物語

 NEWSのSTORYツアーの配信が決まり、「カナリヤ」と「ビューティフル」と「チンチャうまっか」がトリプルA面シングルになる。ついにこの日がきたかという感じ。
 4人で作ったアルバムのライブを3人がどう見せてくれるのか、4が3になるSTORYがどう完結させられているのか。喜びと楽しみと不安と寂しさが入り混じった気持ちだ。

 加藤君のいうように「アイドルは物語」なんだなと思う。自分はあくまでNEWSの歌が好きで聴いていると信じてたけど、よく考えたらきっかけは「メイン2人の脱退」だったし、遡ってあれこれ見て少年時代のKKKの3人に興味を持ち、検索して見つけた「青い独り言」の書き起こしを読み、こんな感性抱えながらアイドルしているって大変だな、と、加藤君を中心に見るようになったのだから、その時点でもう物語を追いかけていたのだった。当時ネットでは加藤君は歌とダンスの評価が低く、でもプライドは高くて自分がエリートだと言っていると揶揄されていた。私は6人時代のアルバムを聴きながら、この錦戸君の歌割部分は加藤君になるのかな、加藤君がどう化けていくかが鍵なんだろうな、なんて考えていた。(その頃の日誌がこれ。今読むと偉そうなこいつ何者)私が好きな曲の一つに「ラビリンス」があるのだが、この曲はコヤシゲのパートが魅力的で、メイン二人の声を引き算しても違和感が無かった。それを聴きながら私は4人のNEWSの歌を思い描いていた。

 手越君の著書でコヤシゲの当時のパフォーマンスがテゴマスに及ばなかったという話が書いてあって「メンバーを下に見ている」と反感を買っていたけど、あの時なんの思い入れもなくNEWSを見始めた私もコヤシゲについて同じように感じていた。実際、チャンカパーナリリース時の歌番組出演の時は、コヤシゲは地上波は全部リップシンクで、音源でなかったのは少年倶楽部プレミアムだけと記憶している。ライブ時も二人は音源だったりすることもあって、ジャニーズのライブってこういうものなんだな、と当時思っていた。彼らが常に生歌になったのはいつ頃からだっただろう。EMMAの頃は既に手越君が二人の歌の進化を凄く褒めている(オトナのNEWS vol.79)ので、それよりは前だろうか。

 加藤君の歌はめきめき上手くなり(これについては省略しないと長くなる)、作家ならではの独自の世界観を見せてくれるようにもなった。最初彼に感じていた「苦悩する青年の生々しさ」も執筆で徐々に昇華されていったのだろうか。溢れ出して叩かれるようなことも無くなった。歌でも、人としても、成長物語を見せてもらえたように思う。

 今年のSONGS OF TOKYO で聴いた「ビューティフル」は増田君1人に比重がかかるわけでもなく、3人全員がバランスよく調和していた。力が適度に抜けてピースフルな雰囲気が暖かかったし、増田君の表情豊かな歌声と、加藤君が高音部、小山君が低音部を担当する姿を見て、これが3人のNEWSなんだ、と思った。このコヤシゲがリップシンクしていたなんて嘘みたいだな。


 これまで私が加藤君を中心に見てきたものが「NEWSの物語」だったのなら、予想もしていなかったメンバーの脱退を乗り越え3人で復活するNEWSだけを追い続ければ済む。降板した人は今シーズンから二度と登場しなくなるだけだ。でも私が見ていたのは、タイミング的に「4人の物語」だった。だから、3と1に別れた今も4人の群像劇として見続けようとしているところがあるのかもしれない。もう今はNEWSのメンバーでは無くなったけれど、コヤシゲの歌唱力に期待し、歌唱力向上に喜び、シゲの歌が頼りになると言い、小山くんの歌を心理面でも支え、妥協せず攻め続けていた自由な彼の存在が、3人のNEWS、特にコヤシゲの歌唱力に受け継がれているように感じる。

 3人は以前からいろんなことを十分わかっていたのだろうと思う。昔の記事の4人それぞれの言葉や、4部作の存在や、4人が作り上げていた音楽性が高くて多幸感しかなかったライブも、そういう物語として読み返してみると別の色を帯びてくる。


 NEWSが3人になって、どう考えても重要な局面にあるのは間違いない。そんな今、3人が配信で見せてくれるSTORYは、彼に触れず、4を一瞬も感じさせない構成になっているのかもしれないし、彼に対する3人の深い愛情を感じるような構成になっているのかもしれない。いずれにしても、「今の3人にとっての最善がそれである」ということだから、どんなSTORYだったとしても、私はその事実に涙してしまいそうだ。


概念とカルマ

 上の子が珍しく昼間家にいたので、TVガイドperson Vol.98の加藤さんのインタビューを渡した。

 私は加藤さんの2012年のspoon.のインタビューが「アイドルはフィルタ」という言葉が印象的で思い入れがあったのだけれど、これがそれを超えてきたので、誰かと共有したかったのだ。特に、WORLDISTA発売関係の心情や、「NEWSはもはや概念だね」と昔のドラマのプロデューサーに言われたという部分、そして、STORYという言葉について「業が深いですよね。カルマだよ(笑)」と語っている部分などを読んで欲しかった。

「NEWSは概念、そう思えば確かに受け入れられるかも」

 読み終わって娘はそう言った。解釈はそのプロデューサー、加藤さん、私、娘と、全員違っているのかもしれないけれど、「NEWSは概念」という言葉はなぜか私の気持ちも楽にしてくれる。

 これは私の都合の良い解釈だけど、あくまで「概念」で抽象的な存在なのだとすれば、NEWSは人数や構成メンバーといったものを超えて存在することになる。その時々に、目に見える形のNEWSがパフォーマンスで楽しませてくれてきた。今は3人だけど、本質が概念なのであれば何人の時代だって否定されることはない。私が4人の時代を今後ずっと大切に思っていても問題はない。そう感じるからほっとするんだろうか。

 その概念というものを自分なりの言葉で描写すると何になるのかぼんやり考えてみたのだけれど、私の語彙の範囲で思いつく言葉を書き留めて「NEWSっぽさ」を表現しようとしても、なんだかこんな簡単じゃないな、とか思ってしまう。「人生」「乗越えること」「再生」「変化」...そうやって選んで書いてみても、どれもが陳腐に見える。結局加藤さんのいう「とんでもなくエモーショナルなものを背負って生きていくことの概念化」を超える表現を私は持ち合わせていない。

