「NEWS」と一致するもの

苦悩していること

年の瀬。今年一年色々あったようななかったような。アウトプットを怠っていると一年が秒で終わってしまう。

今年は、手越くんのライブはチェックメイト大阪2回、シンフォニックコンサート春夏2回の計4回行った。NEWSのライブはNEWS EXPO大阪城ホール1回だけだったけれど、初めて1人で行った。20周年ドームは上の娘と申し込んだけど外れた。10周年も外れたし、ドームには縁がないようだ。

NEWSファン関係のTwitter(X)はここ数年見る頻度が減って、今年に入ってからはもう全く見ていない。これはここのところずっと苦悩していることなのだけれど、私はNEWSの、いわゆるファンダムと相性が悪い。昔はその熱量に乗り切れないところはあっても、自分に欠けたものを補うように、ファンのツイートをよく観察していた。キラキラしている気持ちを見るのが新鮮で、好きだった。2017年ごろからメンバーへ酷い暴言を吐いているアカウントを多く見かけるようになって、2020年6月以降はそれらが一斉にターゲットを手越くんに変えたように思う。毒塗れの唾液を吐きかけてリツイートしたり、咀嚼して吐き出し原型を留めぬ毒ツイートに変えてばら撒いたりしている、そんな感じ。それまで内部のメンバーを攻撃していた異様なアカウントだし、特定の人たちなら何とか避けることもできる。でもそれ以上に私にとって問題だったのは、普通のNEWSファンのアカウントが息をするように悪口を言うことだった。

私は昔から悪口で盛り上がる人たちが苦手だ。結束ツールとしての悪口は、内容が本当につまらないし肯定も否定もし辛くて面倒だ。悪口で高揚している人の表情は何度も見たけれど、形容し難い醜さがあるよな、と思う。でも、NEWSのファンダムでは手越くんへの悪口は許容されているようだった。許さないという気持ちの共有は内部を愛するエネルギーになるからだろうか。

最初は耐えた。でも、キーワード検索をやめ、トレンドやタグをタップするだけでも、誰かの悪感情が紛れ込んでくる。
いや、これは仕方ないのだ。みんな傷ついていて、NEWSに癒して欲しい人たちなのだ。NEWSも言っていたじゃないか。みんなの気持ちはわかります、僕たちが癒しますよ。と。
相思相愛の関係だ。素敵なことだ。

でもなあ、きっと私はそういった世界と相性が良くない。誰かを否定することで団結したくもない。湿度が高すぎると居心地が悪い。気持ちはわかると言われても、そんな私の気持ちをわかってもらうのは無理なのではないか?
向いてないなあ。つくづく向いてない。

検索よけなのか、名前の代わりに「手」の絵文字を使って悪口をツイートしているのも気持ち悪すぎる。毒ツイートを購読して悪口を供給してもらい悪感情を枯らさないようにしているのも気色悪い。私が今の手越くんのライブを見ることなく脱退後のパフォーマンスの凄さを知らないままだったとしても、この人たちと同じように許さない許さないと言ってあの金髪とか絵文字使ったりしてバカにしたりしないと思うんだよな。何が違うんだろう。私がドライすぎるんだろうか。

結局、情報を拾うのは完全に諦め、NEWS関連ツイートはトレンドすら見るのを一切やめた。きっと楽しめないから。暴力的な「おすすめ」で時々嫌なものも見てしまうので、Twitter(X)を見る頻度も減った。それでも「全てのチームNEWSに幸あれ」「チームNEWSで幸せだよ」といったタグをたまに見かけるのだけど、怖くてタップできない。そこに、いろんな私の苦手や、他者への悪感情を拾うかもしれないという恐怖があるのだった。これ以上何かに苦手意識を持ちたくない。

もともと淡白で男性に対してカワイイとかキャーという感情があまりないので、人のそれを観察して補うことができない現状だと、推しをアイドルとして愛でる能力がこのまま枯渇するのではないか心配だ。ドームへ娘と行って、そのための熱量を自分に供給しようと思っていたけど、考えが甘すぎたのかも知れない。

今の私はどういう状態だろう。
自分でもよくわからないな。

「CHECKMATE」感想メモ(ライブ編)

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何か無性にある食材が食べたくなるような時は栄養不足のサインだと聞くし、確かにそれは今まで生きてきた実感としてもある。生存のために体が求めているんだろうと思う。今自分が欲していると感じたら、自分の欲求に従うのが最善だ。

私が最近手越くんのライブによく行くのはその類の欲求のような気がしている。彼のライブは生命力に溢れている。パフォーマンスが圧倒的で、迷いがない。生の歌声が強いのだ。

おそらく私は死にかけているんだろう。ライブに、擬似的な恋や仲間との絆や成長や感動や涙を求める人もいるんだろうけど、私に一番必要な生存のための力になるものが、今の手越くんのライブにあるんだと思う。

今年の5月には、手越くんのシンフォニックコンサートと、CHECKMATEツアー大阪公演の両日に行った。月3回見たことになるが、おそらくそれも生存本能だ。

それらのコンサートについてはこんな感想をツイートした。

【2023年5月4日
手越祐也シンフォニックコンサート
東京オペラシティ】

「今日は下の子と東京オペラシティへ行った。ちょっとはおしゃれしたら、とか思ったけど、頑なにスカートを履かない。それはともかく、コンサート、とても感動してたみたいでよかった。母もあの時間とあの音楽を共有できて嬉しい。
本当のところ、最初はどう聴いていいのか戸惑いがあった。並走して溶け込む歌と演奏を、脳が勝手に分離して聴こうとする。音が凄すぎて処理能力超えてるのだろうか。しばらくしたら慣れてきたのだけど、でもやはり多少気を張って聴いていた気がする。
それが全く消えたのはMAZE WORLD。もうただ全ての音の掛け合いがかっこいい、気持ちいい、好き、楽しい。高尚な場にいるという変な緊張感があの一曲で解けたのか、それが何なのかよくわからないけど。それ以降はずっと楽しくて自分から前のめりで音を取りに行くように聴いた。
OVER YOU、すごかったなあ。演奏も歌も。圧巻って言葉以外思いつかない。 」

【2023年5月17日
手越祐也「CHECKMATE」ツアー 大阪公演
Zepp Namba】

「手越くんのライブ行ってきた。歌が上手いのはいつものことなんだけど、あらためて、超ハードなセットリストでずっとニコニコキラキラしながら息ぎれひとつしないで音源以上の歌が歌い続けられる凄さね。」


「CHECKMATE」は以前書いたようにとても好きなアルバムで、その収録曲が聴けるだけで気持ちが上がった。ライブに行く度、毎回新鮮に「歌が凄い」と思わされる。それは以前の比でない。ソロになって最初の頃は演出等に手探りな印象もあったけれど、今回のライブはそういう面でも満足度が高かった。特に、スクリーンを置かずレーザーの光の演出に絞っていたところ。3次元的に広がる強い光は、迫力ある歌声や演奏にとても合っていた。

ところで、CHECKMATEツアー2日目については個人的に記録しておきたいことがある。

今までNEWSや手越くんのライブは同行者は全て娘だった。でも今回大阪二日目の5月18日は娘が2人とも行けなかったので、初めて知人に声をかけた。もちろん1人でも行けたのだが、手越くんの声の音としての凄さを誰かに体験してもらいたかったし、彼のライブならファン以外でも楽しめるはずと思ったのだった。

私は自分の趣味に人を誘うのがとことん苦手なのだが、誘う相手として今回唯一思いついた人がいた。その人は私より若干年下の、数年前まで職場で一緒にお昼を食べていた女性。現在難波で働いているはずなので、平日の勤務後にライブに来てもらえるかもしれないと思ったのだった。(結局、私の記憶違いで尼崎にお勤めだったのだが)

