STORY前日

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明日STORYを見にいくので落ち着かない。新作の箱推し用メッセージうちわも作った。それでもまだ落ち着かないので、ダラダラ書いてみる。


去年の4月と5月、私は仕事を休んだ。コロナウィルスの影響で子供の小学校が休校になった人への助成金を会社が利用して、有給休暇を頂いたのだった。実情を言えば取引もほぼストップしていたため、オンラインで働くより休んだ方が会社のためになる。私は2ヶ月間、学校へ通えない娘たちと、ステイホームに忠実な生活をしていた。もともとインドアな私は家にいることは全く苦でなく、どちらかといえばそんな少し特別な時間を純粋に楽しんでいた。コロナ禍で現場やオンラインで働いている人たちには本当に申し訳ないような気持ちだった。

私の勤め先は「死の谷」を超えることのできない小さなベンチャー企業で、コロナ関係なく景気が良いことがない。日頃から社長たちは売り込みやスポンサー探しに全国を飛び回っている。職場に復帰してから、緊急事態宣言下で社長たちがどうしていたのか事務の人に尋ねると、「いつも通り金策にあちこち飛び回っていましたよ」と苦笑していた。それを聞いて、そうだよな、と思った。側から見たらなんでオンラインでやらないんだとか、県跨ぎの移動をするなと非難されるのかもしれないけど、彼らは会社を潰さないためにいつも必死だ。そのやり方があの時のベストだったのかはわからないし、自分本位だと言われてしまうのかもしれない。でも、結果、今現在も会社は潰れておらず、私は仕事をさせてもらっている。

なんで今更こんな話を書いているのか、というと、先日見た記事に、手越くんが活動自粛になった件を「緊急事態宣言中に不要不急の外出を繰り返したため」って書いてあるのを見たからだった。
不要不急かどうかなんて、本当は、その人の立場にならないとわからないことなんだよな。


今まで何度も手越くんについて感じたことを書き連ねてきたなあと思う。それだけ自分で思っていた以上に彼の退所で受けたダメージが大きかった。今も明日の準備のためグッズを開封して、娘のために買ったうちわを見て辛くなった。
去年もいろいろ書いたしもうかなりしつこい域になるけれど、STORYを見る前日である今、加筆しておきたいことを記録しておく。


去年の大晦日に手越くんのInstagramを読んだ時、彼の気持ちを理解したくて半年くらい観察を続け、ずっとあれこれ考えていた内容に、最後のピースがはまったような気がした。あれを読んだ時、ワイドナショーのコメントで中居さんが使っていた「火炎瓶」という言葉が頭に浮かんだ。
あの会見は100万人が見ていた。NEWSのファンは100万人もいないはずだから、ファンに向かって説明する場のなかった手越くんは、事務所を出て、まず、中居さんの言う「火炎瓶を投げ込んでいた」人たちを相手にしていたということなんだろう。

退所は彼が決めたことだとしても、あのタイミングで退所することになったのはいろんな要因での「結果」でしかなったのだろうと思う。結果を受け入れて進んでいる明るい前向きな部分や炎上と戦う部分、そこに色々な心情が混在しているようなわかりにくさは、確かにあった。NEWSファンは「流石にふざけないで」って言ってたけど、そりゃSTORYやりたいですかと聞かれればやりたいですと正直に答えるよなと思う。ネットで「STORYをぶち壊したのは一生許さない」「メンバーが好きだったらSTORYを放り出してやめたりしません」とか誰かがコメントしているのを見ると気持ちがどんよりする。


退所後テレビでの活動に制限を受けることが予想されるという、かなりシビアな道を選択したタレントは、個人事業主として自分一人で営業活動を進めなくてはいけなかっただろうと思う。去年の暮れに書いた日誌で彼の「飲みュニケーション」について触れたけど、基本的に人見知りなタレントの武器となる営業活動が「ともに飲んで距離を縮める」だったというのはなんとなく理解できる。仕事がなくなり時間はあるけど先が全く見えず、事務所を頼れなくなる未来が迫るというのはなかなかに辛いことだ。3月に退所しようとしている以上営業活動を止められたら死活問題だったかもしれない。

でもそれが本人にとって正当な営業活動であればあるほど、事務所として手に負えなかったということも逆に理解できる。あれだけコンサートが中止になって再開の見通しが立たず、事務所はかなり厳しい状況だっただろうと想像できる。あの規模のコンサートに関っている人の生活、抱えているタレントの生活に対する責任がある。退所を予定する3月まで彼は写真週刊誌に狙われ続けるだろうし、彼がまた今後写真週刊誌に載れば、一丸となってコロナ禍を乗り切ろうとしている事務所と事務所タレントの足元を掬われかねない。

その結果、あの早い時期の退所になってしまったのかな、などと年末年始つらつら考えていた。事務所にとっては、それはファンに語りかけることも形式的なエールも許されないくらいの大罪だったということか。

YouTube界の治安や数字に消耗しながらも、私はずっと手越くんを見続けている。彼の退所で受けた心理的なダメージは、「多少の失敗をしながらも仲間を増やしていく彼」というものを見ることでしか解決しないような気がしている。フクオカカウントダウンも、関西コレクションも見た。NEWSの華やかなステージとは違っていたけれど、たった一人で、歌だけでステージを成立させる力があるのは圧倒的な強みだ。私は特にフクオカカウントダウンでの「虹」と関西コレクションの「魔法の絨毯」が素晴らしいと思った。どちらも歌ってみた動画の内容を私の中では全然超えている。やっぱり凄いよなあ。


普段はもうすっかり平常心ではあるけれど、正直、時々、いろんなイバラのようなものを感じて胸が痛くなることがまだまだある。この辛さはなんなんだろうなあ。これからもずっと私はこの感情について考え続けてしまうんだろうな。


私が1番好きなNEWSのアルバムはリアルタイムでは知らない「LIVE」であることは以前から変わらないのだけど、歌割がどうのこうのハモリがどうのこうの言ってる割に、今、1番好きな歌は「クローバー」なのだった。それぞれの個性の違う優しさが溢れていて、私の好きだった4人が詰まっている歌。4人の最後のアルバムに、この歌があってくれてよかった。

明日、遂に3人のSTORYだ。それを見ることで、何かまた私の感情が揺さぶられるんだろうと思うけれど。

視聴行動

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私は以前ほとんどYouTubeを見ていなかった。唯一チャンネル登録していたのがQuizKnock。YouTubeの品質を信用していなかった私に、上の子が紹介してくれたチャンネルだ。クイズ王伊沢さんと同レベルの実力を持つクイズの文法を知り尽くした愛好者たちが、素人にはわからない技術でハイレベルな問題を解く。視聴者が置いてけぼりになったとしても、クイズ玄人の神業を堪能できる動画というのは確かに面白いし、需要がある。そしてなにより本人たちがとても楽しそうなのだ。QuizKnockを見ることで、YouTubeってこういうことなんだ、と少しわかった気がした。

そんなYouTube素人だった私も手越くんがチャンネルを開設したくらいから徐々に登録しているチャンネルが増えた。手越くんがコラボした人のチャンネル、下の子向けに登録しているチャンネルも含め、今見たら33チャンネル登録していた。でも、動画を全部見ているのは結局、QuizKnockのメインチャンネルと手越祐也チャンネルだけで、あとは動画によって見たり見なかったりしている。

私の視聴行動はこんな感じだ。

まず、手越くんのチャンネルはアップされる時間を把握しているので、その時間になると今日はどんな動画かな?と少しソワソワしつつ、割とすぐ見ている。動画の内容に対する再生回数の変動を観察すること自体が趣味になっているので、どういう動画なのかをまず確認する、といったところ。

一方QuizKnockは、いつアップされているのかは全く気にしていない。夕食の時に下の子と新しいのあるかな?と確認し、新しいものがあったら見る。だから、再生するのは夕食の時間帯、と決まっている。面白かったかどうかは自分の中にだけあって、動画の再生回数を気にしたこともない。明らかな告知以外のクイズ動画は確実に見ている。

それ以外で登録しているチャンネルをチェックしてみた。

お笑い系:「チョコレートプラネットチャンネル」「さらば青春の光official」「児島だよ!」「Drハインリッヒチャンネル」「東京03official」「ラバーガールofficial」

