見たパパイヤ・パラノイアであった。彼女らは、普通に穏やかに歩いていた(ってあたりまえなのだが)。
 ライブハウスの前には、数名が立っていた。まだ並んでいる人が少ない、と、ほっとしながら近づくと、その人たちの一人が話し掛けてきた。「お客さん?」「はい」「チケット買わない?」
 「だめだよ」別の人がその人を制止した。「パパイヤ・パラノイアさんのお客さん、だよね」
 どうやら彼らは客ではなかった。もう一組の出演バンド「生きる」の人たちだったようだ。
 ということで、とどのつまり、並んでいる客はいなかったわけである。その声をかけてきた人たちに「もう開いているよ」と言われ、おそるおそるライブハウスの中に入ると、結局客はまだ誰一人来ていなかった。
 あれ?客がいないって…?
 テレビで見て押しかける人がいっぱいいると勝手に予想していた私は、その思いもよらぬ状況に拍子抜けしつつも、言いようの無い不安で押しつぶされそうになった。私は、店の人にお金を払い、一番前にぽつん、と一人座った。
 なんだか落ち着かなかった。電車で読むためにもっていた本を読んで必死で待っていると、そのうち、パラパラと人が来始めた。
 だが、ステージかぶりつきで最前列で見ようとしているのは私だけで、他の人は少し後ろの方に控えめに座る。
 うわ、ライブハウスってそうやって座るんだ!失敗した!
 私は恥ずかしくなりながら、ただひたすら本を読んで待った。

 ライブが始まった。さっき道で見かけたパパイヤ・パラノイアがステージ横から出てきた。コンサートのように、出てきた瞬間に拍手喝采総立ち、ということはもちろんなく、彼女達は静かに出てきて、黙々とセッティングをする。そして、演奏が始まった。
 どの曲をやったのかははっきり覚えていない。私は彼女達に限らず、ライブハウスで生演奏を見ること自体が初めてだった。大ホールでない、小さいライブハウスで聞く生の音。私は、あまりの迫力に体の内側から震え上がるような感覚を覚えた。何曲演奏してくれただろう。もう、そのライブはあっという間であった。が、何ゆえ初体験なので、固まって見ていただけの、「のりの悪い気取った最前列の客」だっただろうと思う。
 パパイヤパラノイアが終わってぼんやりしていると、次にさっき私に入り口でチケットを売ろうとした人たちが出てきた。ボーカルのお兄さんはチケットを売るのを制止した人だった。バンドの雰囲気は、なんというかこう、なんとも個性的、なようなバンドだった(すいませんね、覚えてなくて)。ボーカルのお兄さんはいろいろステージ狭し(かなり狭いが)と動き回っていた。私は、何故か彼が時々こちらをうかがっている気がした。「何だろう…」と思ってふと自分の足を見ると、彼が客席側へ行くための通路を、私の組んだ足がふさぐ形になっている。
 慌てて足を組みなおすと、お兄さんは、やった、という感じで、その通路を通り、ライブハウスの後ろまで行き、その後客席狭しと動きながら、歌った。

 私はそのライブがきっかけで、パパイヤ・パラノイアのライブで行ける範囲のものには欠かさず足を運ぶようになった。純粋にもう一度見たかった。聞きたかった。聞くためにはライブへ行くしかなかった。
 どこまでも、どこまでもついていくよ。
 そう思っていたはずの私であったが、結局彼女達がレコードを出したりして、どんどん動員が増えて行った頃からいつしかライブに行けなくなっていった。ライブの回数が増えて追っかけきれなくなったのか、他の客のノリに耐えられなくなったのか…。

 石嶋氏の作詞活動、ソロ活動を経て、新しいメンバーとで活動再開して再度メンバーも変りつつ、2002年6月現在も活動中。
 石嶋さんが音楽活動をしているということがわかるだけでも何だかとっても嬉しいので、パパイヤ・パラノイアのメールマガジンを購読している。2002年6月現在、新生パパイヤ・パラノイアのCD、一つも買ってないんだけど。