彼女はおそらく手越くんをそんなに知らない。誰かのライブにもほぼ行ったことがなく、音楽もあまり聴かないという話だ。でも、地域の文化にとても詳しくて、一人で各所のマイナーな祭りを見に行く行動力を持ち合わせている。そして、物事に偏見がなくて優しく、誰かの悪口を全く言わないという点で、信頼できる人だった。手越くんはフリー素材か何かのように週刊誌の記事の穴埋めに使われがちで、その見出しだけで先入観を持っている人が多いかもしれないと思うのだが、彼女ならそういう次元にはいない気がした。

当日彼女は仕事終わりに駆けつけてくれた。「何も知らないので作法を教えてください」といわれ、私は入場の方法、小銭の用意など一通り説明した。

入場し席に着いてから、手持ち無沙汰にならないよう用意してきたペンライトを渡した。そして、ペンライト初体験という彼女に使い方を解説するとともに、重要事項と思われることについてもいくつか説明した。

「話の中に"ハニー"という言葉が出てくると思いますが、ファンのことを指します」
「下の名前がゆうやなので、みなさんゆうやコールをします」
「アンコールの時はみなさんダーリンと言いますが、そういう文化だと思ってください」

彼女は、
「了解です。ハニーの皆さんにご迷惑をかけないようにします」と、「ハニー」をいじる訳でもなく真面目に言っていた。私たちの会話は丁寧語だ。

席は最後列。もし良かったらこれを、と、双眼鏡を手渡そうとすると、丁重に断られた。ペンライトで十分だとのことだった。手越くんの顔立ちは日常生活ではなかなか見れない貴重な造形なので、双眼鏡で見る価値は十分あるのだけど、確かに抵抗あるというのもわかる。「人の顔を双眼鏡で見て欲しいと思う」そんな私もよく考えたら変なのかも、と思った。

ライブが始まると、彼女は前の人たちと合ったタイミングでペンライトを振ってくれた。溶け込む努力をしてくれたのか、楽しんでいるのかその場ではわからなかったけれど、こちらが気を使ってしまうような場面は一切なかった。アンコール時は、「ダーリン」(ちゃっちゃ)、の手拍子部分に普通に参加してくれた。私もあのダーリンコールは流石に難易度が高くとても言えないため、2人でちゃっちゃ、と手拍子をしていた。一番最後の退場の時も、前の人たちと同じように手越くんに手を振ってくれていた。

帰り道、電車で話したことで覚えてることはこんな感じ。

「ありがとうございます、楽しかった、歌が上手いし、いろんな歌が歌えるんですね、ダンスもキレキレで。」

そうなんですよね。その通りです。こちらこそ来て頂けて嬉しかったです。


8月12日のシンフォニックコンサートは、夜の部が取れたので下の子と行く予定だ。セットリストにおそらくCHECKMATEの曲が加わるのだろう。どんなアレンジでどんな音を聴かせてもらえるんだろうか。今から楽しみだ。

きっと、歌いながら最高に幸せそうな表情しているんだろうと思う。あの表情が見たいので、双眼鏡、持っていきますかね。

その人について

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昔から有名だった、そんなことはみんな知ってた、という人がいる。いや、それはないのでは?と思う。

確かに私は、1960年代の裁判の件や、元所属タレントが著書で何度も関係を告発しているのを知っていた。20年くらい前の文春裁判でセクハラの部分が認定されたことも知っていた。

1960年代の裁判のことは、昔「アラン」という雑誌に書いてあった。それは、昭和にも存在したいわゆる腐女子向けに発行されていた雑誌だ。私はその雑誌に「少年ドラマシリーズ全リスト」が掲載されているのを知って買ったのだと思う。

それがたまたま昭和57年発行の「特集 ザ・アイドル」という号で、男性アイドルを振り返る特集が組まれていた。タイガースから始まり、ジャニーズ(グループの方)、フォーリーブス、郷ひろみなどについて勝手にアイドル指数を採点していたり、昭和33年から57年の男性アイドルの系譜のようなものが年表として載っていたりした。アイドル年表のジャニーズの系譜の最後には、少年隊以前の錦織さんや植草さんの名前がある。現在事務所最年長の東山さんの名前は出てきていない。つまり、ジャニーズ事務所が今の帝国を築く前の本になる。
ちなみになぜこんなに詳細に書けるかというと、以前、古本で見つけて懐かしくなり買ってしまって手元にあるからなのだが。

そのアイドル年表に「ジャニーズ裁判」と書かれている箇所がある。年表に内容の詳細は無いが、別コラムで昭和42年の週刊明星を引用する形で、裁判の内容が面白おかしく語られている。

当時私がこれをどこまで読み込んでいたかは記憶にない。ただ、このあまり品のないコラムのニュアンスで、事務所社長の性的嗜好のようなものを認識したのだと思う。そのあと相次いで出版された告発本については、売られているのを書店で見かける度、読みたいと思うその興味自体を、いかがわしいものと抑制していた。

文春の告発記事は忙しかったのか認識していなくて、裁判で認定されたことはだいぶ後になって巨大掲示板あたりで見たような気がする。

亡くなった時、それらの件に関してはどこのメディアでも触れず、タレント達は全員競うかのように愛情のあるコメントをし、情報番組のキャスターたちは日本の芸能界への功績を絶賛するのみだった。違和感はあった。でも、功績は間違いないのだろうし、晩年は性欲のようなものは枯れて、審美眼だけがプラトニックな形で残ったに違いない。そうであれ、と思っていた。タレントさんたちがあんなに愛おしそうに語るのだから、今そんなおかしなことをしているはずはない。たとえ性的嗜好はどうであっても、それほどに歳をとった男性が実際に子供たちに手を出すことはないだろう。

どこかそんなふうに思っていた。
これは、「知っていた」というんだろうか。


最近の一連の告発と、それに伴う報道は一通り追っている。性加害を告発した人のインタビュー、解説番組、事務所やタレントさんたちのコメント。メディアの報じ方。
中でも、被害を告発した人の「城壁に小石を投げるような」という言葉に心が痛む。その絶望感と無力感はあまりにも悲痛だ。

いろいろな人がいるのかもしれない。加害を受けた人、受けなかった人。加害で心を病んだ人、加害を愛情に昇華できた人。それについてはよくわからないし、無責任にカテゴライズできるものでもない。

センシティブな話であることは間違いないだろうが、ほぼ私の人生のそのものともいえる長期間にわたって続いていたのなら、どうしてその間に誰もやめさせることができなかったのだろう、と率直に思ってしまう。故人だから、ということで有耶無耶にしたとしてもどのみち永遠に解決しないのだから、全く利害関係のない第三者に調査を委ねるしか決着する方法はないのではないだろうか。客観的な事実だけを積み上げて故人の行為を検証しない限り、何も進まないように思う。


ネットでは、ジャニーズファンの方が告発者を激しく非難する言葉も目にする。無関係で真実を知る由もない匿名の人が、何かを守りたいのか誰かに罵声を浴びせている。

ファンは、自分の推しが愛情を持って語るジャニー喜多川氏のイメージを共有してきた。推しが尊敬する人は大切にしたい、という気持ちは理解できる。多くのタレントがその人とのおもしろエピソードを語ってきて、ファンは、それを聞くのが嬉しかったのではないだろうか。社長と仲が良く気に入られているというのは事務所に推されることに結びつくし、推しの能力の高さが認められているようで誇らしくもある。