手越くんのコラボ相手系:「宮迫ですッ!」「川畑要のYouTubeチャンネル」「中田敦彦のYouTube大学」「藤森慎吾のYouTubeチャンネル」「ヒカル」

その他:
「新潮社」「東大寺公式チャンネル」「タキミカ公式チャンネル」「有吉の壁公式」「斉木しげるチャンネル」「Sia」「広瀬香美Offical」「クイズノックサブチャンネル」「ギャルリボーン」「マツケンTube」「宮崎美子ちゃんねる」「鈴木蘭々」「田中家ch」「ごとーのGENBA」「亮ちゃんねる」等。

こんなに登録しているけど、そこまで見ていないチャンネルも多い。私の中に多分、見る基準、のようなものがあって、それに引っかかると見る、という感じなんだろうか。

例えば、藤森さんのチャンネルだと、人気動画はバイクがらみのものやゲストとトークするものだったりするのだろうけど、その辺りは興味がないので全然見ていない。好きなのは藤森さんがカメラ側の「こじ」と語りながら一人で喋っている動画なので、サムネイルでそれと判断できるものだけ再生している。

斉木さんのチャンネルはただ斉木さんが娘さんと雑談しながらコーヒーを淹れて飲んでいるだけなので、私が家で作業をするような時、自分もコーヒーを飲みながらその時に一番新しいものを流している。おじいちゃんの家に遊びに行ったような感覚になる。

宮崎美子さんのチャンネルは語り口が上品なので、本の紹介をされているやつや、恥じらいながら荷物チェックを受けている動画をおじさんのような目線で見ている。

マツケンTubeはこのお殿様のような浮世離れ感が平和でいいな、と思いながら見ていたら、ある時急にチャンネル登録者が増えてギョッとした。検索してみたら年末のダウンタウンの番組にご出演になって自虐ネタをされたとか。その時は平和な空間が荒らされたような気持ちになった。

鈴木蘭々さんは一瞬やる気になったように思ったのに更新頻度が低くて残念。ギャルリボーンはとにかく金井夕子さんが可愛いに尽きる。

手越くんがジャニーズを辞めてYouTubeを始めたのをきっかけに、「ジャニーズを辞めた人」のことを意識するようになった。そして、ユーチュラのジャニーズタグから田中聖さんのチャンネルを見つけた。私が初めて見た動画では、彼は公園でバク転にチャレンジしていた。手越くんパロディのモーニングルーティーンも独特のセンスの良さを感じた。アイドルをしていた頃のいかつい感じしか知らなかったけど、YouTubeをちゃんと頑張っている感じに好感を持って、結局チャンネル登録をした。彼のチャンネルは家族と楽しげにしている動画と、雑談(ゲームではない)の生配信を見つけたときに主に見ている。

そして同様に、ユーチュラのジャニーズタグからたどり着いたのが「亮ちゃんねる・山本亮太」。私、この方のジャニーズ時代は全く存じ上げない。不祥事でやめたということや、YouTubeを始めたときに批判されているのをうっすら知っている程度だ。初めて見たのは100の質問に答えている動画で、それを見て、この子面白いな、と思った。私は元々を知らないので、反省が足りないとか、グループの名前を出すなとかコメント欄で書かれていても、申し訳ないくらいに全くピンとこない。そしてなんとなくダンス動画を見たらすごく上手い。これだけ踊れるし可愛い顔をしているし、なんだか呆気に取られるほど明るいし、頑張ってほしいな、と思いチャンネル登録をした。
そのチャンネルのダンス動画の中で、バイオリンを弾いている人がいて、それが後藤くんだった。この子もジャニーズだったのか、バイオリンを弾けるジュニアなんていたんだ、へえ、と彼のチャンネルを見てみたら、バイオリンの多重録音をしている動画があり、それを気に入ってチャンネル登録をした。
山本くんのダンス動画は確実に再生するし、後藤くんはバイオリンを弾いているところを探して見たりする。

話題になっているからチャンネル登録したけれど、結局ほとんど見ないまま登録解除をしたものもある。今解除していないチャンネルは、活動状況を確認するためどんな動画を出しているのかはチェックしたいし、面白そうだったら再生する、という位置付けなんだろうと思う。

私の夫はかなりYouTubeを見ている。話を聞いていると宮迫さんやカジサックの動画をほぼ見ている気がするけど、誰一人チャンネル登録をしていないらしい。チャンネル登録をしなくてもホームに出てくるからそれを見る、と言っていて少し驚いた。
そういう人結構いるんだろうか。

私はレコメンドが嫌いで、人の嗜好を勝手に決めつけて勧めてくるなや、と思う方なのだけど、私のこんな視聴行動から、アルゴリズムは一体何を勧めてくるんだろう、と気になったりするので、時々はホーム画面も見る。

今見たら、武田真司さんや、加藤茶さんの奥様の動画があったけど、その辺りが好きそうに見えるということか。

レモネード

明日からいよいよSTORYツアーが始まる。

大阪城ホールのチケットが取れたのは何年ぶりだろう。最近は毎年外れていたので、大阪公演の時は下の子と大阪城公園に雰囲気を確認に行き、グッズを買って帰るのが恒例だった。グッズ列に並んでいる時、後ろの二人が自分の推しでないメンバーの悪口をヒソヒソ言っていて不快だったことがあったけど、今思うと些細な出来事だ。

NEWSへの応援に、1人への憎悪が一体化してしまっている光景が受け入れられなくて、私は去年NEWSファンの観察をやめた。人と好きなものを共有した経験があまりなかった私が、手越担の二人の娘と一緒にコンサートで多幸感を共有したあの時間は、人生における大切な彩りだった。そんなかつて味わったことのないキラキラした時間をくれた人である手越くんに、私と同じようにNEWSを好きな人たちが冷たい感情を隠さないこと、そしてあの4人の時代を否定されることがいまだに耐えがたい。4人での新しいパフォーマンスが見られないのは仕方ないとしても、もう公にその時代の素晴らしさを肯定されることがないことにふと気づくたび胸が締め付けられる。

3人に対して「人数が減った」といういじりをされるのが好きでないのは、手越くんをタブー扱いして面白がる空気が苦手だからだ。そして、あいつの話題を出すな、と反応するファンも見たくないからだ。私はどうしたら3人のNEWSとそのファンの絆を純粋なものとして受け止められるようになるんだろうと思うのだけれど、とりあえず今はファンを見ないという方法で自衛をするしかない。
会場や最寄りの駅で、極力ファンを見ないでいれる方法を、今から考えてしまっている。

自分でも解決できていない心情があって、STORYがそれを解決してくれるのではないかとも期待しているけど、彼ら3人はその場にいる人たち全員の心を受け止めようとするのかもしれない。憎しみを抱えている人の心を彼らはどう解放するのだろう。


下の子が以前、「偉人のことば」という本を読みながら「これ、好きやねん」と言って教えてくれたカーネギーの言葉がある。それは、
「運命がレモンをくれたら、それでレモネードをつくる努力をしよう」
というものだった。

酸っぱいレモンを甘いレモネードにする。運命が困難を与えたら、諦めたりするのではなくて、その状況で最高のものを作る努力をしよう、という言葉だ。
3人のSTORYはまさにそれなんだろうと思う。きっと彼らは最高の時間をつくり上げるために力を尽くしてくれている。

STORYという甘いレモネードが、誰かの憎しみを少しでも解放してくれますように。

「手越チャンネル見てたらAWS使いたくなった」のその後。

「AWS Lambda上のコードを定期的に動かしAWS S3上に手越祐也チャンネルの全動画のタイトルと再生数と高評価数と低評価数とコメント数をCSV形式で保存する」

というところまでできたことで満足して、3ヶ月放置していた。そうすると、AWS S3上に1時間に1回、どんどんCSVファイルが増えていくことになる。自分のノートパソコンでもプログラムを予備で動かしているので、たまにそれをのぞいたりはするけれど、複数データに渡って解析をしてみることはあまりなかった。なぜなら、独立したCSVファイルをいくつも開いて解析をするのが単純にめんどくさいのである。