 STORYについて「業が深いですよね。カルマだよ(笑)」と語るのを読みながら、STORYが「物語は、ファンタジーから圧倒的リアルへ。」と銘打ったテーマだったことを思い返していた。本来リアルといってもアイドルという一種のフィクションが提供する物語のはずだったのに、「圧倒的リアル」という言葉の持つ恐ろしく強い力が、「真のリアルって、これだろ」と、見せつけてきたかのような展開だったから。

 インタビューは「アイドルは物語」「一人一人が背負ってきたものが共感を呼ぶし、人の心を震わせる」「どういう形であれ、逃げずに戦う姿勢こそアイドルでありNEWS」というような内容で締められていた。3人になってから「守る」という言葉を見すぎて不安な気持ちがあったのだけれど、このインタビューを読んで解消した。私は、これからも戦う彼らを見ていきたい。


「STORYは9人全員の映像を使って欲しい」

 娘は読んだ後、そんなことも言っていた。確かに、4部作を完結させるというものではなく、NEWSというSTORYを3人がこれから綴っていくというコンセプトで、公式に全ての過去が肯定されたら、いろんな思いが昇華されそうな気がするね。
 楽しそうに過去のメンバーの思い出を語る3人を見れる日が来るといいなあ。

 一つ前の日誌で触れた「手越くん退所後雑記3」。手越くんシリーズいつまで続くのか...。まあ、私の人生の記録として残しておく。

 少し話は遡るが、8月、手越くんのオンラインライブを2人の娘と3人で見た。会場、演奏、選曲、そして彼の歌、全てにおいて想像より遥かに上質で、満足度の高いライブだった。真剣に見ていた私と上の子の横で、NEWSのコンサートとは違う大人の雰囲気に飽きたのか、下の子は手に持っていたゲームを始めていたけれど。

 ライブが終わってから、ぽつりと上の子が、「いいライブだった」と呟いた。「てごしはパフォーマンスで殴ってくる。」

 上の子は昔からバラエティの手越くんには興味がなく「歌と顔」と言い切っているタイプの手越担ということもあるのか、退所後の活動にはずっと複雑な気持ちを抱えている様子だ。楽しかった思い出はそのままにしておきたい。今の活動を全肯定も全否定もできず、動画やインスタも見たり見なかったり。彼女曰く、「いいゾンビと悪いゾンビ」がいるという。良いものには良い、と言える人たちはまだいいゾンビで、ゾンビたちのいいねが欲しくて悪口を言い続ける人たちが悪いゾンビだと。あのライブにすら文句言ってるような人たちはもう離れた方がいい、とも言う。

 下の子は「NEWSの手越くん」が好きな気持ち半分と、「手越くん」が好きな気持ち半分やねん、と言っていた。手越くんを見ると「半分悲しい」。イヤホンで音楽を聴いて涙を拭っているので声をかけるとEPCOTIAを聴いていたりする。でも、彼の企画ものの動画をケラケラ笑いながら見ていたりもするのだった。


 そして私はというと、気持ちが迷子になっていることは否定しない。3人のNEWSを視界に入れようとするたびに、NEWSファンによる「手越くんが愛されていない世界」が目に入ってしまう。私はそれが受け入れられず、あれ以来ずっと3人のファンを直視できていない。

 2年前、私は小山くんの悪口を見ないために、前向きな小山くんファンのツイートばかり眺めていた。(「ファン」参照)それはその後習慣として続いていて、私は彼女たちが喜ぶポイントを楽しむために小山くんの活動をチェックしていた。
 でも、NEWSが3人になったタイミングで私はその人たちのツイートが一切見れなくなった。あんなに暖かく小山くんを守っていた人たちの手越くんへの冷たい感情が辛かった。そうすると、不思議とそれまで聞いていた小山くんのソロラジオや、レギュラー番組も楽しめなくなる。私は自分の「好き」ではなくて、人の愛情越しにしか見ていなかったのかもしれない。

 手越くんが愛されていない世界を見たくないがために、私はまた同じ手法を使っている。悪口を言わない手越ファンのツイートといいねを巡り、手越くんが揺るぎなく愛されている世界の存在を確認しては安心し、手越くんの供給するコンテンツにファンが喜ぶ様子を眺めている。ファンの愛情越しに見える景色はいつも綺麗だ。
 手越くんが表紙のNYLONは、娘のためでなく自分がインタビューを読むために買った。困ったことに、NYLONやアエラドットの手越くんのインタビューは、NEWSにいたアイドルの範囲の手越くんの言葉より何倍も刺さってくるから不思議だ。


 それとは別に、今回の件で私にちょっとした変化が起こったことを自覚している。それは私の本来の性質に起因し、なにかを否定したりするものではないことは断っておきたい。

 私はNEWSを好きになって、それまで全く外野から眺めていたジャニーズ事務所に詳しくなった。NEWSのあれこれを提供してくれる事務所に感謝もしていた。事務所の他のグループに食指が動くことはなかったから、私は事務所的なものではなく、あくまでNEWSが好きなのだと認識していた。そもそも、ジャニーズファンにありがちな「男の人を可愛いと思う感覚」が欠落しているのと、ファンが喜ぶわちゃわちゃもあまり興味がない。(ただ一つ、加藤さんの小山さんへの変な執着は大変興味深いと思っているが)

 変化のきっかけは、手越くんに関する5月15日のプレスリリースだった。「掲載内容の相違はあれど、女性を伴う外出の事実を認めました」という文章を読んだ時の違和感。不要不急の外出、のような無難な表現ではなく、あえて、女性を伴う外出と書かれている。外出時に女性を伴ったら処分対象ということなのだろうか?という些細な違和感だ。
 これに関して、後日手越くんが会見で「外出に関して報告していたが、女性を呼ぶことは報告していない」という内容を話しているのを見て、「女性を伴う」とあえて書かれていることが腑に落ちたのだった。

 社をあげてステイホームを推奨している芸能事務所がどうやってタレントを管理していたのかは知らないが、報告させていたとしても不思議はない。また、会社へ報告の上での外出とはいえ、女性を呼び、イメージを損なうリスクを高めてしまったという点についてタレントが会社から咎められるのも仕方がない。
 だが、それとは全く別な話、あの文からそんなニュアンスを汲み取れる人はどれくらいいるのだろう。勝手に女性を連れて遊びに行ったという印象しか受けない。嘘はないが行間を読ませ、全てをタレントに背負わせる巧みな文だ。報告して外出する、という内部的な事情や、彼が独立するつもりだとか公表できないことだらけの中の精一杯ではあるのかもしれない。ただ結果として、あの文を説明するためには独立を進めるしかないのではないか。そのことに気づいた時、私の中にあった文書に対する小さな違和感がネガティブなものに変わった。