私はそういう意味では近年はNEWSのフィルターを通して人物像をイメージしていたことになる。彼らは、「その人」との濃いエピソードをそこまで語る人たちではなかった。増田くんに至っては、お前、と呼ばれた塩対応エピソードが最強鉄板ネタとしてあるほどだ。以前、少年倶楽部プレミアムでその人の話題になった時、3人が一斉に小山くんに頼ったシーンがあったようにも記憶している。

加藤シゲアキ著「できることならスティードで」に「浄土」というエッセイがある。ジャニー喜多川氏が亡くなった時の著者の心情が綴られているものだ。とても良いエッセイなので、未読の方にはぜひ読んでいただきたいのだが、そこに著者の故人への複雑な感情が綴られている。

自分を「異世界」に誕生させてくれたという意味で親であるその人。自分が認めて欲しかった部分じゃないところが認められオーディションに合格し、「バスの中で居眠りをしたときの寝顔」という、自分が褒めて欲しい部分ではないところを褒めてくれた人。大人になってから久しぶりに会ったとき、自分を見て、最悪だよ、と言った人。

彼のなかでもっとも良かった僕は、バスで眠る小学六年生だ。どれだけ頑張っても、あの日の小さい自分を超えることができない。

加藤さんが子供の頃の顔で選ばれたことを苦悩し踠きながらアイドルを続けていた人だからこそ、私のジャニーズに対する偏見のようなものを払拭するきっかけになった気もする。ジャニー氏がどんなダメな人であったにしろ、私が楽しんできたコンテンツは全て彼の審美眼から始まるものであったと思うと複雑だが、それについては感謝しないといけないのかもしれない。

多分、加藤さんに限らず辞めた人も残った人もみんな、ジャニー氏に対しいろんな感情を抱えながら歳を重ねてきたのだろう。人生を壊された人の気持ちは想像に余りあるけれど。

「浄土」の最後に、「彼の姿を色濃く脳裏に浮かべながら、それぞれが彼から学んだことを次の子たちに、少し笑えるようにして伝えていくのだ。」という一文がある。これから彼らが次の子たちに伝承していくものは、彼らが咀嚼して再構築した今の時代にあったものになっているはずだ。今後、その人についてどんな事実が明らかになったとしても、それは変わらないのではないだろうか。

「CHECKMATE」感想メモ(アルバム編)

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手越くんのセカンドフルアルバム「CHECKMATE」が4月5日に発売され、現在、そのアルバム曲を中心にしたツアー中だ。私も先日大阪両日へ行った。ライブの感想はまた別に書くとして、ここではアルバム各曲を聴いて感じたことをメモ。

1. OVER YOU(feat.マイキ)
8th配信シングル。この曲が配信された頃ツイッターでこんな感想を書いた。

この歌は応援ソングといっても熱エネルギーというよりは圧倒的に光エネルギーなので、暑い中聴いてても息苦しくならないので助かる。前向きが凄い勢いで連射されるけど、私のような超ネガティブな人間に刺さる言葉もちゃんとあるのがいいなと思った。(2022/7/13)

1つのストーリーで盛り上げて励ますのではなく、どちらかというと強い言葉が詰め込まれた「応援bot」のような構造なので、いろんな人が対面する様々な状況に刺さりやすいように思う。私の場合「人の感情も立体で 一直線じゃわかんないだけ」と「何年何十年経ったって思い出す後悔が 誰にもあってさ それを何度も 抱きしめて生きていくんだ」の2箇所だった。前者は、これを手越くんに歌わせるマイキが面白いなと思うし、後者は若いのによくそれを知っているね、と思う。手越くんの光の声質が素晴らしくハマる曲。

2.Just Right
聴いてて気持ちいい軽快な曲。グループ時代はほとんど聞くことがなかったラップが新鮮。かなりメッセージ性が強い歌詞なのだが、言葉の選び方と歌詞への混ぜ込み具合が絶妙なので押し付けがましく感じない。特に大サビの歌詞が印象に残る。

3.MAZE WORLD
7th配信シングル。初っ端の不協和音がかっこいい。リリースされた時はシンプルすぎて少し地味に感じたけど、去年の米フェスの配信とMusic Connectツアーを見てこの曲の良さを認識した。絞り込まれたものがピタッと合って一瞬で空気を変える感じ。想像以上にライブで映える曲。

4.ラヴァゲラ
タイトルからは怪しい曲を想像するが全然違って、可愛らしい優しい曲。ファルセット多めで軽めに歌っているからか、とても暖かい。歌い方でもいろいろ変わりそう。
手越くんの声は一曲目のような青白い強い光だけではなく、こういう暖く優しい赤みのある光も放てるのも魅力。

5.HOTEL
9th配信シングル。全編英語歌詞曲。
全編英語詞というとおしゃれな曲が多いこのご時世、さすが手越くんおしゃれに見せるとか眼中にない。歌詞も曲も振り付けも、全てにおいていい意味で明るくて能天気。部屋を取ってと言われてホテルごと丸ごと借りきる富豪っぷりなのに「ホールホテー♪」のあたりのメロディの庶民的温泉ホテル感に、育ちが良くてちょっと世間とずれてる、人のいい彼氏、を感じる。4番目のラヴァゲラからこの曲への流れは、ただひたすらに平和なのだった。

6.Peaceful for you
4、5で続いた平和がこの曲で世界平和のスケールに広がる。ピースフル。

7.この手とその手
何度も書くが私は性格に問題があるのでいい曲を受け付けない傾向がある。アルバムで大抵苦手に思うのがわかりやすい良い歌なのだ。だから、個人的にタイトルから一番不安に思っていた曲がこれだった。
でも、この曲は中学校の卒業式で歌っている動画を見たのが初聴きで、現場の空気に合わせた歌唱が流石に素晴らしかったからか、私の苦手意識もすっかり消えた。良い歌を素直に受け入れられる人の心を呼び起こしてくれたということだ。こうやって良い歌アレルギーを一つ一つ克服できるのは助かる。

8.MAKE ME ALIVE
7がおわるやいなや調和や平和を突き破るように間髪開けずにこの曲が来るのが素敵。ロック。

9.Comfort Zone
10th配信シングル。このアルバムから先行リリースされた曲。
本人も言ってたと思うがグループで歌うタイプの大変複雑な構造。パーツパーツ歌い方を変え一人で何役もこなしている。歌の引き出しが多くそれをコントロールできているからか一人なのに完成度が高い。ラップパートも新鮮だしもちろん悪くないんだけど、アクセント的に別の人の声質で聴きたくなるってのは、グループ時代から聴いている副作用なのかも。何回聴いても聴きどころが詰まってて音も豪華で飽きないし、大サビの、一瞬パァーッと解放される感じも良い。

10.ドラキュラ
前Twitterで書いたものを引用。

サウンドは基本80年代洋ロックのような感じなんだけど、小林さんのキャッチーで色っぽい詞と相まって古き良き昭和の歌謡ロックを彷彿とさせる。アンルイスとかジュリーとか桑名正博とかのド派手でセクシーなあの感じ。手越くんのダイナミックで艶っぽい歌声と親和性高い。

「歌謡ロック」は当時はおそらく「あれはロックじゃない」って馬鹿にする意味合いで作られた言葉なんだろうけど、歌謡曲ファンの私からするとロックのかっこよさに歌謡曲のキャッチーさと色っぽさが融合している大好きな系統。
このドラキュラを歌謡ロックだと思って聴いてるのは私だけかもしれないが、令和にこのタイプの曲をど直球でやってくれるのは嬉しい。あの頃が好きな人たち!みんな聴いて!と思う。

Twitterでは中森明菜を連想するという感想もあって、ああ確かに、と思った。このメロディは明菜さんの声がすごくハマる気もする。明菜さんは陰が魅力の人だけど、手越くんが歌うと闇も不思議と煌びやかなんだよね。