イエロー太陽'S

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 私は素人が参加するタイプの番組があまり得意でない。だから、イカ天(イカすバンド天国)も殆どビデオに撮り、早送りをして見ていた。出てはいけない人たちをリアルタイムで見て許せるような寛大さがなかったし、審査員が絶賛しようが、普段聞かないようなつまらないまともなロックを全部聞く気もしなかった。最初の部分だけ聞いて、早送り。でも、ほぼ毎週なにかの事故が無い限り見ていた。
 イカ天関係のバンドでその後ライブを見に行ったのは、記憶にある分では人間椅子とこのイエロー太陽'Sだけである。イカ天のイベントも、イエロー太陽'S目当てで行った。イエロー太陽'S一押し!と言えるほど熱烈ではなかったが、こそこそとライブ情報で探したり、歴代イカ天キング、という文字を見ると知らず知らずイエロー太陽'Sを検索していた。
 どこに惹かれたのか…。当時審査員がよく「曲がキャッチー」と形容していたように、確かに曲が好きだった。「赤いチョコレートの下で」も「日曜日のハレルヤ」も。あとはボーカルのクールな顔立ちと声、だろうか。
 イカ天後期に再登場したが、その回はテープが足らず録画に失敗し、残念ながら彼らの歌の部分は見ていない。だから何を歌ったのかさえ知らない。

 1991年の夏、雑誌のCDの発売リストの片隅に、「イエロー太陽'S」の文字を見つけた。私はそこに書いてあった発売日を心待ちにし、CDを買いに行った。が、どこにもなかった。何件か回った後、店の人に問い合わせ、発売日が微妙に違っていたことを知った。そして、数日後、そのCDをようやく手にした。それが VMCH-1024「僕の心はバイオリン」である。
 このCD、音が薄かったり曲順が歌詞カードと違ったり、なんとも「手作り」な一品である。だが、私がこっそり贔屓にしていたイエロー太陽'Sの名前で売っていた唯一のCDなんだから、それはそれでよいのだ。

 さて、先日ゲストブックにこのバンドについて書いてらした方がいたので、メンバーの方々の名前で検索をしてみた。CDを発売した時点でメンバーとして書かれているのは次の方々である。

◆服部正俊 Vocal, Harmonica
◆KONTINO (今野潤一郎) Guitar,Sax Vocal
◆宮崎圭介 Bass, A. Guitar
◆古屋敷正巳 Drum, Percussion

 今野潤一郎さんは「今野潤一」名で、つるの剛士のホームページで友人、バンド仲間として載っていた。元イエロー太陽'Sとも書いてあるし、写真からも間違いない。
 宮崎圭介さんは、現在 the B-Street'sのギターで、「弦遊亭ギター教室」の講師もやっている方がご本人ではないかと思われる。写真の顔立ちからもおそらくご本人だと。
 古屋敷正巳さんは鹿児島県曽於郡大崎町の建設会社の代表の方の名前と同じだ、ということだけわかった。ご本人かは全く不明。
 そして、ボーカルの服部正俊さん。このお名前で検索するとほんの数件しか引っかからない。が、その中に、ある子供向けCDの中で、「歩いて帰ろう」を歌っている人の名前があった。早速Amazonで検索すると、3枚のCDが検索結果として表示された。全て97年ごろに日本コロムビアから発売された子供向けオムニバスCDである。そして全て「歩いて帰ろう」が収録されている。
 ご本人だろうか?
 実は私はそれを見て絶対本人のような気がした。何故なら、あまりにもこの歌とイメージが重なるのだ。頭の中で、イエロー太陽'Sのボーカルで歌をそのまま容易に置き換えられる。
 私はどうしても聞きたくなり、全曲オリジナル音源ではない、きっと子供だったら「TVと違うよー」と泣き出すかもしれない、オムニバスCDの1枚を購入し、その曲だけ聞いた。
 おそらく、ご本人だろう、と思う。私が勝手に頭に思い描いた歌声より若干細くて不安定な気もしたけれど、名前が同じでこのボーカルならきっと間違いない。私は、斎藤和義さんのオリジナルよりも断然このCDに収録されている「歩いて帰ろう」が好きである。
 実際これを歌っているのがご本人だとしても、今何をなさっているか、どういう経緯でこの曲を歌ったのかは全くわからないままではあるが、私はこの曲を聴いて再会できたような気持ちになった。

じいさんが走るドラマ

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 佐々木倫子の「Heaven?」3巻に載っていたセリフ「伊賀君、きみはじいさんに弱い」を読んで思った。私も多分じいさんに弱い。

 10代の頃、私はあるドラマのあるシーンを思い出すと必ず泣けた。だが、そのドラマを私は一度も完全に見ておらず、タイトルも知らなかった。ストーリもおぼろげで、完全に覚えているのはワンシーンだけだった。
 覚えていたストーリはこんな感じだ。じいさんとばあさんがいる。そして若い男女がいる。じいさんは病気で体が不自由。じいさんはその若い男の人を自分の息子だと思っている。だが、彼が自分の元を去ろうと出て行ったとき、じいさんは「うーうー」と唸りながら追っかけていく。で、死ぬ。
 私がはっきり覚えていたのはそのじいさんが追っかけていくシーンだけで、他の出演者が誰だったかとかさえ印象に無かった。じいさん役の俳優の名前も知らない。だから、私は自分の中で勝手に、「じいさんが走るドラマ」とそのドラマにラベルをつけていた。