 芸能活動自粛時のプレスリリースもそうだ。あの文を良い文章と評している人がいるのを見て愕然とした。私は叙情的な文章を企業が出すことに戸惑いを感じるだけだった。運営が数名でやっている事務所や、社長が個人で記名で出す文書なら理解できる。だが、大きな企業になればなるほど、組織的に叙情性を共有できるとは考えにくい。普通は極力公式文書からは排除するものではないのだろうか。

 ビジネス文書として標準的だったのは手越くんの退所の時の素っ気無いものだけで、その後も色々な文書でこの事務所の叙情性を目にする。その度にその使い分けも含め、ネガティブな違和感が蓄積する。今回の一連の出来事の中で手越くんに嫌悪感を持ったNEWSファンがいるように、私は事務所の仕事等ではなく、事務所の出す文書があえて透かして見せようとしてくる戦略的な「情」のようなものが吐くほどに嫌いだ、と思った。

 それからだ。私はそれまで単なる事象として咀嚼していた事務所の「調和を強調したエンタメ」が苦手になった。情に厚い事務所が愛を持ってタレントを育て、先輩は後輩に優しく後輩は先輩を慕う。誰もが創設者を尊敬し目的に向かって一丸となる。繋がり、絆、調和、団結。今まではそれがあまり私の気質にあっていないこともわかっていたけれど、NEWSが好きすぎてそんなことはどうでもよかったのだ。事務所タレント大集合といった場面では、4人を探し、その枠組みでちゃんと馴染んだり役割を果たしているかなどを確認していた。それはそれで楽しく、満たされたものだった。

 ところが今は、NEWSの3人は好きなのに、「ジャニーズ事務所的な調和」は憂鬱で見れないという少し困った状況にある。事務所の先輩後輩エピソード、24時間テレビ、チャリティーソング、ジャニーズシャッフルメドレー。NEWSを見るためには避けづらいものだ。子どもたちに安心して見せられる幸せコンテンツ。そんなものに組織の同調圧力を感じ気持ちが萎えてしまうなんて、私の感覚は多分おかしい。

 結局、先に書いた身勝手な心情と一緒で、その調和は私にとって「手越くんが愛されていない世界」でしかないのだろう。私がNEWS3人だけは好きでいられるのは、彼らに手越くんが愛されていないはずがない、と思っているからかもしれない。

サーバ更新と右目の話

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 サーバの更新の時期がまたやってきた。1年があっという間だ。
 このサーバは広告を消してサブドメインを使うためだけに年2500円支払っている。その割に有効活用をしていない。昔は毎日更新しようとか頑張っていた頃もあった。でも、今はツイッターのように短文に逃げるツールがあるので、わざわざ長文を書こうというのは、そこまでの労力を費やしたい出来事がないとなかなかできない。

 この一年で私が書いた日誌は5つ。(1日誌500円、という計算にはならないけど)その5つはこの5月からの手越くんの関係のことばかりだ。でも今でも「手越くん退所後雑記3」なら書けそうな気がする。それくらいいろいろインパクトがあったのかもしれない。

 あと書けるのは、「右目の病気の件」か。
 とりあえず目の話で更新する。

 左目の病気になり悪化して手術をしたのは2017年のことで、おかしな視界で「グリーンマイル」を見た。手術をして黄斑の穴が塞がりだいぶ見え方はまともになったけれど、今だに左目は真ん中の若干右に見えない箇所があって、そこにいくと文字が欠ける。

 あの時は正常だった右目が今左目と同じ経過をたどっている。今年の2月に後部硝子体剥離があり、3月くらいから黄斑前膜になった。今右目には歪みが出てきていて、真ん中が少し小さくなり暗くなってボケている。

 一部が欠ける左目と真ん中が見えづらい右目の両目でものを読もうとすると、脳が頑張って二つの映像で立体視した結果なのか、「読んだ文字が若干後ろにあるように見えるし、一部合成できない箇所があり見えない」という結果になる。多分簡単に想像がつくと思うが、文字というものは一部欠けると読み違いが増える。フィードバックがおかしいので打ち間違いも増える。

 右目は幸いまだ円孔にはなっていないが、夏に急激に悪化したので、手術をすることにした。一般的に黄斑前膜というのはそんなに急に悪化しない。8月の上旬「様子見ておいてください。次は半年後」などと眼科で呑気な感じで言われたのに、8月の下旬に急に見えづらくなり、再度行って検査してもらったら二週間で急に収縮したのか、黄斑の部分が変形していた。(先生には「敏感ですね」と言われた)黄斑前膜自体は病気としての緊急度は低いので、手術の予約は11月となった。

 この夏の二週間で何があって前膜が急激に収縮したのか。スマホのブルーライトが原因では?と夫はいうけれど、それは日常的に浴びているし、この二週間に限ったことではない。ただ、普段しないことをした、ということでは、心当たりがある。

 プール。屋外プールだ。コロナウィルスの影響で娯楽が何もかも消えてしまった小六の下の子の希望でプールへ行った。暑かった。2時間以上いただろうか。私はあまり泳がずプールサイドにいたのだけど、思いつきで行ったのでノウハウもなく、紫外線よけをしなかった。プールが、そしてプールサイドが眩しかった。
 あと墓参り。墓へ行くだけだからと紫外線よけをしなかった。四方八方の墓が眩しかった。

 私は11月まで、この右目をなんとか持たせたい。孔をあけてはいけない。なぜなら、孔があいてしまうと、入院して三日間うつ伏せにならないといけないのだ。(この件は以前日誌に書いた) 前膜は日帰り手術でいいらしい。この二つは全然違う。

 私はそれ以来、晴れた日は、あまり使っていなかった「メガネにクリップではめる紫外線カットグラス」をはめて出歩くようになった。ファッション性はともかく、目が安らぐのがわかる。なんで夏場にこれを使わなかったんだろうか。
 私の遺伝子を受け継いでいる子供二人には伝えて死にたい。