11.御どれ踊れや己が苑
ボカロP作曲だからか、ボカロ大好きうちの下の子(中3)の最推し曲。時代に合った言葉遊びや界隈の闇属性は手越くんの感性と対極にありそうなのに、解釈含めとても良い。とにかく、声質なのか技術なのか、このスピード感で言葉を乗っけても、すっきり耳に入ってくるのが最強。
ボカロPの作品はウインクにしてもうちの中学生受けがとにかく良いので、幅広いファン向けにこれからもどんどん歌って欲しい。

12.Ready Steady
前回のミニアルバムに収録されていたこの曲が今回はエンディング曲として収録されている。手越くんはいろんなタイプの歌が歌えるけれど、その中でもニュートラルでストレートな印象の曲。曲のリストを見た時は、リミックスでもなく全く同じ曲?と思ったけど、通して聴くと、バラエティに富んだアルバムの最後に、自由を歌うこの曲はとても良い選曲な気がした。

以上になる。アルバム全曲の感想とか書くの初めてだな。


以前Twitterでこのアルバムについてこんなことを書いた。

手越くんの1stは良盤だしミニアルバムも捨て曲無かったけど、今回の2ndアルバムは「一般の型にはまらないタイプの名盤」という感想。手越くんの歌唱技術が目一杯詰め込まれバラエティ豊かで全曲完成度高い。でも曲順がアルバムとしてはどこか独特な気もして、それも含めて面白い。

おそらく、手越くんの生き方への共感や強い愛情がある方は、歌詞の一つ一つに手越くんを重ねることがあると思う。そういう意味でも濃いアルバムだ。私は外の文脈で音楽にある種の付加価値を与えたりせず作品だけで楽しめるならそれに越したことはない、と思っているので、その点においては若干淡白な上のような感想になる。

私は昔からアイドルポップスなどを好んで聴いてきて、その時期時期に愛したアルバムがある。よく挙げるのは、金井夕子「écran」、渡辺美奈代「恋してると、いいね」、原田知世「GARDEN」、宍戸留美「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド・シ・シ・ド・ル・ミ」、鈴木蘭々「Bottomless Witch」、藤井隆「ロミオ道行」、NEWS「LIVE」、など。

基本的にアイドルって悪い大人に歌わされていて、その媒体を介した大人たちのセンスを見るものなんだな、と実感したのは、渡辺美奈代の「恋してると、いいね」を愛聴していた頃だろうか。美奈代ちゃんをおじさん達の色に染めちゃうね!ってなんて素敵なんだろうと。(2015/01/12)

上に挙げたアルバムについても、どちらかというとライター陣が提供した楽曲が好きってパターンが多かった。アイドルそのものでなく、そのアイドルにそういう音楽をさせている背後の「悪いおじさん(比喩)」達の思惑が好き、とでもいうんだろうか。かなり気持ち悪いことを言っている気もするが。

NEWSで少し違ったのは、楽曲が好きということに加え「グループアイドルの声質と歌割り」の面白さに目覚めたということ。初めて、声質のばらつき、バランス、声の配置の絶妙さ、異なる声質のハモリの良さになどに気付かされたというか。あれは目から鱗だった。
でも、やっぱりそれも、歌割りを決め、声をミックスしている背後の「悪いおじさん(比喩)」が好きだったのかもしれないとも思うのだ。

でも、このアルバムはその悪いおじさんでなく、純粋に手越くんの歌唱技術が好きだと思う気持ちが一番にくる。もちろん楽曲が良いのは前提として。だから歌を聴きたくてライブにも足を運んでしまうんだと思う。


去年の手越くんの誕生日に以下のようなツイートをした。

自分のストロングポイントはいろんな歌を歌えること、と手越くんがインタビューで語っていたけど、手越くんのストロングポイントはまさに、手越くん自身がそう思っているところ。どんな歌も自分なりに研究して攻略していくから、世の中の歌の数だけボーカルに可能性があるって最強なのでは?(2022/11/11)

「手越くんがいろんなタイプの歌を攻略していっている」
結局私が感じる「CHECKMATE」の良さはこれなのかもと思う。

これからも、3rd、4thアルバムと、手越くんの新しい歌との出会いと、攻略した作品を楽しんでいきたい。それにはまずもっとこのアルバムが評価されて欲しいなあ、と思うのだった。

NEWS楽曲三曲選び

 NEWSの20th企画の楽曲投票の3曲をなかなか決められず、投票は去年の年末ぎりぎりになった。10年前のベスト盤の時の投票は4曲、そして今回は3曲。曲の数が圧倒的に増えているにも関わらず「メンバー数縛り」なのか選べる曲が減ってしまって、難易度が高くなってしまった。

 5曲なら入れるけど3曲なら外す、みたいな曲って多いだろうし、定番ソングが意外と入らないなんてことになるのかもしれない。10年前のベスト盤用の曲投票の時、ファンが独自にfacebookで出口調査のようなことをしていて、それを見るのも面白かったな。

 10年前私が投票したのは、「Smile Maker」「BE FUNKY!」「ラビリンス」「NANDE×2 DAME」の4曲。選曲理由は概ね以前「NEWSプレイリスト2013春」で書いた内容とほぼ一緒だ。読み返してみたが、この頃好きだった曲は今でも変わらず好きかもしれない。

 実はみんなが大好きな応援ソング、特に「熱量ソング」は、あまり好んで聴くことはない。この感じを説明するために用意している表現は「体内に消化酵素を持ち合わせていないので、曲が吸収されず丸呑みしたものが未消化で排出される」というもの。これは体質だと思っている。歌っていることの意味や意義や物語性は理解できているけど、自分にはあまり響かない。でも、響いている人たちとセットで鑑賞することで感動事象として受け入れて、楽しめる。ここ感動するところ、みたいな。だから、本当の意味で私が好きな曲からは、完全に外れる。そのジャンルに入るのは、具体的に挙げるとしたら、フルスイングとかUR Not Alone とか、未来へ みたいな曲だ。

 また、「いい歌」と言われがちな、ちょっと「うっとりした仕上がりの曲」も、好きか、と言われるとそうでもない。どっちかというと苦手だ。私は心が綺麗でないので、楽曲に面白がれるポイントがないと楽しめないんだろうか?前にツイートしたことがあるけれど、「カナリヤ」「ビューティフル」「チンチャうまっか」のトリプルAサイドシングルの各曲に10点分投票できるとしたら、間違いなくチンチャうまっか全振りで10点入れる。

 言い訳めいた前置きはさておき、今回、悩んで選んだ曲は、以下の三曲だ。
・Snow Dance (シングル"EMMA"カップリング)
・Smile Maker (アルバム" color"収録)
・クローバー (アルバム"STORY"収録)

 この三曲に順位をつけるとこの順番になる。つまり、NEWSの曲で1曲だけ投票できるなら、今の私は「Snow Dance」を選ぶ。
 「Snow Dance」のことはTwitterでも度々好きと言っているのだが、この曲は私にとって、聴くだけで蓄積した気持ちのくすみや汚れが浄化される曲であり、4人の声質が最高に生きていると思う曲。吐く息が白そうな地上のこやしげと空から降りてくるてごます。雪の中に佇むこやしげが空を見上げると雲の間から光が差して、妖精が舞い降りてくる光景が見えるような。(説明必要かわからないけど、手越くんパートが光で増田くんパートが妖精)大げさでなく、歌割りが完璧だと思っている。

 「Smile Maker」については先の「NEWSプレイリスト2013春」で書いたことと変わらない。6人の声を支えるアレンジが美しくて力強くて、色褪せない名曲だと思う。