 そのドラマはNHKで放映され、当時何度か再放送されていた。休みの日の昼間、ふと家族がつけていたTVドラマを見て、「あれ、これ、じいさんが走るドラマじゃないか?」と思っていると、実際その記憶のシーンが出てきたりした。
 また、NHKで老夫婦もののドラマが再放送していると「これ、じいさんが走るドラマか?」と恐る恐る見て違っていたりということもあった。

 最近はもうそのドラマの再放送も全く見かけなくなり、記憶力の無い私の頭からは完全にその「走るシーン」以外は抜け落ちていた。だが、先日何気なくテレビ欄を見た瞬間、ものすごく懐かしい気持ちになった。キーワードは「極楽家族」「ミヤコ蝶々」。そうだ、ばあさんはミヤコ蝶々だった。じゃあ、もしかしてこれはあの、思い出しては泣いた「じいさんの走るドラマ」か? これは絶対確認しなくてはならない。そしてあわてて、その深夜のNHKアーカイブで放映された「極楽家族」を録画した。
 が、ビデオの時計が狂っていたのか、録画は途中で切れていた。そして、それも何の因果か、じいさんが走って倒れたところで切れた。
 じいさん役は「若宮大祐」。今度こそ覚えた。

 余談だが、「極楽家族」の主題歌は岸田智史の「つづれおり」。当時、このシングルレコードも買って持っていた。そこまで入れ込んでいたのに、しかも歌詞カードに「極楽家族」テーマと書いてあったはずなのに、「じいさん」しか覚えられない自分が情けない。

黒幕

 私が18才まで住んでいた新潟県は民放が少なかった。高校生くらいになると、日テレ系、テレ朝系のテレビ局が開局し状況はかなり改善された。しかし、テレビ東京系列は無いので、土曜や日曜の昼間にテレビ東京の主力番組を見ることになっていた。
 で、ある番組を私は勝手に「テレビ東京系列」と思いこんでいるのだが、定かではない。その番組はバラエティで、出演していたメンバーは、記憶では「三田寛子、コント赤信号、坂上とし恵」である。主題歌はソフトクリームの「熱帯魚のタキシード」である。
 新潟ではたぶん土曜の午後くらいに不定期にかなりいいかげんに放映されていた。私は好んで見ていたが、新潟県民のどれくらいの人が見ていただろう。番組名がまたよく思い出せないのだが、「冗談テレビ」とでもいったものすごく適当なタイトルだったような気がする。
 なんでこの番組が忘れられないかと言うと、最終回を楽しみにしていたのに見られなかったからである。私の過失だったのか、ある回でいきなり新潟で「終」マーク付きで打ちきられたのかはよく思い出せない。
 バラエティの最終回を何故楽しみにしていたのか。それには理由がある。
 その番組には「悪の黒幕」がいた。ほとんどが三田寛子やコント赤信号や坂上とし恵などによる呑気なお茶の間コントで構成されていたにもかかわらず。
 そして、その悪の黒幕、正体を明かさないのだが、声が明らかに坂上とし恵だった。お茶の間コントちょい役出演の坂上とし恵が黒幕でした、と、どうやって持っていくのか、それとも、持っていかないのか。なんだかとても興味があった。

 ということで、私は何を知りたいかというと、「番組名」と「黒幕は、坂上とし恵だったんですか?」ということ。2つ目の質問は少し恥ずかしい。

番組名はテレビ東京「テレビほとんど冗談」のようですね。数年前まで覚えていたようなきがしてきた。(2001/12/14)

あいちゃん

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 テレビを見ていて、ふとこの人はあの人に雰囲気が似ているなー、と思うことがある。が、回りにそういうことを話す人があまりいない。そんなとき、検索をしてみることがある。はたして私の感覚は一般的なのだろうか?

 「辻希美 七瀬なつみ」
これは、何人かの人が書いていた。私の感覚は割と一般的だったようだ。

では、
 「加護亜衣が将来、竹内都子のようになったらどうしよう」
という不安を持つ人は世間にどれくらいいるのだろうか?