 「目からの紫外線はカットしなさい。自分のために」


※ ちなみに、動画サイトに黄斑前膜の手術動画は結構上がっている。私のおすすめは「黄斑上膜(網膜前膜)除去5症例 Removal of epiretinal membrane 5 cases」。グロくない。目の手術動画が平気な人には「Quick View -3分30秒で見る白内障硝子体同時手術(黄斑上膜) Combined Procedure of Cataract surgery and Vitrectomy」を勧めたい。コンパクトによくまとまっている。

手越くんの「AVALANCHE 〜雪崩〜」の感想

8月5日は休みだったので、電車に乗って朝早くから開いている書店に行き、加藤くんのエッセイが掲載されている「ベストエッセイ2020」と、娘に言われた手越くんのフォトエッセイ「アバランチ」を買った。そして帰宅後、気になっていたアバランチを読み始めた。良い本であれと願いながら。

私はNEWSファンなので、それを抜きにしてレビューするのは難しい。とりあえず、1人のNEWSファンとしての感想を書いてみる。

私は4人になった時からのファンなので、私のファン歴は4人で活動した期間とほぼ重なる。雑誌のインタビューも収集し読んできたこともあり、NEWSについて書かれている部分にダメージを受けた箇所はない。在籍当時語っていたエピソード、そして、語ることが許されなかっただろう2年前のことなどが語られていた。著者の言動も、描かれている3人も、私が持つイメージと特に違わない大好きな4人だ。

私の視点でNEWSを見てきたあれこれがあって、こうして中の手越くんの視点で書かれたものまで読んでしまうと、私はこの本と自分の記憶にある素材で、勝手に3人の視点の物語を再構成してしまいそうになる。

「嘘がつけない」というのは一般的に良いこととされるけど、生きていくのには実は厄介な正義だな、なんて手越くんの動画を見ながら最近思っていた。でもこの本を読んで、一種の呪い、と思ってしまった。そうしなくてはいけないという呪縛。嘘をつけないことで本人が生きづらさを覚えるかはわからないけど、周りは常にハラハラする。彼を守るために、喋りを制止したり、横で突っ込んだり、編集したりして破綻しないようにするかもしれない。なんだかよく見た光景のような気もする。

でもその反面、嘘をつかないという保証のある人のストレートな言葉なら、褒められたら心から嬉しいだろうし、叱咤激励されたら傷ついたとしても頑張ろうと思えるだろう、と想像する。自分では決して言えないような気持ちを真っ先に代弁してくれることで、その人が盾になって救われるようなこともあるかもしれない。

そんな「嘘をつけない呪いをかけられたアイドルと、彼を守ろうとしていた周りの人達の物語」というおとぎ話のようなものを勝手に構築して透かしてこの本を読むと、過去見聞きした3人の言葉の意味が感じ取れるような気がしたし、著者の物事の捉え方の端々に「3と1に分かれる運命」の存在を感じてしまい、読んでいて切なくったりもした。手越くん、ちょっと自分の気持ちを違う方に騙してバランス取らないと、大好きなNEWSやメンバーと完全に決別することになりかねないよ。これを読む限り、3人も絶対君が好きで一緒にNEWSであり続けたいと思ってたよ、なんて声をかけたくなる。全部勝手にだけど。

私が創作したストーリーでは、呪いは本人が自分で気がついたときに解ける。それは小山くんが書いていた言葉に倣ったものだ。そんなことを考えながら読んでる私とは無関係に、著者は本当に無邪気に明るく屈託なく、ツッコミも入れたくなるような夢を語っているから、ああ、手越くんは手越くんだねえ、なんて思っていた。

ただ、読みながら流していた発売日の11時からの会見には、その屈託のない手越くんとは少し違う人がいた。過去については本を読んで欲しい。NEWSの歌は今後歌わない。なんだろう。彼の中で何かが起こったのだろうか。

本自体の感想を言うと、彼の視点で語られる関係者への感謝、思い出、報道の訂正、そして新書でよく見る評論のようなものが混在している。その評論テイストな部分に「お前が言うな」という猛反発が来ているんだろうか。事務所や芸能界についての視点としてすごく変でもすごく目新しいものでもない内容で、何も感じず読み進めていたので、娘から叩かれまくっていると聞いて、最初はへえ、と思った。また、実名を出しているだけで暴露本とか適当なことを言われているのは気の毒だと思う。でも報道の訂正は実名出さなくても文章力で面白くできたのでは、とか、内容を吟味して炎上せず質で売れる本をじっくり出したほうが絶対よかったのにな、とかも思う。スピード感も、一種の呪いなのかもしれないなと。

また、彼の武器である愛される笑顔や、誰かがツッコミを入れて全体に漂う俺様感をカバーすることもできない、書籍というものの難しさも感じた。でも、なんだか訳がわからない一生懸命さのある本だった。(ひとつ付け加えるなら写真はとてもいい。) 手越くんは多分致命的に何か足りてないけど、邪悪なものは一切感じないので、この本を読んでも負の感情が湧いてこない。正直怒る理由がない。手越くんのこの少し変わった個性と、NEWSに対する強い思いがなかったら、先日の3人の力強い「生きろ」も、おそらく存在しなかったのだから。



ジャニーズのファンは多分、変化やスピード感に慣れていない。偶像としてのアイドルを大切に飾って、明日も今日と変わらず愛でていたくて、その幸せが失われることを常に恐れているんだと思う。私自身もNEWSを好きになるまでそんな気持ちになることはなかったから、ジャニーズのエンタメが持つ強い光の中毒状態なのかもしれない。来年も再来年も私が生きてる限りアレをくれ。あのキラキラした幸せな時間をくれ、という感じ。

4人を愛でていられる時間がいつどんな形で終わるのかは私も今まで何度もシミュレーションをした。結局手越くんの退所でそれは終わったわけだけど、3人の言葉の意図するところが掴み切れていなかった私のモヤモヤは、この本を読んで少し解決したように思う。書籍としては不満はいろいろあるけれど、私が大切にしていた物事が別に間違いでないと感じたから、読んでよかったと思っている。

今まで私の中では、NEWSの4人のバランスの良さを可視化するならば「2次元平面に2軸をとると4つの象限に綺麗に分布する人たち」だった。顔立ちや個性などそれぞれが違うタイプだから、人数が少ないけどいろんなファンを集められる最強の4人だった。(その分ファンが他者を否定する光景も嫌になるほど見てきたが)