 この2曲は早々に決まっていたのだけど、3曲めは少し迷って「クローバー」にした。この曲はCDに収録されている楽曲だけではなく、2020年6月18日に配信された「Johnny's World Happy LIVE with YOU」の、NEWSの3人ライブバージョンも好きなのだった。
 4人それぞれが作ったパートにその人の優しさが溢れているこの曲。その、手越くんパートの最後の歌詞を3人で歌っているのを見たあのライブは、今でも心に刻まれている。私は先に書いたように客をセットで見ることで感動を成立させているところがあるのだけど、無観客のあのライブはそれがなくて、自分自身が受け取ったものが全てだった。あの曲を歌ったのは3人だったけど、1人も見えた気がしたんだよな。

 もし、選べる曲が5曲だったら「チャンカパーナ」と「チンチャうまっか」を加える。4人の代表曲と3人の代表曲(と勝手に思っている)だ。両方とも、面白ソング扱いされるけど、キャッチーで楽しいのにそこはかとなく「哀」も感じるメロディが好き。どっちのMVも楽しいし。

 もし、選べる曲が10曲だったら...はあまり考えてなかったけど、「Quntastic!」「「生きろ」」「Touch」「三銃士」「シリウス」あたりが入ると思う。重要な曲を何か忘れている気もする。ちなみに「生きろ」は私の苦手とする熱量ソングっぽいけど、2番の手越くんハモと小山くんパートがそれを上回って好きすぎるんだよな。あ、「夜よ踊れ」も入れたいぞ。11曲になるがどれを削る?

 こんなふうに考えてると、3曲は少なすぎる!と思ったけど、9曲選べ(初期メンバー数縛り)と言われたらまた難しすぎたから、3曲でよかったのかも。

この1年のこと

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また1年放置してしまった、と毎回書いているから、放置ではなくこれが周期ということなのか。

久しぶりに自分の書いたものを見ると恥ずかしくてよくこんなもの書き散らかしているなと思う。最近、Twitterのサードパーティ製アプリが使えなくなって、ツイッタをたまに使ってガス抜きをしていた「何か書きたい気分」のやり場に困ってここに戻ってきたのだけど、恥ずかしい気持ちが勝ってしまった。今見ると違和感しかない。なんだよp-gain's home page って。お前誰だよ。
しかも、コメントをいただいていたことにも1年以上気がついていなくて、本当に申し訳なさでいっぱいに。
でも閉鎖する潔さは持ち合わせておらず。

少し、緩く復活していこう。なにか続けたい。


ところで、去年の2月手越くんの名古屋のアコースティックライブに行った話が一つ前の日誌なわけだけど、その時には予想もつかなかったくらい、去年は手越くんのライブに行きまくった。
春ツアーの「NEW FRONTIER」は、名古屋振替、大阪振替、渋谷追加公演の3回行った。その後も、7/14(木) Zepp Numbaの「COLORZ powered by SHEIN」と9/29(木) Zepp Osaka Bayside のNovelbrightの対バンに行き、秋ツアーの「Music Connect」は名古屋、大阪両日の計3回、そして12/1の20周年アニバーサリーライブにも行った。
そのほかにも、米フェスなどの配信系もたいてい見たと思う。

何故そんなに足繁く通ったのか。理由は単純で、「聴き逃したくなかったから」

私はNEWSのライブには1人で行ったことがない。いつも娘たちと行っていたし今でもそうだ。それはなんとも言えない気恥ずかしさと後ろめたさがあるから。私は、ライブを聴くだけでなく、誰かを見に行っているから。双眼鏡で特定の人をロックオンしているから。本当の目的は、その人の実在の確認なのではないか?そんな自分がどこか不純な気がして後ろめたい。

でも、手越くんのライブは違って、去年の10回のうち、5回は1人で行っている。私は多分「手越くんに会いに行く」という感覚でないのだと思う。だからなのか、行くことに何の気恥ずかしさもない。全然1人で行ける。そこにあるのはほぼ「手越くんがその場でどんなふうに歌うのか聴き逃したくない」という動機だけだ。そして、その10回ともステージに対する満足度が高く、ああ、行ってよかったなあと思ったのだった。

手越くんの生歌の良さとか、ライブについてはTwitterでその都度感想を書いたりしていたが、Twitterがいつどうなるかわからないな、と思うのでその感想をまたこちらにまとめたりもしようかなと思う。何らかの作業を自分に課さないとボケますからね。

さて、先に書いたように10回のうち5回は自分1人で行ったのだが、後5回のうち4回は下の子と、そして1回上の子と行った。上の子は旧手越担だけど、社会人になった現在は家も出たし、全く違う界隈の趣味で忙しそうにしている。下の子が行けないので誘ったところ、二つ返事で来てくれて、久しぶりの手越くんのステージをそれなりに楽しんでいた様子。その時「ママがてごしにハマってるのが意外。だっててごしって王道じゃん」みたいなことを言っていた。娘からすると私は「変でマイナーなものが好き」という評価らしいし、昔はよく「てごしにも興味を持て」って言われてたなあ、と懐かしく思い出した。

王道。確かに容姿とパフォーマンスは王道か。

よく、NEWSの頃の手越くんがよかった、という愚痴のようなものをネットで見るのだけど、実は私はピンときていない。もちろんNEWSの手越くんの歌は本当に素晴らしかったし好きだった。でも、彼が思う「ファンの子はきっとこういう感じが好きだよね」というアイドル的アクトを、ジャニーズ検閲的フィルタでラッピングした状態は、ちょっと過剰だったというか、あまり当時の私には刺さっていなかったかもしれない。

もちろん今も、彼が思う「ファンの子はきっとこういう感じが好きだよね」は変わらないのだが、ジャニーズ検閲のない手越くんはかなりアク強めな変な子だ。それまでは事務所がアイドルとしてわかりやすい解釈を与えるため丁寧に修正してくれてたから、全くそれに気づかなかったし、そのこと自体はどっちかというと事務所賞賛で語られることが多い。でも、私にしたらその仕上げがあったから昔は興味を持ててなかったんだよな、と思う。実際のところ、今のどこか容姿と中身がちぐはぐで、
「期待は応えず超えて行くけど、超え方が斜め上すぎて視界から消える」
という謎特性があるところも少し面白く思っている気がする。


最後に、2021年11月11日の手越くんの誕生日にしたツイートを引用。

"ちょっと変わった人だなーと思うことはあるけど、変わった人だから面白いし、だからこそ存在して欲しいし、変わった人を排除しようとする世界は私はとうてい馴染めないので、徹底的に応援したいですね。"

名古屋へ行った話

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2月10日に56歳になった。50歳になったとか書いたのがもう6年も前かと思うとゾッとする。時間軸の分解能がおかしなことになっているのを痛感するから。

この20年くらい、毎年私は誕生日付近に誕生日特権で自由行動をしてきた。その日は映画館やライブハウスや美術館へ行って、嬉々としてここに感想を書いた。昔はその一日を楽しみに一年過ごしたようなものだったけれど、最近はコロナもあって権利を行使していなかった。でも、今年は、久しぶりにその権利を使って外出をした。手越くんのライブだ。

私は手越くんの全国ツアーの大阪2日目だけチケットを買って、下の子と2人で行く予定でいる。しかしコロナがまた流行り始め、中学校でもちらほらと感染者が出ていて、大阪公演に行けない可能性もあるなあ、と心配になっていた。

去年、私は加藤さん主演の「モダンボーイズ」のチケットが当選し、大阪公演までネタバレも一切我慢して楽しみにしていた。でも結局大阪公演は中止になった。私はそれがちょっとトラウマのようになっている。それまで複数公演を見に行くことに必要性を感じていなかったが「本当に見たいものは保険をかけておくべき」と思い知った。(あの頃、モダンボーイズ東京公演に行けたかどうかはわからないが。)