「これは、元記事にあったように、データベースを活用するしかない」
と思ったのだが、これもやっぱりいきなりAWSのデータベースを使うのは敷居が高い。そこで、まず自分のパソコンでテストしてみることにした。

以下のサイトを参考に自分のノートパソコンにMySQLをインストールした。そもそもそこからだった。
MySQLの開発環境を用意しよう(macOS)

インストールが完了してから、MySQLを起動し、データベースを作り、動画情報用のテーブルと、データ記録用のテーブルの二つを作った。(作り方等すっかり忘れていたので諸々検索して解決)

さて最初に、すでにある大量のCSVファイル(※S3からパソコンへダウンロードした)から、テーブルに登録するためのCSVファイルを作成する必要があった。1時間に1回記録していたファイルは、「videos_report20201208_000051.csv」のように日時がファイル名になっているので、そこから記録日時を起こしてCSVに入れないといけない。その作業はこの辺りを参考にしたような気がする。
【Python】複数のファイルを読み込んだデータフレームに該当ファイル名を入力する

あとは正規表現のモジュールreを使わせてもらった。こういうファイル整形は泥臭いけどできると楽しい。こうして、あるフォルダにいれた大量のデータファイルからデータ記録テーブル登録用の1つの大きいCSVファイルを作ることができるようになった。そして、それをテーブルへ登録するところも、次の記事を参考にしてプログラムに組み込んだ。
PythonでMySQLに接続する方法【初心者向け】

これで過去データは登録できた。だが、1時間ごとに増えていくデータをリアルタイムに登録できないとあまり意味がない。それに関してはデータ取得プログラムに組み込みやすかった、次の内容を参考にした。
Python dataframeからMySQLにinsertする

これで、sqlalchemyを使い、毎時間ノートパソコンで取得しているデータを、同時間にデータベースに登録できるようになった。

ここまででも、ローカル環境でSQLを使ってデータを眺めることはできるのだけど、ノートパソコンだけにあるより、クラウドにあるデータベースに外からスマホでアクセスできた方がどう考えても便利だ。ということで、当初の目標通り、AWSのデータベースを使ってみることにして以下の内容を読んだ。
MySQL DB インスタンスを作成して MySQL DB インスタンスのデータベースに接続する

これを読んでも最初は、何を言ってるんだかさっぱり、って感じだったけど、書いてある通りインスタンスを作成してやってみるとデータベースへのアクセスができた。アクセスができる、ということはローカルのパソコンのデータベースと同じように扱える、いうことで、ローカル環境と同じようにデータベースを構築してデータを登録することができた。一点あれ、と思ったのはやっぱりタイムゾーンの問題で、それはここここを見ながら日本時間で表示されるように変更した。

さて、最終ステップとして、AWSだけで完結するため、(ここまでではノートパソコンのCRONで動かしているプログラムでAWSのRDSにデータを登録している)AWS Lambdaの関数にAWS RDSへ登録するコードを追加することにした。

今回もありがたく先人のお仕事を利用させていただいた。レイヤーに「SQLAlchemy」と、「PyMySQL」も追加する必要があったのでその2つは上のARNを使用しレイヤー追加した。

こうして、AWSのRDSに1時間に1回データを記録して、スマホに入れているMySQLクライアントからSQLで呼び出せるようになった。あとは見たいデータをどういうSQLで呼び出すかだ。ここはまだまだ修行がいる。

例えば、過去の動画の再生数と高評価が、UPから丸一日経ったときにどれくらいだった、なんてことはSQLで書くのはさほど難しくないけれど、1時間おきの再生数と高評価の「増加量」とかをSQLだけで出力させるのは理解が浅い私などには難しかった。でもこれもパズルっぽくて面白いといえば面白いのだけど。


さて、そんな風に数字を観測する環境を作ると、再生数なども割と冷静に現象として捉えられる。ああ、この動画はあの動画と同じ動きをするな、とか、この動画は高評価が多いから後から伸びるかもしれないな、とか。そういう意味では些細なことに翻弄されず精神衛生上良い。

最近コメント欄を眺めていると動画の再生数が伸びていないことにイライラしているファンをみかける。気持ちはわかる。数字がぐんぐん伸びていたほうが確かに嬉しい。特に最近、2回に1回のコアなファン向けと思われるのどかな動画の再生数が低く、高評価も低評価も低い。世間から叩かれようがなくて平和であるけれど、数字で揶揄されるのは悔しいというジレンマはきっとつきまとう。また、強い企画という位置付けであるはずのコラボや歌動画も最近は以前ほどではなかったから、マナー動画の伸びは過去動画とちょっと傾向が違うというのもあって、観察が面白い。


YouTube Studio アナリティクスの内容を見ればわかるけれど、もっと細かい視聴者情報をチャンネル管理側は得ている。それは私なんかが再生数の変化できゃっきゃ楽しんでいるのとはレベルが違う情報量だ。どの動画をどういう視聴層が見て、どこから来て、どこで離脱してなども全部把握しているはずだし、普通に考えてその解析が反映されて修正かけてくるとしたら、撮影編集の期間をおいてからになるだろうと思う。WinWinWiiinで宮迫さんが言っていた「永遠に楽しくてしんどいねん」が手越くんも続くんだろうから、見ている方もあまり一喜一憂しないほうがいいように思ったりする。

さて、私の次の目標はSQLを自在に操ることと、データの動きの傾向を数値化したり分類したり予測したりすることにおくことにする。勉強になるし。

加藤さん小説感想まとめ(オルタネート以前)

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加藤さんの「オルタネート」が吉川英治文学新人賞を受賞した。リアルタイムでライブ放送を見ていたけれど、受賞会見の受け答えが素晴らしすぎて、陳腐な感想で申し訳ないけれど、感動した。

ファンになった時期がピンクとグレーでデビューする直前だったこともあり、全ての著作をリアルタイムで読んできた。「ピンクとグレー」と「閃光スクランブル」は一生懸命感想をまとめて残している。

「ピンクとグレー」感想【ネタばれなし】
今更「ピンクとグレー」感想【ネタばれ】
閃光スクランブル感想(ネタばれ多分なし)

「Burn.」以降の作品についてはツイッターで感想を書いたり書かなかったり。今回会見を見て感動した勢いで「オルタネート」の感想を書き残したくなったのだが、その前に自分の記録として、これまでの小説作品の感想をまとめておくことにした。

「Burn.」以降書いていないのは理由がある。実は私は「Burn.」を読むのに少し苦労したのだった。それまでは感想を書くためにもう一度読み直したりしていたけど、「Burn.」は読み返すのが辛くて感想を書けなかった。"子役だった主人公の封印された子供時代の記憶"。著者曰く「人が子供になる話」と「人が大人になる話」だ。とても綺麗で良いテーマだと思う。でも私は当時、著者が描きたいものに自分がたどり着けていない、という感覚を抱いてしまった。もちろん主人公の設定と描写に著者の経験が生きていて印象的な表現はたくさんあるのだけれど、母親世代の人間として出産する妻や母親の描写に違和感があったり、自然に話が展開しているというよりは、展開させようとしているような印象があって、読んでいて息苦しかった。この作品を生み出すのに苦労した、と著者が語っているのを読んで、そういう部分を感じ取ってしまっているのだろうか、とも思ったけれど、感想を検索するとこの作品が一番好きという人も大勢いたので、感じ方はもちろん人それぞれだ。未読の方は是非読まれることをお勧めする。

それ以前はまるでグッズか何かのように保存用と2冊買っていたけれど、この単行本は1冊しか買っていない。(もちろん文庫は別に買ったけど。)多分その頃から、私はNEWSの加藤君が書いた小説と言うよりは、若い作家の本と捉え始めていたのだと思う。
今回、文庫版の「あとがき」「解説」「刊行記念トークイベント(の書き起こし)」を読み、悩み迷って粘って書いたこの作品があるからこそ今の加藤さんがあるのかもしれないな、なんて思った。


「傘をもたない蟻たちは」と「チュベローズで待ってる」は、ツイッターで少し感想を書いていた。

「傘をもたない蟻たちは」は短編集なので、最初に発表された時に書いた感想や、単行本化された時に書いた感想が残っていた。それらを簡単にまとめるとこんな感じだった。(ツイッターだから雑)