でもこの本を読んでようやく、3次元空間内のジャニーズ平面にある正三角形と、平面外の少し遠くにある一点というように、可視化し直せたような気がする。私はその三角形と一点が、正四面体に見える日が来るといいな、なんて、どこかで思っている。

思うのは自由だからね。

(2020.8.10 一部修正)

手越くん退所後雑記2ー妹とのLINE

先日久しぶりに妹からLINEが来た。妹は関ジャニの大倉くんのファンで、私の娘たちが手越くんのファンであることを知っている。

そうなるだろうな、とは思ったけど、やっぱり手越くんの話を振られた。
私は、手越くんがいなければ4人時代は成立しなかったし、今の3人のNEWSがあるのも手越くんのおかげだと思っているから、彼に負の感情がないということや、3人のファンは手越くんを恨んでいたり、4人とも好きな人は両方応援してたり、手越くんだけのファンは事務所を批判してたりと、いろんな人がいて悪口を踏みやすいからネットはあまり見たくないな、と一通り説明した。そして、最近、手越くんのYouTubeを見ながら考えていたことを書いた。

「手越くんを見てると、この人はきれいな混んだプールで順番待ちできる人じゃないな、汚れた水だとしても、自分で泳ぎたくて仕方ない人なんだろうな、と思う」
妹はその例えにピンときていない様子だった。


昔、「混んでいるプールに入っても」という言葉を使ったのは加藤くんだ。検索すると2014年の暮れ、その年にグループの活動をあまりしなかったことを語った時だ。スタッフとも相談して、混んだプールを避けた、といった表現だった。

この言葉を最近思い出していた。雑誌でどのページでも大勢の若い男の子たちが見覚えのあるじゃれあいかたをしていたり、大型歌番組でジャニーズ総勢○組!と煽られているのを見たときなど、その混み具合に息苦しさを感じることがある。私が事務所の様式美に興味がないから、タレントの存在を人口密度としか感じとれないのかもしれないが。


妹が、
「手越くん、早速バラのタトゥー入れたけど、きっと大丈夫だよ」
と茶化しているのか励ましているのかわからないメッセージを送って来たので、
「あれは前からあったよ」
と返信すると、関ジャニの誰かが女装してズコっとすっ転んでいるスタンプがきた。私は続けた。
「前は公にはしてなかったから、あ、もう隠さないんだな、そのままの自分を見せられるようになったんだなって思った。求められるアイドル像と自分との乖離と戦ってたのかもしれないな、とか、思ったかな。」
妹からは関ジャニのスタンプのみが戻ってくる。
「この子が辞めたのは仕方ないな、残念だけど、今まで事務所と合わないだろうにがんばってたな、と思うよ。海外にいろいろ行きすぎて日本人の日常感覚ともずれてる気がするけど、パフォーマンスが良かったから私はオールオッケーだったんだけどね。」


私は、上の子に「手越にも興味を持て」と言われるくらい、NEWS時代の手越君のパーソナリティに関心がなかったように思う。アイドルとして語る彼のポジティブはどこか一本調子で、私の年季の入った歪んだ心に刺さるものがなかった。

事務所のシールドを外された今、彼は、NEWS時代にファンが見なくて済んでいたあれこれが、生々しく露出している。彼にアイドルの夢を見ていた人たちの拒絶反応はそれはもう至る所で目にして、時間と空間を共有したNEWSファンとしては胸が痛むし、ピュアな手越ファンである下の子には、極力私が選別して供給したほうが良いかな、とも思ったりもする。

でも、私自身は今の手越くんを見ることで、これまでの彼に対する違和感が解消されている面もある。少しレトロな昭和のジェンダー観を持ち、スーパーポジティブで嘘がつけないというなかなか厄介な正義が行動を支配し、自分の戦略で攻め込みたくて仕方がない、そんな少し変わった「人間」なんだと思うと、腑におちることがある。あれだけアイドルとして恵まれた容姿と歌の実力を持ちながら、生身の彼は、事務所が提供したいキラキラした男性アイドルによる徹底的な虚構や、露出を制限して価値を高める戦略とは相いれない人のように思う。

手越くん初心者の私ですらそんなふうに思うのだから、その生身の彼を少年時代からずっと見ている3人に対し、事務所検閲済の「手越くんとメンバーとその関係性」しか知らないファンが、メンバーのお気持ち察する的な同情をして手越くんを攻撃する理由にしているのを見ると、なんだかな、と思ったりもする。

私はせいぜい、社員4人のベンチャー企業でお互いの実力を認め合ってギリギリの人数で運営していたのに、主戦力1人が退社してしまい、後の3人がどう回して行くかを日々考え続けないとならない状況を想像し、彼らの立場を自分に置き換えてみるくらいだ。やることが多すぎて、退社した人への感情などは後回しになることが容易に想像できる。感傷的になってる余裕はあるか?戦場で生き抜くのに精一杯だ。きっと私なら。


ちなみに私は、NEWSにも、手越くんにも成功してほしいと思っている。今後もNEWS関連はライフワークとして全てお金を払って楽しませてもらうつもりだし、手越くんはしばらくその前例のなさにハラハラするだろうけど、出来る限りの応援はするつもりだ。
2年前、私は悪口を見たくなくて小山くんのファンばかり観察していたけれど、今は同様に悪口を言わない手越くんのファンを眺めるのが一番安全なので、しばらくはそうやって見守り体勢で過ごそうと思っている。
手越くんには何回転んでも立ち上がって最終的には大富豪になって貰いたい。NEWSの元メンバーが日本経済を支えてたら嬉しいからね。

ところで。

旧手越担だった上の子が今どんな気持ちなのかはよく知らない。だから、上の子が手越くんのインスタにいいね、をしているとなんだか少しホッとしたりもする。でも、ここ数日テスト勉強をしているからかいいねもしていないし、気になって明日発売のフォトエッセイ買うかと聞いてみたのだが、
「写真がきしょい。ママ買っといて」
とあっさり言われたのだった。

寂しい。

手越くん退所後雑記

一昨日、上の子が手越くんのインスタのとある画像と、
「なんでこの顔面でこんなダサくなるん????」
「使い方間違え過ぎちゃう?????」とメッセージを送ってきた。
私は「だから、センスないんだってば...」という返信と、増田くんの舞台に外れた件を連絡し、秋のイベントは当たるかな、と送ると、「オンラインで5秒ずつ話せるのがいいな」とか返ってきた。