 キーワードをまず
「加護亜衣 竹内都子」
で入れてみる。その内容ではヒットしない。
 だが、竹内都子、とフルネームで出ていない可能性が高い。
「加護亜衣 ピンクの電話」
「加護 みやちゃん」
等、変化させてさらに検索。その結果、そういう不安を抱いたことのある人は、世間に数名はいるらしいということがわかった。(2ちゃんねるのログばっかりだったが)

 加護さん、奈良から、かげながら応援しています。

ヒッキー

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 知人の凡さんが「ヒッキーって誰?」とホームページで書いていたことがあった。答えは明らかである。しかし、もしかしたら、引っ掛けかもしれないし、試されているのかもしれない。
 とりあえず、他に思いついたものをgoogleでキーワード検索してみる。
 「ヒッキー 引田天功」
 検索してみるといくつかヒットした。この回答には、もう、手垢がついていることがわかった。次。
 「ヒッキー 比企理恵」
 しかし、これも当然のごとく誰かが使っていた。この二つは書かない方が良いと判断。
 次を考えたが、引田智子しか思いつかない。
 「ヒッキー 引田智子」
引田智子をヒッキーと主張するページはさすがに無かった。私もこんな、意固地な80年代アイドルファンのような事は恥ずかしくて書けない。
 結局、なんの反応もしないことに決めた。

 もしかすると、次に来るのは、「タッキーって誰?」かもしれない。とりあえず、勝手に質問の答えを用意をすることにした。
 「タッキー 加藤タキ」
1件ヒット。ちっ。
水の江滝子、多岐川裕美…。そうだ、あの人がいた。
 「タッキー 滝田ゆう」
これも、2ちゃんねるのログがヒットしてしまった。
しかし、滝田ゆうって、この場合、どうなのだろう…。

調査中/湯沢紀保

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 以前、資料として昔の日記を読み返してみたことがあった。特に中学2年生の日記はテレビの記述が多く、いかにテレビが生活の中で重要な位置を占めていたかがわかる。
 しかし、もうかなり昔のことであるため、読み返しても思い出せないことがいくつかあった。思い出せないものひとつに、湯沢紀保氏に関する以下のような記述がある。
「 7月28日(土)どばっとあめ
 ふー。さっき「サチコとアキラの出産記」みたのら。「愛ってなんですか?」をみたのらけど、先週もみりゃよかったなー。湯沢紀保君がかっこいいかったんなもん。かんげきしちゃったしサ。えがったえがった〜!」
以上、原文まま。(恥)
 もちろん名前は見覚えがあった。が、顔がどうしても思い出せないのである。思い出そうとしても、頭に浮かぶのは、大鶴義丹の顔である。打ち消して再度思い出そうとしても、今度は岡村清太郎の顔が浮かんでくる。
 困ったときは検索するに限る。が、どこにも顔写真のあるサイトが発見できなかった。

 とりあえず、資料としてこんなものを作成した。(参考:TVドラマデータベース、および、googleで「湯沢紀保」というキーワードにヒットしたページの皆さん)
 これを足がかりにして、湯沢氏の顔を思い出すべく調査を続けたいと思う。



天使の輪/三田寛子

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 私は三田寛子はごひいきにしていた。ということを初めにお断りしておく。
 彼女が仙八先生に出ることになって雑誌に取り上げられているのを初めて見たとき、「少し変わった顔…」と思った。私が典型的なアイドル顔と思う顔立ちとは違った。少し間延びしている。
 この人はきっとこれからアイドルとしてやっていくはずだ。歌手デビューするかもしれない。でも、そんな華やかな世界でやっていけるんだろうか?
 仙八先生はさとう宗幸という人が苦手でたまにしか見なかったが、チラッと見た限り、役どころは彼女にあっていて、確かに他の生徒から比べたら美人であるような気がした。ほかの生徒に問題があるのかもしれないという気がしないでもなかったが、美人という設定は無理がある感じはしなかった。
 一言で言うと、彼女は地味である。三田寛子、というのは芸名であるのに、とても芸名とは思えない地味さである。よく、「陰気」という言葉を当てられていた。だが、「モモエ路線」と言われる人とも少し違っている。三田寛子は威嚇してこないし、ぜんぜん怖くない。
 クラスか学年に一人はいるかわいい子、と言われるアイドル(おニャン子クラブやモーニング娘。のような)はたいてい雰囲気が明るい。知的な優等生タイプ、といわれる人は、髪の毛が長い、もっとわかりやすい美人だ。
 じゃあ、三田寛子は?
 私は彼女は、「いじめられやすい優等生タイプ」だと思った。ドラマの役と同じか?単純…
 そういうタイプの人は、どうもほうっておけない。私は、応援せねば、と思った。