染色
圧倒的な才能をもつ人に惹かれつつも、変化から逃げてしまうという心理と、喪失感の描き方が好きだった。生きていると結局わからないまま終わってしまうことの方が多いから、想像する余地が残るところも好きだ。

Undress
連載で一度読んでいるのでどうしても差分に意識がいってしまう。もっといろいろ下衆かったよなとか。個人的には、雑誌掲載時からこの話には窮屈さを感じていたが、サラリーマンの話だからという単純な理由かもしれない。

恋愛小説(仮)
映画の「ミッション:8ミニッツ」で8分とか時間で制限したようなものを、「ミッション:200文字」的に文字数に置き換えているところが面白い。そして、それが小説中実際に並ぶところが、視覚的に美しかった。最初、文字数からこぼれてしまって、数を詰めていくところも良かった。

イガヌの雨
私は著者の描く女の人はほぼ誰にも感情移入したことないのだけど、この主人公の女の子に初めて少し感情移入した気がする。食の純潔守って!みたいに。「食がテーマ」といわれ、「食の官能」と「欲望の醜さ」を描くあたりが著者らしいなと思った。

インターセプト
1回目読んだ時は、「伏線と回収」や「デフォルメ」が強い小説であまり深みを感じなかったので、こういうやりすぎじゃないのが良かったな、と思ったけど、何度か読んだら感想が変わった。
著者のことを小説の登場人物と重ねて読まれることを承知の上で、あえて「テレビの中にいた」とか「本当に待ち受けにしたい画面」とかの文章が仕込んであるように読めてきたのだった。著者への思いが強い読者ほど、小説の登場人物として「読者自身が引きずりこまれる」という仕掛けなんじゃないだろうかこの小説は。仕掛けるアイドル恐ろしい。
あの文体も、本性を隠してかわい子風に振舞っているけど、過剰なデカ目加工や細身加工で人間離れしてしまったプリクラのバケモノ風な壊れた人格を描く効果があるような気がする。独特な生身感のなさというか。アイドルへの溺愛ファンとかの書き言葉から絵文字を除去してもあんな雰囲気になるかもしれない。

にべもなく、よるべもなく
文体、思考、行動に、息苦しいほど思春期が詰め込まれていた。理屈でなく受け入れ難い気持ちが嘔吐となってしまう当時の感覚が蘇ってくるようだった。その頃には何なのか全く理解できず、時間が経過しいろんなことが自然と薄まって初めて、客観的な言葉で語れる、本当にしんどい時期だ。
そんな蘇る思春期の記憶から逃れるために、「妄想ライン」をこの小説に全部埋め込む意味を考えたりしていた。多くのファンは、「妄想ライン」が著者の高校時代の作品と知っていてその頃の著者を思いながら読み、登場人物も作中で熱量を持ってその文章を読み込む。この物語が始まるきっかけとなり、記憶の栞のような役割もする作中小説。
それは本当はどんな話でも成り立つはずなのだが、作家になって自分の昔の作品を読み、それを直さずにはいられない著者がいて、思春期の登場人物もその文章について評論しているという、不思議な構造。
そういう事前知識全くなしで読んだら、この作中小説の存在についてどう思っただろう。

また、「チュベローズで待ってる」については読んだ時こんな感想を書いていた。

左目の黄斑の手術をして退院後、最初に読んだのが「チュベローズで待ってる」の2冊だったわけだけど、素直に「読書は娯楽だね。なんとか死ぬまで自分の目で文字を追ってこうやって楽しんでいたいものだね」と思った。
「チュベローズで待ってる AGE 22」は連載を加筆修正しただけあって、飽きることなく話が展開していき、怠くなることなく楽しく読める。描写も、特に最初の紅生姜とか凄くいい。
「チュベローズで待ってる AGE 32」は書き下ろしなので「AGE 22」より最初少し怠く感じた。未来の話なので技術用語に若干不安を感じた部分もあった。でも、もやもやが解決する気持ち良さや、想像を超えてくる展開があり、とにかく続きを読みたくて、読んでるうちに楽しくなって細かいことが気にならなくなった。
また、私のように短期記憶がやられて人の名前を覚えていられないような読者でも読めるように、なのか、登場人物の名前の文字種と文字数を変えて印象で混ざりようがないように書いてくれているのが、本当にありがたかった。
加藤さんの小説はいつも女性の人格が小綺麗すぎる、と思っていて、AGE 22の方はまだその不満を持っていたのだけど、AGE 32で美津子の人格になんとも言えない「歪み」が見えてきたのが良かった。


以上、単行本になっていない小説など何作か抜けているけれど、ここまでの感想まとめ、になる。時間に余裕ができたらまたまっさらな気持ちで読み返してみたいけれど、その前にまた新作出してくださるかな。

忘れていたこと

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最近、いろいろなことをすぐ忘れてしまう。昨日も、町内の人からLINEで依頼されたことを、帰ってから調べますね、なんて気安く返信して完全に忘れていた。町内のゴミの当番や小学校の交通安全の旗を持つ当番をすっぽかしたり、あげていったらきりがない。TODOのスタックに入れられなくなったというより、聴いて返事をして、入れるまでの間に消失してしまう。消失。それが以前と全然違っている。


去年はコロナで帰省もできず、外出も娯楽も制限されていた。かろうじて私に正常な視界を与えてくれていた右目を患ったことで文字が読み辛くなった。毎週土曜日に子供の習い事のついでにお母さん方と会話をしていたが、それもできなくなった。そうやって生活から圧倒的にインプットが減り、処理量が減り、認知能力が一層衰えたのかもしれない。


毎年春と夏の恒例だった帰省も取りやめたので、高校時代からの友人3人とも会えなかった。いつも帰省スケジュールが決まるとまずその友人たちにメールで連絡し、会う日程を調整していた。面倒臭がりな私だけど、彼女たちにはどうしても会いたかったのだ。でも、去年は春も夏も「帰省できません」というメールになってしまった。


友人たちはガラケーからスマホに移行するのが遅くて、連絡は私が帰省する時のメールのやり取りだけだった。3人は地元にいるのだけれど、私が連絡を取る年2回しか集わないようだ。でも、そんな距離感もちょうどいい。ドライでベタベタしなくて、ただひたすらに会話が楽しい人たち。そんな彼女たちと食事をしてそれぞれの全く異なる仕事や生活についての話を聞くのが楽しかった。歳は取っているんだけど、みんな全然高校時代と変わらない。それが一定の安心感をくれたし、彼女たちの近況は刺激にもなっていた。


大学時代の友人4人と年に一度旅行に行くのも長年の恒例だった。でも今回は難しそうだということで、在宅勤務でZoom会議に慣れている人が取り仕切ってくれて「オンラインお茶会」を何度も行った。地方に散らばっていて年一回の旅行でしか会えなかったのに、オンラインだと嘘のように簡単に集える。1回目は試験的にLINEで、それ以降はZoomで。学生時代の友人は顔を見た瞬間から何の問題もなく話せる。すべての行動に制限がかかった去年、大学の友人たちとの「オンラインお茶会」は、私の日常で唯一と言っていいほどのイベントだった。




去年の夏に帰省をとりやめた際、「2020夏帰省しません」というメールを高校の友人3人に送った。それに対し、3人のうちずっと最後までガラケーだった友人がまあまあ長文で「スマホにしました!」という内容のメールを返信してくれた。私はそれを見て、大学の友人たちとやっているオンラインお茶会がこのメンバーでもできるかも、と思い、「LINEでグループを作ってオンラインお茶会をしよう!」と提案するメールを送った。スマホにした友人は「実現できたら楽しそうですね。ちょっと興味が出てきました。」と意外に積極的だった。(その子は高校時代から全員に丁寧語を使う。) 一人暮らしだからどうなんだろうと思って聞くと家にWi-Fiがあるということだ。LINEもほそぼそとやっていると。もう一人の友人からもOKが出た。よし、あと一人からの返事待ち。
「LINEをしよう、LINEグループを作ろう」。オンラインお茶会以前の、最初の一歩だ。
でも、私はその返事待ちをしているうちに、すっかりその企画を忘れてしまった。そして、メールのやり取りはそこで止まった。