手越くんのツアーの宮城公演終了後、感想を探して読んだ時、去年のZeppツアーより進化していると書かれているものを見た。その時、「それは相当凄そうだから絶対に見たい」と思った。だが、モダンボーイズの件が甦る。この先また中止になってしまう可能性がないわけではない。私や子供が感染したり濃厚接触者になる可能性だってある。そしたら行けなくて、また後悔するかもしれない。

宮城の次は名古屋公演だ。名古屋は大阪の次に奈良から近い。そして、2月6日なら、少し前倒しであの「誕生日特権」が使える。保険をかけるとしたら、その名古屋公演しか考えられなかった。私は家族に、名古屋に行きたい、万が一移動中に感染する可能性があるかもしれないが、仕事の日程的にどうだろう、部屋を数日隔離するなどが必要か、など対策などを相談した上、了承をもらってトレードに申し込み、名古屋の昼のチケットを1枚手に入れた。

だが、その公演について前日の夕方に連絡が入った。関係者にコロナ陽性者が出たため延期になる、振替公演にいけない人にはチケットの払い戻しをする、そして、この日程しか来れない人のために、手越くんと仲間のミュージシャンと陰性が確認できたスタッフで「無料のミニライブをする」という内容だった。

悩んだ。

悩んだポイントはいくつかあるけれど、一つは「陰性の確認の取れたスタッフでの無料のミニライブ」という、あまり前例のないイベントであるという点。万全な体制でなかった場合、現場が混乱してたら困るな、と素直に思った。もう一つはそれとは全く関係なく、雪で新幹線が遅れそうだということだった。昼前に出て夕ご飯までにサクッと行ってくるということで了承をもらったのに、遅れたら夕ご飯問題が出てきてややこしい、というコロナ無関係な家庭の事情。

夫曰く「そのミニライブは遠くからわざわざ前乗りで見にくるようなコアなファン向けのサービスだろう」。私はそういうコアなファンではないのだから行かなくても良いのではないか、という理屈で、全くその通りなのだった。通常のライブではないし、待てば振替公演はある。損得でいったら行かなくても何の損もない。選択肢が一つ増えただけだ。正直なところ、行きたい気持ちは当初の半分くらいになっていた。

でも、結局私は行くことを選択した。雪に関しては近鉄特急を使うと回避できる。ミニライブなので予定より早い時間に乗れる可能性が高いので夕ご飯の時間に多分間に合う。近鉄特急は座席を見る限りその時間帯はガラガラで密になる心配もない。密になる可能性があるのは名古屋駅の乗り換えくらいだろうが、今そこまで混んでいるとは考えづらい。それに、行く予定の大阪は平日だから、グッズはあらかじめ名古屋で買っておく方が安全だ。

それとは別に、純粋に、手越くんがどんなライブをするのかを見たいという気持ちもあった。独立してから配信でいろんなライブを見させてもらったけど、ハズレだったことがないのだ。
長年、この「誕生日特権」でしか快く送り出してもらえない生活を送っていた私にとって、この権利を放棄したくない、という気持ちもあったかもしれない。そんなこと、私以外の人にはピンとこないだろうが。

とまあ前置きが長いが、名古屋の無料ミニライブ昼公演を見たよ、という話。

行った立場で一つちゃんと書かないといけないなと思ったのは、手越くんがインスタで7人のスタッフでやりきったと書いていたけれど、それはおそらく内部的な棲み分けの彼周りのスタッフ数なのだろう。客の立場からすると現場は手慣れたプロモーターサイドのスタッフらしき、もっと大人数による仕切りがされていた。私が見た範囲では混乱するような場面もない。会場の敷地が広いこともあり、密になることもない。物販も1人ずつ検温消毒の上屋外から室内に入るスタイル。導線の案内の表示も問題なく、病的に方向音痴の私も物販に回ってから入場するまで、誰にも話しかけずに済んだ。入場も当然のようにディスタンスと再度の検温消毒。

会場への行き帰りの道程に密な瞬間がなく、さらに会場でも一度も密にならなかったため、いやこれで罹患したらオミクロン恐ろしすぎないか?と思うような状況だった。実際現在も元気だ。

どんな場合でも「ヲタクのいうことは信用されにくい」というケースがあるのは知っている。私もライブ二カ所のチケットを買ったファンなので「準ヲタク」くらいに周りからは思われるんだろう。私が、プロモーターしっかりしてたし、会場の感染対策問題無かったよ、と言っても、否定派の人たちには届きはしないと思う。そもそも、否定派の人にとって、手越くんのライブなんて不要不急の外出以外の何物でもないだろうから、私も行った時点で言葉は悪いだろうが頭のおかしい共犯者扱いだろう。


それはさておき、ライブは、シンプルかつ暖かなものだった。ボーカルとキーボードのみで、全く飾りのないステージなのだが、会場が手越くんの歌とSinさんの演奏でひとつになっている一体感があった。とにかく手越くんの表情が柔らかい。NEWS時代のライブで強い光を放っていた手越くんとは違ってもっと波長の長い温かい光を放っている感じ。歌はもちろん上手いのだが、音がシンプルな分、声の美しさを堪能させてもらえた。アルバム曲からアコースティックライブで聴けると思わなかった曲も数曲歌ってくれた。ボーカルはもちろんアレンジも演奏も良くて、これを短時間で実現できるSinさんにプロの凄さを感じた。一言で言うと、心が満たされたライブ。来てよかったな。誕生日万歳、家族ありがとう、と思った。

手越くんがソロのボーカリストになる経緯は少し特殊だったのかもしれないけれど、独立してからの彼の歌を配信などで可能な限り聴いてきた立場からすると、ソロとして力をつけている、その成長を毎回感じられるのが嬉しい。推しているグループアイドルのメンバーだった人が音楽で独り立ちしていく過程を見られるのは幸運なことだ。


余談だが、行く前日に、こんなことを夫と話していた。
「無料のミニライブをやったらやったでたたかれかねないのに、やっちゃうところが手越くんなんだよなあ...」

ライブに行くと彼が本当にファンとライブが大好きだというのがわかる。あの表情がそこでしか見れないというのは、4人時代のNEWSのライブを知っていたら心当たりがあるのではないだろうか。その愛情が彼のストロングポイントであると同時に、裏を返せばドライになりきれないという意味で急所にもなりうるのかもなとは少し思う。
全部手越くんらしいっちゃらしいのだが。

気質がかなりアスリート寄りだから、ツアーでは相当な高難度な歌とダンスを、練習して決めてくるんだろうなと期待が膨らむ。それを手越くん大好きな下の子と並んで絶対見たいのだった。

コロナに対する対策の強化もされ、問題なく、大阪公演が開催されますように。

STORY前日

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明日STORYを見にいくので落ち着かない。新作の箱推し用メッセージうちわも作った。それでもまだ落ち着かないので、ダラダラ書いてみる。


去年の4月と5月、私は仕事を休んだ。コロナウィルスの影響で子供の小学校が休校になった人への助成金を会社が利用して、有給休暇を頂いたのだった。実情を言えば取引もほぼストップしていたため、オンラインで働くより休んだ方が会社のためになる。私は2ヶ月間、学校へ通えない娘たちと、ステイホームに忠実な生活をしていた。もともとインドアな私は家にいることは全く苦でなく、どちらかといえばそんな少し特別な時間を純粋に楽しんでいた。コロナ禍で現場やオンラインで働いている人たちには本当に申し訳ないような気持ちだった。