 歌を聴いた。「駆けてきた処女」。
 レコードジャケットが素晴らしい。三田寛子はこうでなければ、というジャケットである。
 歌唱のたどたどしさも、ちょうどいい。何回も聞きたい歌ではないけれど、三田寛子が歌を出すならばこんな感じ、というイメージどおりの歌だった。
 デビュー曲と同じ阿木燿子・井上陽水によるセカンドシングル「夏の雫」は、デビュー曲以上に好きだった。歌唱力のあるなしに関係なく、面白い歌が歌えるのだ。「曲に恵まれる」ってこういうことか、と思った。逆に、三田寛子はどうがんばったってインチキ井上陽水風に妙な抑揚をつけて歌うこともない、そういう意味では安心して聞けて、よかったかもしれない。しかし、それ以降はカバー曲や陰気な歌、歌唱力がないときつい歌、などばかりで、残念でした。

 仙八先生のあとに出演したドラマNHK「いつか来た道」はとてもよいドラマだった。親とドラマを見るのはいちいち途中でコメントが入ってうるさいので、こそこそとテレビを自分の部屋に運び込んで見ていた。ドラマの内容はかすかにしか覚えていない。戦争のころ国広富之に恋心を持つような話だったかな。アンハッピーエンド。とにかく、一番最初に「三田寛子」の名前が出たときに「じーーん」としたことと、最後に三田寛子が厳しいちょっと暗い顔で歩いていたシーンがあったことはよく覚えている。もちろん、「激愛、3月までの…」も見た。ノーコメント。

 さて、応援していたからこそ、私は評価は厳しかった気がする。初めて見たとき硬直してしまったのが、「天使の輪」である。何で三田寛子をこういうシャンプーの有名シリーズに持って来るのかー。彼女はもっと使い方があるだろうがー。つくりゃいいいってもんじゃないんだ。輪を。

「よい子の歌謡曲 Vol.1,2」  オムニバス

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Vol.1

1. 初恋のメロディ/小林麻美
2. 気ままなジーナ/松尾ジーナ
3. ユーアーセクシー/フィーバー
4. ミスター不思議/川島恵
5. 5つの銅貨/相本久美子
6. 純愛/片平なぎさ
7. 絶交/三谷晃代
8. 恋のチャンス/ポピーズ
9. 想春賦/千葉まなみ
10. LOVE ME/マリリン

Vol.2

1. 涙の太陽/安西マリア
2. ひまわり娘/伊藤咲子
3. デジタルナイトララバイ/石坂智子
4. 年頃なのね/蔡 口米 口米(サイミーミー?)
5. 私は忘れない/岡崎友紀
6. ワル!(泣くのはおよし)/五十嵐夕紀
7. 緑の季節/山口いづみ
8. 好きよキャプテン/リリーズ
9. ラブ・ショック!!/マーガレット・ポー
10. 悲しみのアリア/石田ゆり

*このLP2枚は現在手元に無いため詳細は不明。(実家で保管)

 最近はアイドルのオムニバスCDを購入してばかりいる私であるが、一番最初に自分でオムニバスを買ったのがこの2枚である。おそらく1984年。当時、「よい子の歌謡曲」というミニコミ誌は、高いなあと思いつつも共感できる記事もあるので買っていた。冬樹社から出版された単行本も所有していた。
 レコードから少し話がそれるが、私はその単行本を初めて読んだ時すごく喜んだ。いろんなアイドルのレコードの感想が載っていたのだが、その中に、私の愛する金井夕子や、中島はるみの「シャンプー」などが取り上げてあったからである。その気持ちを伝えたかったのか、珍しく単行本に挟まっていたアンケート葉書を返送した。きっと「感動した」だの「とっても良かった」だの書いたのだろう。年齢性別職業欄から女子大生と推察される読者がそんな葉書を返送してきたことを奇異に思ったのか、冬樹社の人からある日手紙が届いた。「アイドル歌謡のどこがそんなに魅力的なのか教えてくれ」というものであった。私はアンケート葉書に書ききれなかった熱い熱い思いを便箋7枚くらいに書いて送った。何をそんなに書いたのかは全く思い出せないが。
 さて、このLPであるが、すごく期待して買った。が、聞いて少しがっかりした。どうも路線がミニコミ誌や単行本と違っているし、なにより、全体的に泥臭すぎる。ちなみに、東芝のオムニバスでは、その数年後に出ている「アイドルヒットパレード Girls, Girls, Girls」で選曲されている曲が断然私の趣味に合う。もちろん重複もしてるけど。

 このLP2枚は初めて買ったアイドルオムニバスで、最初にアイドルオムニバスの「ブランド買い」をしたものだ。ここが推すなら知っといた方がいいんだろうとか、そうはずれやしないだろうとかいった買い方。
 17年経ってもやってることがあまり変らない。