去年の年末、彼女たちに年賀状を出した。「今年こそ帰省して会いたいなー」といった言葉を添えたような気がするが、よく覚えていない。彼女たちから年賀状が届いたかについてちゃんとチェックすることもなかった。そして1月も中旬を迎えた頃、1枚のハガキが届いた。「スマホにしました!」という連絡をくれた友人が去年の暮れに亡くなったという親族からのハガキだ。病気療養中に亡くなった、故人の遺志で家族のみで葬儀を行った、とある。


歳も歳だし、親の死去に伴う喪中ハガキはよく受け取る。受け取るたび、その知人が喪服姿で沈んでいる姿をぼんやり想像した。でも、そのハガキの文面は違う。何度読んでも友人本人が亡くなったとしか読めない。


地元の別の友人に電話をした。その友人は1日前にハガキが届いていたからか落ち着いていたけれど、事情は何も知らなかった。2年前に会った時痩せていたのが気になっていて。あの時すごく寒そうにしていたよね。でも夏のメールにはこんなことが書いてあったよね。


その言葉でやっと私は夏のメールのやり取りを思い出した。オンラインお茶会をする企画が止まっていたことを含め。


地元の2人の友人がご実家に手を合わせに行って、ご両親から聞いた亡くなるまでの経緯や、彼女の遺影がとても綺麗だったことを教えてくれた。ずっと闘病していたんだね。前会った時から。痩せたことについてなんて答えていたんだっけ。去年の夏のメールを検索すると「早く世の中が落ち着いて、のびのびお会いできるといいですね。 ホントにみなさんにお会いしたいです。」と、彼女は書いていた。


私は全然整理できていないパソコンの写真の中から、彼女たちが写っているものを探した。毎年会っていたのに、店や食べ物の写真しか撮っていない。唯一ちゃんと撮ったものは10年前にまで遡る。私が頭の手術をする予定があった時、この子たちにもう会えなくなるってこともあるのかもしれないな、と思って、3人に写真を撮らせてもらったものだ。理由を言わなかったから3人は戸惑っていたような記憶がある。


そこに、3秒ほどの動画が残っていた。おそらく写真と間違えて撮った動画だ。彼女が動いていて一瞬声が入る。ああ、この感じ。




今は写真を見るだけでも、そのシーンからの彼女の動きの続きや話し方、声の特徴、何もかもが当たり前のように頭に浮かぶけれど、私のことだからきっと忘れてしまうんだろうなあ。だんだん曖昧になって薄れていって。今こんなに悲しいのにいろいろわからなくなっちゃったりするのかな。


3秒の動画を共有するために2人の友人とLINEグループを作った。渡していなかった10年前の写真と、コロナでステイホームをしていた時スキャンした高校時代の写真をアルバムにして共有した。想像力が足りなかったね、と、友人とやりとりをする。こんな歳にもなって、亡くなるってことを考えたこともなかったんだから。これからはもっと想像力と覚悟を持って生きるよ。


供養の仕方がわからないまま、彼女をイメージして花を飾った。ピンクのガーベラと、名前は何だっけ。紫の花。


あの時私が忘れていなかったら何がどうなったとか思うのは、少しおこがましい話だ。もしかしたら彼女の方もすぐ忘れてしまっていたかもしれない。でも、少なくとも、私がもう一回彼女と会える機会を永遠に失ってしまったのは間違いないのだ。


忘れたくないなあ。


忘れたくないからこうして文章にした。彼女のことも、私が忘れたために失ったことも、忘れたくない。

最近の2人の娘と私のこと (年末編)

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先月公開された宮迫さんと中田さんのYouTube番組「Win Win Wiiin」の、初回ゲストは手越くんだった。一緒に見ていた下の子が時折少し寂しそうな表情を浮かべていたのが気になり、終わってから感想を聞くと、
「90%かっこいい、10%さみしい」
と言っていた。以前は「半分さみしい」だったから、だいぶ寂しさが解消されてきたのかもしれない。

「BTSファンの友達にてごしのファンだっていってもわかってくれないから、てごしのファンと話をして萌えたい」と言っていたことがあって、聞き慣れていないその「萌えたい」という言葉が一瞬理解できず「えっ?」と聞き返してしまった。クリスマスライブのVRモードのテスト映像をゴーグルで見せた時には、「すごい!」と興奮して涙まで流していた。そして「猫」の動画のソフトクリームをあーんとこちらに向けるシーンについて「あれをVRゴーグルで見たい。見ながらうずまきソフトを食べたい」なんて言っていた。

下の子が音楽を聴いている古いiPhone に手越くんのジョブカンの壁紙を設定してあげた時、そのまま手越くんの画像検索をしようとしていたので、「あまり検索しないほうがいいよ。悪口とか書いてる人とかいるよ」と声をかけた。下の子は「そうなん?」と驚き、「もう、しょうがないのにね」と言って検索するのをやめた。


大学生の上の子に、下の子がVR映像を見て涙を流していた話をした。彼女は違う意味に捉えたのか、
「小学生で推しに裏切られるなんてかわいそう」と言った。
私が「裏切られたのかなあ」と言うと、
「裏切られたでしょ」と、言い切る。

以前書いたように、上の子はアイドル手越くんは好きだったけれど、人間手越くんに苦手なところがあって、それが見えるのが怖いからと、あまり彼の動画を見ない。でも、どうやら選んで見てはいるようだし、インスタも時々いいねをしている。彼女の心情はわからないけど、「やりたいことを全部やる」という手越くんに対して「自分の見たいものだけ見る」というのは、実は思想的な部分を共有した、いい付き合い方のような気もする。

彼女の言う手越くんの「苦手なところ」とは、「人の気持ちがわからないところと、すぐ、自分はこう思う、となるところ」なのだそうだ。それはNEWS時代にも「悪気のない自己中」と言われていた個性の部分かもしれないし、独立したばかりの頃に、彼が他のメンバーのファンを傷つけているのが辛い、と彼女が嘆いていたことと関係するのかもしれない。

でも、「人の気持ちがわからない」というけれど、それはある程度はお互い様なのではないかと思ってしまう。自分と全く違う環境、年齢、考え方の、他人の気持ちを「わかる」方が不思議だ。わかったようなことを言ってもあくまで想像でしかない。自分と違う要因が多ければ多いほど、想像は難しくなる。
私や娘に、手越くんの気持ちはわかるんだろうか?ジャニーズ事務所という大きな組織の独特のマネージメントで18年も人前でアイドルをやり続け、他の仕事をせず30代を迎えた人の気持ちは、私たちにわかりようがないと思うのだけど。


「ママがてごしに残ると思わなかったなあ」と、上の子が言った。

確かにNEWS時代の手越くんにはあまり興味を持っていなかった。今でも、下の子みたいに目がハートになってキャッキャいう感じでもない。なのに、手越くん観察がやめられない理由は自分でもよくわからない。見れば見るほど自分と違う人だなと思うのに。

よく取り沙汰される彼の古いジェンダー観(それこそ、悪気のないマッチョ)と、彼が言う「飲みュニケーション」なども、私がこれまでの人生で苦手としてきたものだ。主語を大きくするつもりはないけれど、少なくとも若い頃の私にとって窮屈で不快なものだった。性別が自分の最大の特徴となり、その役回りを受け入れざるを得ない理不尽さ。そして、手越くんのあの退所劇をややこしくした要因もその2つにあると思っているから、動画でそういう部分を感じるとやりきれない気持ちになる。飲みュニケーションもそうだけど、ちょっと年相応でない上の世代の言語感覚をみせることがあって、彼が心酔する経営者界隈の文化を感じたりもする。君の憧れるおおらかな古き良き昭和は、別の視点から見るとそんなにいいことばかりでもなかったよ、と呟きたくなる。

ただ、副業禁止の厳しい事務所でずっとビジネス書を読み続けていた彼が、興味のある人と興味のある「会話ができる」場所がその「飲みュニケーション」という場で、ビジネス修行を積む手段が本の中とそこにしかなかったのであれば、そういった信仰になるのも無理もなかったのかなとも思う。それも、勝手な想像でしかないけど。