私が、娘にチャンカパーナの時の手越くんは24歳だったことを教えると、今21歳の娘は
「やべー」「さんこうえ」「やべー」とバタバタ返事を送ってきた。

振り返ると、あの時、そんな若い4人が再始動したんだよな。
そして、今、彼らはもう30代なのだ。

手越くんが退所した日の子供たちのことは辛すぎて書かないけれど、私自身、彼の脱退に心がちぎれそうになった。祈りは届かなかった。もう見れないんだなあと、ファンクラブの過去のメッセージ動画を再生すると、さっきまで泣いていた下の子は4人の楽しい動画にケラケラ笑っていた。私は4人が戯れているような動画を見ながら、この4人がいた時間が奇跡だったのかもしれないな、という気持ちになっていた。

手越くんの会見は私は半分も見ていないのだが、涙を流しながら最後まで見ていた上の子がすっきりした顔で、てごし変わってなかった、と満足したように言っていたので、私自身はもう見なくていいかな、と思っている。ツイッターなどを眺めると、ファンの中でも幻滅したり、好きな手越くんそのままだと思ったりと反応は様々だった。あそこにいたのは無修正の手越くんで、事務所の厳しい品質チェックで補正されたアイドルの手越くんではないから、受け入れられるかどうかは今まで彼をどう捉えていたか次第なのだろう。

普段無関心な夫が、「加藤が執筆に専念するから辞めるって言ったらどうなの」と思いも寄らなかったことを聞いてきた時、私は「応援するよ」と即答していた。加藤くんがそう決断するなら相当なことで、いくら寂しくても私は支持できると思った。それは多分NEWSが好きな気持ちと並行して加藤くんのパーソナリティを尊重しているからだ。

そう思うと、意識していなかったけれど、私は手越くんを、NEWSを構成するメンバーとしてしか捉えていなかったのかもしれない。パーソナリティに共鳴していたわけではないのだろう。手越くんの声が他の3人の歌声に重なる瞬間が好きであり、手越くんの姿に目を輝かせる自分の子供たちが好きだったのだろう。それが私には尊くてかけがえのない譲れない時間であったということだ。だから、手越くんに少しは自分を殺してでもSTORYを完結させてもらいたかった、などと、勝手なことを思ってしまうのだろう。

自分のことを思い返すと、バブル期に24歳で入社した企業を辞めたのは30歳の時だ。その企業の環境がどれほど恵まれていたのかは後にわかったけれど、辞めたこと自体は後悔していない。適性という意味で限界を感じていたし、辞めたことで自分の仕事に対する甘えに気づくことができた。自分の至らなさを素直に認めて努力するようになった気がする。

4人の歌がもう聴けないことに時々言いようのない喪失感が襲ってくるけれど、そうして自分の当時の悩みや決意を思い出し、引きちぎれそうな気持ちを宥めようとしている。


アイドルというフィクションの世界にとどまった3人は、本音を無修正で吐露することは今後もないのかもしれない。大人として、アイドルという職業を選びつづけてくれている3人には感謝しかない。

彼らにもし一つ我儘が言えるならば、そのフィクションの世界で、この一葉欠けた「STORY」を幸せに完結させてもらえないだろうか。予期しない別れや、自分たちの力だけではどうにもならないことは必ずあるけれど、乗り越えられないことではないということを、絶望の淵にいるかもしれないファンに見せてくれないだろうか。

もし3人のSTORYライブが開催されるなら、4の時代を否定せず、4が3に変化する、辛いけどそれが4人全員の幸せであった、というエンディングがいい。フィクションの世界は現実とは無関係で良いのだから。過去築いた4人の時代も、そしてこれからの3人の時代もファンがもう一度改めて愛せるような、そんな幸せな夢がみたい。
でも、3人ならあの素晴らしいハッピーライブのように、予想していた遥か上を見せてくれるような気もしているのだが。


ところで、私自身はこんな辞め方をした手越くんに不思議なくらい負の感情がない。4人になった最初から見ているからだろうか。若い4人には手越くんの強さが必要だったし、4人のNEWSがどこか予測不能でスリリングだったのも、手越くんの存在と、ギリギリで止めていた3人の役割が大きかったと思っている。

ただ今の手越くんにはどうもハラハラすることもあって、目が離せず、今は過去最高に手越くんや手越担を観察しているといっても過言ではない。でも、先日会見を涙を流して見ていた上の子は、「SNSの使い方も動画の編集もダサすぎる。心穏やかに見てられない」「おじさん」と気持ちが離れかかっていて、少し寂しい。

SNSネイティブで目が肥えている世代に受けるのって、本当に難しいね。

「手越くんへの手紙」への補足

ネットを見ることのない小学6年生の下の子は、おそらく純粋培養された手越担なのだと思う。上の子は二十歳過ぎててもう物事がわかっているし、免疫もある。

昨日、「報道は本当なのかな、別人なんじゃないかな、手越はふざけてるようでまじめだし」と下の子が言い出して、胸のあたりが締め付けられるような気持ちになった。
どうしようかな、と思ったけれど、言えることだけは言った。

「報道は全部本当ではないとは思うけれど、事務所から、しちゃダメだよ、って言われてることをしたことは本人も認めているよ。お仕事を自粛することを事務所が決めたんだから、それは本当だよ」

このやりとりを聞いていた上の子が言う。
「てごしはバカなんだよ。ネジが一本外れてるんだよ」

今回事務所の手越くんの処分に関する発表はかなりの長文だったけれど、結局「今日に至るまで本人に理解させることができず」しか印象に残らない。この文に、一般の人は非常識さを感じ怒りを覚えるのかもしれない。

私は、正直なところ、上の子が2回目の報道の時に泣きながら言っていたように、手越くんが過度な自粛に否定的で、自分は間違っていないと思って外出しているように感じていた。彼が交友関係としてよく名前を出す堀江氏をどうしても思い出してしまう。周りに流されやすい人に対して心配するのはその弱さなわけだけれど、今回はかえって手越くんの持ち味である「強さ」と「正直さ」と「ポジティブさ」を怖いと思う。奴らの思う壺、何なんすか、見つめ直すって。今まで逞しく思えていたその言葉の数々が、不安を煽ってくる。