私の勤め先は「死の谷」を超えることのできない小さなベンチャー企業で、コロナ関係なく景気が良いことがない。日頃から社長たちは売り込みやスポンサー探しに全国を飛び回っている。職場に復帰してから、緊急事態宣言下で社長たちがどうしていたのか事務の人に尋ねると、「いつも通り金策にあちこち飛び回っていましたよ」と苦笑していた。それを聞いて、そうだよな、と思った。側から見たらなんでオンラインでやらないんだとか、県跨ぎの移動をするなと非難されるのかもしれないけど、彼らは会社を潰さないためにいつも必死だ。そのやり方があの時のベストだったのかはわからないし、自分本位だと言われてしまうのかもしれない。でも、結果、今現在も会社は潰れておらず、私は仕事をさせてもらっている。

なんで今更こんな話を書いているのか、というと、先日見た記事に、手越くんが活動自粛になった件を「緊急事態宣言中に不要不急の外出を繰り返したため」って書いてあるのを見たからだった。
不要不急かどうかなんて、本当は、その人の立場にならないとわからないことなんだよな。


今まで何度も手越くんについて感じたことを書き連ねてきたなあと思う。それだけ自分で思っていた以上に彼の退所で受けたダメージが大きかった。今も明日の準備のためグッズを開封して、娘のために買ったうちわを見て辛くなった。
去年もいろいろ書いたしもうかなりしつこい域になるけれど、STORYを見る前日である今、加筆しておきたいことを記録しておく。


去年の大晦日に手越くんのInstagramを読んだ時、彼の気持ちを理解したくて半年くらい観察を続け、ずっとあれこれ考えていた内容に、最後のピースがはまったような気がした。あれを読んだ時、ワイドナショーのコメントで中居さんが使っていた「火炎瓶」という言葉が頭に浮かんだ。
あの会見は100万人が見ていた。NEWSのファンは100万人もいないはずだから、ファンに向かって説明する場のなかった手越くんは、事務所を出て、まず、中居さんの言う「火炎瓶を投げ込んでいた」人たちを相手にしていたということなんだろう。

退所は彼が決めたことだとしても、あのタイミングで退所することになったのはいろんな要因での「結果」でしかなったのだろうと思う。結果を受け入れて進んでいる明るい前向きな部分や炎上と戦う部分、そこに色々な心情が混在しているようなわかりにくさは、確かにあった。NEWSファンは「流石にふざけないで」って言ってたけど、そりゃSTORYやりたいですかと聞かれればやりたいですと正直に答えるよなと思う。ネットで「STORYをぶち壊したのは一生許さない」「メンバーが好きだったらSTORYを放り出してやめたりしません」とか誰かがコメントしているのを見ると気持ちがどんよりする。


退所後テレビでの活動に制限を受けることが予想されるという、かなりシビアな道を選択したタレントは、個人事業主として自分一人で営業活動を進めなくてはいけなかっただろうと思う。去年の暮れに書いた日誌で彼の「飲みュニケーション」について触れたけど、基本的に人見知りなタレントの武器となる営業活動が「ともに飲んで距離を縮める」だったというのはなんとなく理解できる。仕事がなくなり時間はあるけど先が全く見えず、事務所を頼れなくなる未来が迫るというのはなかなかに辛いことだ。3月に退所しようとしている以上営業活動を止められたら死活問題だったかもしれない。

でもそれが本人にとって正当な営業活動であればあるほど、事務所として手に負えなかったということも逆に理解できる。あれだけコンサートが中止になって再開の見通しが立たず、事務所はかなり厳しい状況だっただろうと想像できる。あの規模のコンサートに関っている人の生活、抱えているタレントの生活に対する責任がある。退所を予定する3月まで彼は写真週刊誌に狙われ続けるだろうし、彼がまた今後写真週刊誌に載れば、一丸となってコロナ禍を乗り切ろうとしている事務所と事務所タレントの足元を掬われかねない。

その結果、あの早い時期の退所になってしまったのかな、などと年末年始つらつら考えていた。事務所にとっては、それはファンに語りかけることも形式的なエールも許されないくらいの大罪だったということか。

YouTube界の治安や数字に消耗しながらも、私はずっと手越くんを見続けている。彼の退所で受けた心理的なダメージは、「多少の失敗をしながらも仲間を増やしていく彼」というものを見ることでしか解決しないような気がしている。フクオカカウントダウンも、関西コレクションも見た。NEWSの華やかなステージとは違っていたけれど、たった一人で、歌だけでステージを成立させる力があるのは圧倒的な強みだ。私は特にフクオカカウントダウンでの「虹」と関西コレクションの「魔法の絨毯」が素晴らしいと思った。どちらも歌ってみた動画の内容を私の中では全然超えている。やっぱり凄いよなあ。


普段はもうすっかり平常心ではあるけれど、正直、時々、いろんなイバラのようなものを感じて胸が痛くなることがまだまだある。この辛さはなんなんだろうなあ。これからもずっと私はこの感情について考え続けてしまうんだろうな。


私が1番好きなNEWSのアルバムはリアルタイムでは知らない「LIVE」であることは以前から変わらないのだけど、歌割がどうのこうのハモリがどうのこうの言ってる割に、今、1番好きな歌は「クローバー」なのだった。それぞれの個性の違う優しさが溢れていて、私の好きだった4人が詰まっている歌。4人の最後のアルバムに、この歌があってくれてよかった。

明日、遂に3人のSTORYだ。それを見ることで、何かまた私の感情が揺さぶられるんだろうと思うけれど。

レモネード

明日からいよいよSTORYツアーが始まる。

大阪城ホールのチケットが取れたのは何年ぶりだろう。最近は毎年外れていたので、大阪公演の時は下の子と大阪城公園に雰囲気を確認に行き、グッズを買って帰るのが恒例だった。グッズ列に並んでいる時、後ろの二人が自分の推しでないメンバーの悪口をヒソヒソ言っていて不快だったことがあったけど、今思うと些細な出来事だ。

NEWSへの応援に、1人への憎悪が一体化してしまっている光景が受け入れられなくて、私は去年NEWSファンの観察をやめた。人と好きなものを共有した経験があまりなかった私が、手越担の二人の娘と一緒にコンサートで多幸感を共有したあの時間は、人生における大切な彩りだった。そんなかつて味わったことのないキラキラした時間をくれた人である手越くんに、私と同じようにNEWSを好きな人たちが冷たい感情を隠さないこと、そしてあの4人の時代を否定されることがいまだに耐えがたい。4人での新しいパフォーマンスが見られないのは仕方ないとしても、もう公にその時代の素晴らしさを肯定されることがないことにふと気づくたび胸が締め付けられる。

3人に対して「人数が減った」といういじりをされるのが好きでないのは、手越くんをタブー扱いして面白がる空気が苦手だからだ。そして、あいつの話題を出すな、と反応するファンも見たくないからだ。私はどうしたら3人のNEWSとそのファンの絆を純粋なものとして受け止められるようになるんだろうと思うのだけれど、とりあえず今はファンを見ないという方法で自衛をするしかない。
会場や最寄りの駅で、極力ファンを見ないでいれる方法を、今から考えてしまっている。

自分でも解決できていない心情があって、STORYがそれを解決してくれるのではないかとも期待しているけど、彼ら3人はその場にいる人たち全員の心を受け止めようとするのかもしれない。憎しみを抱えている人の心を彼らはどう解放するのだろう。


下の子が以前、「偉人のことば」という本を読みながら「これ、好きやねん」と言って教えてくれたカーネギーの言葉がある。それは、
「運命がレモンをくれたら、それでレモネードをつくる努力をしよう」
というものだった。

酸っぱいレモンを甘いレモネードにする。運命が困難を与えたら、諦めたりするのではなくて、その状況で最高のものを作る努力をしよう、という言葉だ。
3人のSTORYはまさにそれなんだろうと思う。きっと彼らは最高の時間をつくり上げるために力を尽くしてくれている。