私は常に歌動画を心待ちにしているし、基本的に彼の歌の「技術」に惚れ込んでいる。退所会見や「Win Win Wiiin」を見た時に感じた、好き嫌い良い悪いというのを超えた「この人すげーな」という感覚、それもある。でもそれだけじゃなくて、「大好きだった4人のNEWSが終わったことを納得したくて手越くんを観察して彼の気持ちを想像しているうちに、自分の人生を思い出して変に共鳴している」という状態にある気がする。

手越くんが退所した翌日だと思う。私は「子供たちがショックを受けていてかわいそう」「せめて一回戻って、配信でもいいからライブをやってほしかった」という、あの時のNEWSファンとしてはごくごく普通な感想を夫に言った。
すると夫は私に「これだけ注目されているんだから、辞めるんだったら今でしょ」と言い放った。夫はジャニーズ嫌いで私がNEWSにはまったことを心から嫌悪している人物だ。だからその時は「ああ、また私が言って欲しいことの逆を言う」としか思わなかったのだが、今になって考えると、ファンでない人が客観的に見たらあの時はそういう状況だったのかもしれない。

以前も書いたが私は30歳で転職している。転職のタイミングは、再就職先との関係でその瞬間を逃すわけにはいかなかった。もちろん私が転職した理由は私自身のもので、手越くんのケースと重ねられるようなものではない。ただ、事情を知らない田舎の親に何度も「もったいない」と言われ、もやもやしたことを思い出す。

当時の職業は定年の年齢まで続けることが難しく、若い頃からライフプランやセカンドキャリアを意識する必要があった。私もいろんなことがあってそれなりに悩んでいた。なぜそのタイミングでそこに転職したのかは、結局私にしかわからないことだ。それを全部親に言えるわけでもないし、言ったところで理解してもらうのは難しい。それはアエラドットのインタビューやWin Win Wiiinで手越くんが言っていたことと変わりはない。

そして、あの時私は本当に同僚や殆どの上司に不満がなかった。あの職場で働いた時間は、人生の財産だと思っている。だから、手越くんが事務所もメンバーも大好きで感謝していると言っていることを、疑うことなく受け入れられる。

そうやって私が都合よく自分の人生と重ねている上、手越くんに一貫して邪悪なものを感じないから、ボロクソに言われていると辛くなるのかもしれない。
30代になって、自分で自分の人生の選択をしたことを、「裏切り」と言わんでやってくれないか。


彼がいう「物事が最終的に好転する」というのは運の話ではなくて、問題解決手法を自分の中で持っているということなのかもな、と思うことがある。やること全て筋がいい訳ではなくても、おそらく結果を解析して修正していくことができる人なんだろう。もしかしたら昨日気になっていたことは、誰かのコメントで把握して、もう現段階で修正されて、次の動画では変わっているのかもしれない。それは次を見てみないとわからない。Win Win Wiiin も、「でもこれ、ひと月前の手越くんなんだよなあ」って思って見ていた。
だから、また明日や明後日の手越くんも、私は見てしまうんだろうか。

NEWSのコンサート会場に集まっていた人達が5万5千人いたのなら、その全員にいろんなバックグラウンドがあって、5万5千通りの受け取り方と感情があるんだろうなと思う。それだけの他人の気持ちを理解することは難しいし、私が理解する必要もないかなと思っている。その中のたったの3人である私と娘たちでも、退所から半年たった今これだけ違っていて、難解なんだから。

クリスマスは、下の子と2人で手越くんのオンラインライブを見た。上の子は出かけていて家にはいなかった。テレビに大きく映された手越くんを、下の子が興奮してiPhoneで撮り続ける。カメラロールが手越くんで埋まる。ファンの前で歌っている姿は幸せそうで美しくて、下の子もそれを見てきゃあきゃあ楽しそうで、一緒にいる私もいろいろすっかり忘れて満ち足りた気持ちになっていた。

幸せなクリスマスだったな。
手越くん、どうもありがとう。

「Win Win Wiiin」を見て書こうとした話とは別なのだけど、忘れないうちにメモ。

あの番組で手越祐也チャンネルのヒストリーをやっていた。私も経緯をリアルタイムで見ていたので、再生回数が落ちた後の話を興味深く聞いた。当時YouTubeをよく知らなくて開設当初の再生回数が凄かった頃、その価値を私は全然わかっていなかった。無人島の2回目3回目の頃は数字の変化に少し気づき「あれ?サムネイルが地味なのかな?連続ものは数値が落ちるのかな?」なんて素人ながら考えていた。でも次の「サロン始めます動画」は予想もしてない方向性に「ええっ」っと驚き、その翌日に「滝行・火渡り」がきたときは「え?」と思った。なんだろう、いわゆる「ずっこける」って感じだろうか。そして「再生数が伸びない」という現象を目の当たりにした。

その頃からちょっと心配になり、手越祐也チャンネル超絶見守りモードに入った。動画がアップされそうな日の夜8時くらいになると何がくるんだろうと気になり、アップされ次第即見る。それから深夜0時くらいまでの4時間の上昇率をチェックし、朝の数値を予想して、目が覚めてからそれを超えているかを確認する。朝起きて8万〜9万、初動も20万くらいだっただろうか(「踊ってみた」以外)。あの頃の動画はテレビのバラエティ味が強いので小学生と安心して見ていたけど、上の子に言わせると「わざわざ見なくても内容がわかる。あーはいはい、てごしが滝行したのね、って感じ」とのことだった。上の子は何十とチャンネル登録をしていて、私みたいにクイズノックと手越チャンネルくらいしか見ていない素人とは違うから、一般視聴者もそんな感じだったのかもと思う。

そこからのコラボ強化への流れは「Win Win Wiiin」で取り上げられていた通りだ。私はいつ頃からか手越くんのチャンネルの「動画の内容と再生数、高評価数、低評価数」を「ユーチュラ」というサイトで見るのが日課になっていた。動画によっては爆発的に伸びたり、びっくりするくらい再生されなかったりするので、「こういう動画を上げるのはどういう意図があるんだろう」と疑問に思ったりもしていたのだけど、番組を見た限り戦略があるようだし、ちゃんと本人が統計情報もコメントも読んでいるんだな、とわかったのでそれならそれでいいか、と思った。そして、その「戦略」を踏まえて、動画の数値をしっかり眺めてみたくなった。

と、ここまでが心情の説明でここからが本題。
(以下手越くん関係ない完全なる作業記録になる)

再生回数を眺めるには「ユーチュラ」は便利なのだが、広告が鬱陶しいし古いデータは残らない。
動画の再生数の増加率を眺めるためにはどうしても自分でデータを持っておくしかない。
そこで検索したところ、以下の記事を見つけた。
10時間くらいでYouTubeチャンネルの再生回数を取得するサーバレスな構築を作ってみた

この記事の何がいいかって「アイカツ」で始まり「アイカツ」で終わるところと、「そもそもなぜこのような構築を作ろうと思ったのか」に「愛です!」とあるところだ。私もこうやってずっと手越くんのチャンネルを見守っているのを「愛です!」と即答するようなまっすぐな人間になりたいものだ。
それに、他に手段はいくらでもあるだろうけど、わざわざアマゾンウエブサービス(AWS)を業務とか関係なく日常のために使うとか、ちょっと憧れる。

さて、最終目標は上の記事にあるようにAWSを使って外部でプログラムを動かしデータを取得するところにおくとして、とりあえず、ローカルのパソコンでデータを取得するプログラムを作ってみることにした。
コードを参考にしたのは以下の記事。

【Python】YouTube Data API v3を利用した特定チャンネルの動画情報取得

先の記事でなくこちらの記事を参考にしたのは、とりあえずすぐ手元で動きそうなもので試したかったのと、手越くんのチャンネルの全動画について情報を取得したかったから。
この記事には「YouTube Data API v3のAPI Keyの取得」についても説明がある。