あくまで自粛要請である。開いているお店はその店の事情があって開けている。そこへ行ったこと、それ自体を犯罪でも犯したかのように叩くネットの論調は全く理解できない。ただ、うちの下の子のように、手越くんを大好きなピュアな子というのはたくさんいる。事務所が彼の意に沿わない理不尽なことを言っているのではなくて、自分の過去の仕事の成果で築いたポジションが求めてくることなのだと思う。彼がもしステイホームに賛同していないのであれば、影響力も考えて、彼を仕事から離れさせる処分を下されるのは残念だが仕方がないことではないかと思う。

私にとって手越くんは、チャンカパーナイベントで丁寧に目を合わせて礼儀正しく挨拶をしてくれた好青年であり、「愛なんて」という曲でNEWSに興味を持たせてくれた人であり、声質の組み合わせという面白さに気づく上で大きな役割を果たしてくれた、いわば、変な先入観を取っ払ってくれた恩人だ。そして、私の一番大事な娘たち2人を、今までずっと幸せにしてくれた人でもある。4人になったNEWSから見てきて、手越くんの真っ直ぐさとブレなさがどんなに心強いものだったか。

だから、増田くんがコメントしていた「悔しい」と言う言葉がしっくりくる。

手越くんがこんなに大好きなのにね。それだけではどうにもならないのかな。悔しいね。

手越くんへの手紙

小学校6年生の下の子は、3才の時から手越くんのファンだ。ちょうど私がNEWSにはまりDVDを見まくっていた頃だったのだが、それを一緒に見ながら、「この子がいい」と指をさす。違うシーンになり、もう一回聞いても、手越くんをさす。わざと違う人を指してこの子?と聞いても、この子じゃない、この子、と手越くんをさす。まだこんなに小さいけど、ちゃんと顔を識別して、誰かを好きって気持ちになるんだな、と驚いたことを覚えている。

嵐のファンだった上の子も、いつのまにか手越担になっていた。彼女はテゴマスのハーモニーが好きで、そこがきっかけなのかもしれないがよくわからない。

いつも子供たちのために手越くんのうちわを買った。下の子が大きなピンクのリボンをつけてウキウキしている姿は微笑ましかった。コンサート空間は幸せに満ちている。手越くんの笑顔は発光しているかのようだった。今年は久々に着席ブロックが当たって下の子もSTORYに連れて行けることになり、みんなで心待ちにしていたのだけれど。

手越くんはとにかく歌が安定していて、揺るぎようのないNEWSの歌の要だ。彼の透き通る高音は聴いていて気持ちがいい。私の好きなNEWS の曲のひとつに「 Snow Dance」がある。地上から空を見上げて、白い息を吐く光景が浮かぶようなコヤシゲの歌声から、手越くんの声で暗闇から光が差し、増田くんの声で天使が舞い降りてくるような曲。4分割な単純な歌割なのに適材適所に配置されていて、4人の個性が生きていて素晴らしいと思う。手越くんは歌声でも、光を見せてくれる。

手越くんの歌で好きなものはいくらでもあげられるのだが、個人的には他のメンバーの歌にハモっている箇所が特に好きだ。NEWSを聴き始めた頃は加藤くんの声に手越くんの声が重なるとどうしてこんなに心地よくなるんだろうと、音声解析ソフトを見ながら考えたりもしていた。手越くんのハモパートが堪能できる「生きろ」の2番は特に好きだ。他の3人のそれぞれの歌声に重なる手越くんのハモは、前に出過ぎずちょうどいいポジションで3人を支えていて、この力はNEWSの宝だなあ、なんて思っていた。

こんなふうに書いているときりがない。

上の子が高校生だった2014年の暮れ、願いの短冊に「NEWSがコンサートやりますように、てごしがやらかしませんように」って書いていて苦笑したことがある。 SNSネイティブな世代の彼女はいろんな情報を目にしてきたのだろうと思う。下の子のようなピュアさはないし淡白な感じだけど、OpenRecでゲーム配信することを知った時は、自分の大好きなもの二つのコラボレーションに近年見ないくらい興奮して、「自分が生きてるうちにこんな光景が見れるなんて!」とまで言って喜んでいた。

今回、1回めの外出の記事が出て彼がユニットから外れたとき、彼女は「好きなものを好きだと言っていこう、と思って、専用のTwitterアカウントをつくった」と言っていた。そういう気持ちは大事だと、彼女の言葉に私も嬉しくなった。でも結局2回めの外出が記事になり、それを見て、彼女は抱えていたものが決壊したように泣きだした。挑発するかのような行為自体がショックだったのかもしれない。「多分、本人はいろいろ調べて、本人なりのポリシーで動いているんだろうけど、そういうことじゃないんだ」と言っていた。

私は彼じゃないからどういう気持ちでいるのかわからない。経済活動を止めてしまう必要はないという考えなのか、1回めの処分に納得いかなくて荒れたのか、ゴシップ誌の監視や事務所の監視への反発なのか、睡眠障害なのか依存なのか、無責任な想像はいくらでもできる。いつもゴシップ誌に付き纏われ面白おかしく書き立てられる彼にとって、コンサートを含め仕事場は心安らぐホームで、彼のバランスを取るものだったのではないか、とか。これも、想像でしかない。

手越くんの歌を聴いたり言動を見ていると、何かと闘っているように思えることがある。それこそ、彼がよくやっているゲームのように、常にどこかに敵がいて気を抜くと殺されてしまうかのような。去年の DoLLsというソロ曲も、こんなことを言いたいのかな、と感じるものがあるし、もう32歳だし、自分の中身と仕事との色んな解離と闘っているのかもとも思う。

彼の精神状態は限界なんだろうか。光を放つエネルギーは相当なものだろうから、今の彼に求めるのは酷なのだろうか。私は、本心を言えばNEWSの宝の歌声を失いたくないから、手越くんにはずっとNEWSでいてほしいと願っている。それが無理なら、少なくとも、仕上がってた STORYライブは、幻にしないでほしいとは思う。みんなで作るSTORYを、未完のままにしないでほしい。もし、それも今の精神状態で考えることすらできないならば、せめて今はファンレターに目を通す時間にしてもらえないだろうか。

活動自粛が発表された日、下の子は手越くんに手紙を書いた。11 歳にして初めてのファンレターだ。3歳から応援して、ネットなんか見ることもなく、本当に純粋に手越くんの仕事だけで幸せをもらってきた子の書いた手紙。好きな気持ちと、STORYに行きたかったことと、NEWSをやめないで下さいという内容。私はこっそり写真を撮って、今回の件でしんどくなる度眺めている。手紙を出した後、下の子はぼそっと「お手紙届くといいなあ」と呟いていた。おそらく全国からたくさんの手紙が届くだろうし、彼がそれを開封してくれるのかわからないけれど、この子の気持ちが、今の手越くんの心に届きますように。