STORYという甘いレモネードが、誰かの憎しみを少しでも解放してくれますように。

加藤さん小説感想まとめ(オルタネート以前)

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加藤さんの「オルタネート」が吉川英治文学新人賞を受賞した。リアルタイムでライブ放送を見ていたけれど、受賞会見の受け答えが素晴らしすぎて、陳腐な感想で申し訳ないけれど、感動した。

ファンになった時期がピンクとグレーでデビューする直前だったこともあり、全ての著作をリアルタイムで読んできた。「ピンクとグレー」と「閃光スクランブル」は一生懸命感想をまとめて残している。

「ピンクとグレー」感想【ネタばれなし】
今更「ピンクとグレー」感想【ネタばれ】
閃光スクランブル感想(ネタばれ多分なし)

「Burn.」以降の作品についてはツイッターで感想を書いたり書かなかったり。今回会見を見て感動した勢いで「オルタネート」の感想を書き残したくなったのだが、その前に自分の記録として、これまでの小説作品の感想をまとめておくことにした。

「Burn.」以降書いていないのは理由がある。実は私は「Burn.」を読むのに少し苦労したのだった。それまでは感想を書くためにもう一度読み直したりしていたけど、「Burn.」は読み返すのが辛くて感想を書けなかった。"子役だった主人公の封印された子供時代の記憶"。著者曰く「人が子供になる話」と「人が大人になる話」だ。とても綺麗で良いテーマだと思う。でも私は当時、著者が描きたいものに自分がたどり着けていない、という感覚を抱いてしまった。もちろん主人公の設定と描写に著者の経験が生きていて印象的な表現はたくさんあるのだけれど、母親世代の人間として出産する妻や母親の描写に違和感があったり、自然に話が展開しているというよりは、展開させようとしているような印象があって、読んでいて息苦しかった。この作品を生み出すのに苦労した、と著者が語っているのを読んで、そういう部分を感じ取ってしまっているのだろうか、とも思ったけれど、感想を検索するとこの作品が一番好きという人も大勢いたので、感じ方はもちろん人それぞれだ。未読の方は是非読まれることをお勧めする。

それ以前はまるでグッズか何かのように保存用と2冊買っていたけれど、この単行本は1冊しか買っていない。(もちろん文庫は別に買ったけど。)多分その頃から、私はNEWSの加藤君が書いた小説と言うよりは、若い作家の本と捉え始めていたのだと思う。
今回、文庫版の「あとがき」「解説」「刊行記念トークイベント(の書き起こし)」を読み、悩み迷って粘って書いたこの作品があるからこそ今の加藤さんがあるのかもしれないな、なんて思った。


「傘をもたない蟻たちは」と「チュベローズで待ってる」は、ツイッターで少し感想を書いていた。

「傘をもたない蟻たちは」は短編集なので、最初に発表された時に書いた感想や、単行本化された時に書いた感想が残っていた。それらを簡単にまとめるとこんな感じだった。(ツイッターだから雑)

染色
圧倒的な才能をもつ人に惹かれつつも、変化から逃げてしまうという心理と、喪失感の描き方が好きだった。生きていると結局わからないまま終わってしまうことの方が多いから、想像する余地が残るところも好きだ。

Undress
連載で一度読んでいるのでどうしても差分に意識がいってしまう。もっといろいろ下衆かったよなとか。個人的には、雑誌掲載時からこの話には窮屈さを感じていたが、サラリーマンの話だからという単純な理由かもしれない。

恋愛小説(仮)
映画の「ミッション:8ミニッツ」で8分とか時間で制限したようなものを、「ミッション:200文字」的に文字数に置き換えているところが面白い。そして、それが小説中実際に並ぶところが、視覚的に美しかった。最初、文字数からこぼれてしまって、数を詰めていくところも良かった。

イガヌの雨
私は著者の描く女の人はほぼ誰にも感情移入したことないのだけど、この主人公の女の子に初めて少し感情移入した気がする。食の純潔守って!みたいに。「食がテーマ」といわれ、「食の官能」と「欲望の醜さ」を描くあたりが著者らしいなと思った。

インターセプト
1回目読んだ時は、「伏線と回収」や「デフォルメ」が強い小説であまり深みを感じなかったので、こういうやりすぎじゃないのが良かったな、と思ったけど、何度か読んだら感想が変わった。
著者のことを小説の登場人物と重ねて読まれることを承知の上で、あえて「テレビの中にいた」とか「本当に待ち受けにしたい画面」とかの文章が仕込んであるように読めてきたのだった。著者への思いが強い読者ほど、小説の登場人物として「読者自身が引きずりこまれる」という仕掛けなんじゃないだろうかこの小説は。仕掛けるアイドル恐ろしい。
あの文体も、本性を隠してかわい子風に振舞っているけど、過剰なデカ目加工や細身加工で人間離れしてしまったプリクラのバケモノ風な壊れた人格を描く効果があるような気がする。独特な生身感のなさというか。アイドルへの溺愛ファンとかの書き言葉から絵文字を除去してもあんな雰囲気になるかもしれない。

にべもなく、よるべもなく
文体、思考、行動に、息苦しいほど思春期が詰め込まれていた。理屈でなく受け入れ難い気持ちが嘔吐となってしまう当時の感覚が蘇ってくるようだった。その頃には何なのか全く理解できず、時間が経過しいろんなことが自然と薄まって初めて、客観的な言葉で語れる、本当にしんどい時期だ。
そんな蘇る思春期の記憶から逃れるために、「妄想ライン」をこの小説に全部埋め込む意味を考えたりしていた。多くのファンは、「妄想ライン」が著者の高校時代の作品と知っていてその頃の著者を思いながら読み、登場人物も作中で熱量を持ってその文章を読み込む。この物語が始まるきっかけとなり、記憶の栞のような役割もする作中小説。
それは本当はどんな話でも成り立つはずなのだが、作家になって自分の昔の作品を読み、それを直さずにはいられない著者がいて、思春期の登場人物もその文章について評論しているという、不思議な構造。
そういう事前知識全くなしで読んだら、この作中小説の存在についてどう思っただろう。

また、「チュベローズで待ってる」については読んだ時こんな感想を書いていた。

左目の黄斑の手術をして退院後、最初に読んだのが「チュベローズで待ってる」の2冊だったわけだけど、素直に「読書は娯楽だね。なんとか死ぬまで自分の目で文字を追ってこうやって楽しんでいたいものだね」と思った。
「チュベローズで待ってる AGE 22」は連載を加筆修正しただけあって、飽きることなく話が展開していき、怠くなることなく楽しく読める。描写も、特に最初の紅生姜とか凄くいい。
「チュベローズで待ってる AGE 32」は書き下ろしなので「AGE 22」より最初少し怠く感じた。未来の話なので技術用語に若干不安を感じた部分もあった。でも、もやもやが解決する気持ち良さや、想像を超えてくる展開があり、とにかく続きを読みたくて、読んでるうちに楽しくなって細かいことが気にならなくなった。
また、私のように短期記憶がやられて人の名前を覚えていられないような読者でも読めるように、なのか、登場人物の名前の文字種と文字数を変えて印象で混ざりようがないように書いてくれているのが、本当にありがたかった。
加藤さんの小説はいつも女性の人格が小綺麗すぎる、と思っていて、AGE 22の方はまだその不満を持っていたのだけど、AGE 32で美津子の人格になんとも言えない「歪み」が見えてきたのが良かった。


以上、単行本になっていない小説など何作か抜けているけれど、ここまでの感想まとめ、になる。時間に余裕ができたらまたまっさらな気持ちで読み返してみたいけれど、その前にまた新作出してくださるかな。