なお、私の使っているMacBook AirのPythonがデフォルトの2.7だったからか、このプログラムは文字コードの記述を足す必要があった。そもそも私の環境にはこのプログラムで使っているPandasやgoogle-api-python-clientのライブラリを入れるためのpipすら入っていなかったので、easy_installでpipを入れてから各ライブラリをインストールする、という手順も踏んでいる。

ここまでで、自分のパソコンで手動でプログラムを動かして、手越祐也チャンネルの全動画の再生数等をCSV形式で取得することができるようになった。しかし、一定時間に自動でデータを取得しないと意味がない。そこで、プログラムの出力ファイル名に日付と時間を入れるように書き換え、cronを使って1時間に1回のペースで動かしてみることにした。絶対パスで記述するのを忘れていて(プログラム中の出力ファイル名も)そこだけ躓いたけど、1時間に1回自動でデータは取れるようになった。(1日24回動かしたらYouTube Data API v3の割り当てがギリギリな感じ。多分。)

データを取るだけならここまででいいのだけど、どうしても癖でパソコンを終了させてしまうし、最初の感銘を受けた記事を使っていない。
そこで、次のステップとしてAWSを使用して 動かすことに挑戦してみることにした。

私はAWS完全なる初心者でなにもわかっていない。具体的にどういうサービスがあって何ができるのかも全く知らない。無料利用枠がどの程度なのかもわかっていないが、とりあえず一年は無料で使えそうだったのでアカウントをとった。最初の記事を見る限り、AWS Lambdaというものでプログラムを動かすようなので以下の記事を参考にしてLambdaを使ってみることにした。

AWS LambdaをPythonで使ってみた ライブラリの読み込みや環境変数の注意点について解説

この記事はとても初心者に優しかった。これでAWS Lambda上で作ったプログラムをCloudWatchで定期実行する流れのおおよそがわかる。

(ちなみにこの記事はPython3.6で書かれていたので、私もPython3を入れとこうと、何も指定せず入れたら3.9だった。まあ、いいか、と思ったけど、Lambdaランタイムで指定できる最新が3.8だったのでこれをみてpyenvを入れてきりかえた。https://techacademy.jp/magazine/24451

とりあえず、上の記事を見ながら、私がローカルで使っていたプログラムコードをlambda_handler(event, context): の中に差し込む形でlambda_function.pyを作成した。
そして、使っているライブラリ(Pandas等)を同じフォルダにインストールし、zipで圧縮しアップロードしてみてテストしてみた。

あれ?エラーが出る。

どうやらPandasで使っている Numpyが引っかかるらしい。
https://dev.classmethod.jp/articles/serverless-framework-lambda-numpy-scipy/
にもあるのだけど、「Pure Pythonなライブラリじゃない場合、Amazon Linux環境でビルドしたファイルをパッケージングする必要がある」のだそうである。Numpyについては「LambdaのLayer機能を利用することで今回紹介する方法を使わなくても利用できます」とあるのだが、それ使ってもPandas自体に同じ問題があるようで、心が折れかけた。

プログラム修正してPandas使わないことにするべきか、https://qiita.com/thimi0412/items/4c725ec2b26aef59e5bd のようにするべきか悩んでいたところ、以下の記事を見つけた。

AWS LambdaでPython外部ライブラリのLayerを作る前に

一気にPandas問題解決。
なお、google-api-python-clientについては先人の仕事が見当たらなかったので、自分でレイヤを作成した。以下の記事にはImport問題についても書いてあったのでそちらも参考にした。

Python用Google APIクライアントライブラリのImportエラーが発生してしまう問題をなんとかする

(ちなみにこの記事にあるようにフォルダ名を「python」にせず、適当なものにしていたらうまくいかなかった。適当よくない。)

ここまでで、Pandasとgoogle-api-python-clientのレイヤを分けて、コードが編集できるようになったので、あとはLambdaの関数コードデザイン画面でテストをしながら修正をした。最終的に詰まったのは、AWSのストレージS3に書き出す部分。

コードを参考にしたのは以下

AWS Lambda Python でtmpディレクトリにファイル作成してS3にアップロード

S3でデータ保存用のバケットを用意し、この記事にあるコードを参考にして/tmpに保存したファイルをS3の指定バケットに保存するようにしたのだが、パーミッションの問題が出て保存できない。
S3のバケット側で設定するのだと思い込んでいたけど、調べたらLambdaの関数側に実行ロールを与える必要があるとのこと。基本なんですかね。基本なんでしょうね。

Lambda 実行ロールに Amazon S3 バケットへのアクセスを許可するにはどうすればよいですか?

ということで、ここまでで「AWS Lambda上のコードを定期的に動かしAWS S3上に手越祐也チャンネルの全動画のタイトルと再生数と高評価数と低評価数とコメント数をCSV形式で保存する」ことまではできるようになった。最初の記事はLINE通知したり、DB利用したりのステップもあるけど、ここまでで一つ達成した感がある。でもこのままだとファイルが増えていくだけなので、これをどうするかを次の課題に。


ほぼ自分の忘備録を兼ねた作業記録だけど、まあ世の中には、手越くんについて、こんな楽しみ方をしている人もいるよ、ってことで。

11月の出来事

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今日から12月になった。今月で2020年が終わる。

11月は、上旬に右目の黄斑前膜の手術を受け、仕事を少し休んでいた。左目の黄斑円孔の時は目にガスを入れてうつ伏せになり穴を塞ぐから入院したのだけれど、今回は日帰り手術だし、仕事もまあ、休めるなら一週間程度休んだ方が良いといわれた程度だった。ただ、目の回復云々より、視力が変わったので眼鏡が合わなくなり、「右目だけ極端な老眼で近くがよく見えない」という状態になった。細かい文字を読んだりパソコンを見るのは左目頼みだけど、左目は中央部に「引き攣れた」ような箇所があり小さい文字が消える。眼鏡を作れるのは視力が落ち着く一月後と言われているので、今もまだその状態が続いている。

目が不調のため時間はあるのにあまり本を読む気にもならず、溜まっている録画を消化する気にもならず、今振り返っても具体的にどう過ごしていたか思い出せないのだが、こういうふうに受容器がイカれることで脳機能が衰えるんだろうな、と思い、少し文章を考えたりしていた。といっても、NEWSがトリプルA面シングル出すとかSTORYの配信が決まるとかそんな出来事があったこともあり、書いていることはNEWSと手越くんに関する雑感で、最近の私の頭の中それしか入ってないのかがっかりだぜとも思っていた。

NEWSのSTORY配信についてまとめた後、手越くんについて書いていた文章がまとまらないまま時間が過ぎた。「Win Win Wiiin」という宮迫さんと中田さんのYouTubeの新番組に手越くんがゲストに出るので、それを見る前に「自分の中でのここまでのまとめ」を記録に残しておきたかった。見たら感想が上書きされて、それまで思っていたことが消えるような気がしたのだ。だから、とりあえず半分くらい削って強引にまとめた。その2つが、最近2回更新した内容だ。

「Win Win Wiiin」を見た後、その削った部分についてまた書きたくなったのだけど、上旬休んでいた分連日仕事を詰め込んでいたこともあり、少し忙しかった。他には、レシピカード対象店舗が遠くてなかなか取りに行けなかった加藤くんの「オルタネート」をようやく手に入れたり、「チンチャうまっか」を歌うNEWSや、手越くんの「猫」の歌ってみた動画を見て、やっぱり彼らの歌を聴くのが一番楽しいななんて思ったり、色んな雑誌を買い集めてわけがわからなくなっていたりしていた。

そして、一昨日の朝だ。

加藤くんと小山くんがコロナウィルスに感染してSTORYの配信が中止になったという件は、いつものようにツイッターのトレンドで知った。だから、私はその事実を知ると同時にツイッターの中の大勢の中に佇んでいる状態になってしまった。ファンや、ファンでない基本的に無関心な人たちが何か感想を言っている。なんで私はいつもこうやって、人の感想を先に読んでいるんだろう。回復を願うと同時に彼らを励ましているファン、コロナウィルスを恨み嘆くファン、他の、自分の大事な人のことだけを心配する人たち、そして、それ以外の、諸々。