そして、手越くんが闘いの手を休めて、たくさん寝て心穏やかになって、光を蓄えることができますように。

イベントストーリー

NEWSに恋して」というアプリがある。去年リリースされて何度か挑戦して意味がよくわからずできないまま1年経ち、こういうことができないのは老化と、やっと心の障壁を乗り越え今年の2月くらいからできるようになった。唯一続いていたゲーム「どうぶつの森」をやる感覚で生活パターンに組み込んだので、現在も順調に続いている。できるようになったよ、と上の子に報告したら、「誰もそんなこと期待してない」と言われた。そうか。

知らない方のために説明すると、ゲームの種類としては「アドベンチャーゲーム」。メンバーを選び、提供される恋愛シナリオを読むのが目的のシンプルなゲームだ。条件分岐もほとんどない。でも読み進めるためにはファッションチェックという名前で何処かの誰かと所持品の得点を競ったり、有料のアイテムを買ったりしないといけない。読み終わったり条件が揃えばアバターをオシャレさせ強くするアイテム、もしくは、NEWS のメンバーのボイスや写真がプレゼントされたりする。課金すれば我慢を強いられず好き放題だってのは他のゲームと同様。

このアプリでは「本編」というメンバーそれぞれの長編ストーリーと、「イベントストーリー」という期間限定の短編ストーリーが提供される。イベントストーリーはNEWSメンバーが先輩だったり同僚だったり、お見合い相手だったりルームシェアの相手だったり、一緒に遊園地の戦隊ヒーローやってたり、いろんなパターンでの恋愛が始まり成就する。今年から始めた範囲でも、よくこんなに恋愛話のパターンが尽きないなと感心する。

正直やっぱり若い人向けのアプリだから、恋愛ストーリーを楽しむというよりは、どうぶつの森と同じようなモチベーションでやっているのは否めない。つまり、必要なことをやってミッションをクリアしコンプリートする、という感覚だ。まあ、ストーリーを読んでも、なんでこの主人公女子が好きになってもらえるのか全然ピンとこなかったり、ツボが違うなと思うことも多いけれど、違和感も含め楽しんでいる。こんなわかりやすい妄想がオフィシャルに供給されているというのがそもそも面白いし、それぞれのパブリックイメージから外れず大多数のファンが喜ぶストーリーを、ネタ切れすることなく書いているライターさんは凄いなと思う。読んだ範囲では、主人公が論理的な話し方をするところに高評価を与えているという点で、お見合い編呉服屋加藤君が良かった。あと、知的マニアック変人な雰囲気の学芸員加藤君と、ただ待ってる元彼で花屋の増田君も良かった。本編は加藤君を数回やってコンプリートしたので、今は小山君をやっているが、小山君の話は全体に優しくていいね。

NEWSに恋して」のあるあるなのかもしれないが、手越君のストーリーは、主人公の女子が手越君と出会った時にその顔の綺麗さに驚きがちだ。私はそんなストーリーを読むたびに、あることを思い出す。

遡ること7年前。チャンカパーナの初回限定盤4枚組セットに封入されていた応募券で当選した人が参加できる「集まれ!!!!チャンカパーナ」というイベントがあった。私は運良く大阪のとある回に当選した。未就学児 1人同行可だったので、当時4歳の下の子を盾にするように連れて行った。私は6人時代を後追いでしか知らないバリバリの新規ファンだったこともあり、右も左もわからない中での恐る恐るの参加だった。とにかく、私ごときがはしゃいではいけないと思っていた。

今から考えると奇跡のイベントだ。4人で再出発をしたばかりの彼らは、イベントの最後に参加者全員と握手をした。私は4歳児を左手で抱き抱えて列に並び、空いている右手で握手をさせてもらった。増田君、加藤君、小山君、手越君の順だ。

今でもはっきり覚えている。増田君がイメージよりかなり大きくて驚いたこと。加藤君が子どもに慣れてないなと思ったこと。小山君の番になった時に4歳児を片手で抱えきれなくなりあたふたしてしまい、小山君とちゃんと目を合わせた握手ができなかったこと。そしてラスト、手越君が腰を低くして丁寧に握手してくれたこと。

その時、私は手越君の顔をまじまじと至近距離で見た。そして思ったのだった。

「世の中に、こんな顔をした人がいるんだなあ」

初めて近づいて肉眼で見た手越君の顔は、顔立ちの彫りの深さや整い方が間近で見るにはオーバースペックすぎて、脳が処理できない。

10メートルくらい離れて見るのにちょうどいい顔立ちっていうのがあるんだなあ。」

そんなことを思ったのは後にも先にも手越君だけなのだった。

NEWSに恋して」のイベントストーリーで、手越君と出会った女子が顔立ちの綺麗さに驚くくだりを見る度、「そうだよな、驚くのはよくわかる」と思うし、逆にそのくだりがないストーリーにはリアリティを感じない。君はなんでそんな簡単にあの顔立ちを日常生活で受け入れられるのだ?

ところで、せっかくなので集まれ!!!!チャンカパーナでの件をもう少し書いておく。

私はあの時、加藤君にファンであることをどうしても伝えたいと思った。男性アイドルに強い思い入れを持つ経験が人生で初めてだったので、こんな私でも何か一言くらい声をかけてもいいのでは、と思ったのだ。

他の3人は4歳児の頭を躊躇することなく撫でてくれたけど、加藤君は少し違った。私が抱き抱えていた4歳児は手にイベント参加券をずっと持っていたのだが、その4 歳児の両手を取り「持っててくれてるの〜」と言って、手遊びをするように手を23度上下させた。

その後、私は加藤君と握手する番となり、その時与えられた時間で唯一噛まずに言えそうだった言葉を発した。それは、

「加藤さん、さいこーっす」

だった。そう、それが7年前の私の精一杯ですよ。

加藤君はそれに対して若干の硬さの残る表情で「本当ですか。ありがとうございます」と言ってくれた。あとで検索したところ、一般に握手会定番と言われる台詞なんですってね。でも頂けただけで嬉しいです。

7年分の思い入れが増した今の私なら4人になんと言えるかな。結局、さいこーっす、しか言えないかな。