巨大掲示板にこの件に関するスレッドが立っていた。私はこういうケースでの、人の悪意の最大値に目を慣らしておこうと、少し自分のモードを変えて覗いた。ツイッターと違って、巨大掲示板の「素性のわからない悪意」は意外と無感情で読める。これが、こういう状況で湧いてくる人間の悪意の限界か。それにしてもクソだな。ネットってクソ、いや、人間がクソなのか、いや、それをあぶり出すようなサービスがクソなのか。そうやってクソクソ思ってたら気持ちが不安定になったので、クソよりもっといい言葉はないのかとネットで類義語を調べ始めて「唾棄すべき」という言葉を見つけた。ネットって便利だ。唾棄すべき人間がクソ。

彼らの状態や気持ちをあれこれ想像してしまいそうになるし、先回りしてあれこれいたわってしまいそうになるけれど、私に彼らの気持ちなど到底理解できるはずのないことなので、考えるのをやめた。あとは願うことと、願っている人がいるということを誰かに示すために呟くくらいだ。

早く良くなりますように。

人間手越くんの話

 手越くんの話に「NEWS」というタグを入れると「NEWSと関係ない人の話にNEWSタグを入れないでください!」という人(誰だ?)が現れる可能性もあるけど、私の人生の記録としては連続性がある話なので、後で自分で整理するときに見やすいように「NEWS(概念)」タグに変えた。あと、「君」と「くん」の使い分けに特に意味はない。

 以前、レタスクラブの連載「オトナのNEWS」の切り抜きをチェックしたら、Vol.46だけ紛失していた。よりによって加藤くんの回だったこともあり、2015年10月25日号をネットで探して再購入した。その中で、加藤くんが当時のメンバーについて語っているので一部引用する。

「手越は......、ずっと変わらないのがすごい。どんな相手でも、どんな場面でも変わらない。それがあだとなるケースがあったとしても、本人は気にせず、臆せず。変わらずにそこにいてくれるっていう安心感は、やっぱりありますね。NEWSの中で僕らは年下チームだけど、2人のスタンスはたぶん全然違う。でも生き方が不器用なところは似てる(笑)。」


 3と1に別れた「1」の方の、生き方が不器用な人の話。

 6月から「人間手越くん物語」が始まった。
 脱退直後の混乱時における、彼とファンとの温度差や、世間からの強烈なバッシング。出版社の目論む"暴露本"ビジネスのようなものに身ぐるみ剥がされたり、予想もできなかった脱毛サロン経営を始めたり。
 そんな感じで、アイドルの物語の定石を無視する展開が短期間に続くから、追うだけで消耗して脱落した人もいるかもしれないな、と思う。

 旧手越担の上の子は彼の動画をあまり見ようとしない。彼女は昔からYouTubeを見て来て目が肥えているので、企画やコラボに不満があるらしい。だがそれ以上に「ライブで見るNEWSの手越くんは好きだったけれど、人間として見るとこういうところが嫌だ、と思う部分がある。動画はそれが見えてしまうのが怖い。だから、見ない」ということだった。

 私はこの期間、ツイッターで何度も悪口や嘲笑を踏んだ。私自身彼の退所はショックだったし喪失感が半端なかったけれど、憎しみを全て彼にぶつけているのを見てしまうと、思わず反論したくなる。「彼はできないこともいろいろあるけど、できることと良いところも山ほどあるよ」人間性を叩かれれば叩かれるほど、そうやって庇いたくなる。私自身いろいろと「できないこと」があるから、何かができない人に寛容なだけなのかもしれない。でも、できないこととできることのある4人が穴を埋めあっていたのが4人時代のNEWSだったし、少なくとも私は彼の「できること」の恩恵をたっぷり受けて来た。

 確かに、最初の混乱期と、著書出版あたりまでは、私が見てもかなりハラハラした。うちの娘を始め多くのファンが傷ついていたのも知っている。彼の良いところを彼の「できない部分」が潰してしまう流れが怖かった。
 ただ、出版会見と謝罪動画以降、彼はいろんなファンを傷つけないように、彼なりに、細心の注意を払っているように感じる。悪意を持って見ればなんだって彼の欠落だろうけど。

 NEWSというグループは寡作だけど、作品のクオリティが高いグループだ。NEWSを離れた手越くんはもともとの彼の個性の「とりあえずやってみる」というスタイルで突き進むから、NEWSと同じクオリティを期待すればがっかりもするだろうと思う。

 私も、手越くんが好きなことをしてくれればそれでいい、というタイプのファンではないから、必ずしも全てに満足しているわけではない。人間手越くんは、想像以上に思考がクリアで論理的な人だったんだな、とは思うのだけど、文学的な情緒や文化的なセンスはやっぱり感じない。だからなのか、私は彼作詞の歌はいつも聴いていてムズムズしてしまう。

 動画は全て上がるたびに見ているけれど、内容うんぬんより、「これはファンが喜ぶ」「これは伸びる」「これは伸びない」「伸びるけどファンが嫌がる」「これはやばい」みたいなことばかり気にしているかもしれない。毎回「ファンが喜ぶし伸びる」だったらいいなと思っていて、何が来るのか少し心配な気持ちでサムネイルを覗く感じ。今までYouTubeをデータを気にして見たことがなかったので、手越くんのチャンネルの登録者数や再生数や高評価などの数値を眺めるのは新鮮だ。リアルすぎて消耗はするけども。

 今は、彼の動き全部を、一つのコンテンツとして追っているような気がする。人間手越くんは興味深いし、先が読めないから。気負って必要以上に攻めすぎないで欲しいとも思っている。ネガティブを抱えたメンタルの弱いうちの上の子のようなファンを少し休ませてあげて欲しいから。

 もっと上手に生きて欲しいけど、無理なのかもな、もとからこういう人なんだものな、と、引用した加藤くんの言葉を読み返している。


 ところで、参考までに、NEWSの手越くんの歌が好きだった娘に見て欲しくて、さりげなく勧めた動画をまとめておく。娘がこれを見ていつか見てくれたらいいな。

【チャラ男の無人島生活3】これが無人島最後の動画です
無人島最後のシーンで焚き火の前でアカペラで歌う歌が、沁みる。

しばなんの家で1日パパ生活をすることになったよ
最後の方、子供のリクエストで歌うのだが、これも沁みる。

【鬼滅の刃】炎/紅蓮華 仮装して歌ってみた!【Demon Slayer:Kimetsu no Yaiba】
声量があって歌い方が個性的な人はグループにいると「悪目立ち」と欠点として扱われがちだが、ソロなら武器になる。あまり音を調整しすぎずライブ感も残っていて、彼の持つ様々な技術も詰め込まれていて、すごく良い。私は画面を見ず歌だけ聴いている。特に紅蓮華は、一人で歌っているのにいろんな声が聞こえてくるようで面白くて何回聴いても飽きない。私はこの歌声で、手越くんがソロになったことを肯定的に捉えることができた。

【明日から歌手のように歌えるボイトレ講座】カラオケで上手くなるだけじゃなく、人を感動させる歌い方を徹底解説
手越くんってビジネス書読みまくってたせいか、ビジネスプレゼン的な話し方がうまいなと何かの時にも思ったのだけど、こういうセミナー講師のような話し方も心得ているのかと少し驚いた。論理的に展開する話が上手いし、実演として歌も聴ける。

また、手越くんのチャンネルではないけど、
【スーパースター登場】手越祐也にアカペラカラオケで95点取れるまで歌わせてみたww
手越くんがカラオケで点数を取るための歌声を聴かせてくれる。置きに行っている歌唱が聴ける。動画としても面白い。

少し余談。

 紹介した動画の上の二つは歌ったこと自体に文句が出ているのを見かけた。特に後者は、別件を検索した時にNEWSファンからの非難ツイートをうっかり見てしまってかなり凹んだ。私が見てきた4人の物語の象徴となる、最初のライブで3回歌った歌。それを子供にリクエストされて戸惑いつつも、その子だけを見て歌ってあげている姿、いろんな想いが詰まっていそうなそんなシーンを見れたことが、私はシンプルに嬉しかったのだけれど。
 3と1に別れても、あれは私にとって永遠に4人の歌。1人の彼も、いつか聴きたい人たちの前で、歌う日が来て欲しいと思う。